諸葛菜草叢記

 "窓前の草を除かず“ 草深き(草叢)中で過ごす日々の記

牛蒡(ごぼう)の花に見た風景

2009-07-30 15:35:46 | 日記・エッセイ・コラム

 ■ ごんぼ の 花

    過っては、一面の桑畑であった。いまは、牛蒡畑である。此の近郊は、大産地である。

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   生産者は、ゴボウとは言わない。【 ごんぼ 】という。だから、ゴボウを収穫することを、【 ごんぼ掘り 】といっている。

 田植えの前後に、作業をする。大型トラクターに取り付けたトレンチャーと称する器具で掘り進む。ゴボウの大量生産は、土圧式掘りあげの機械化なしには考えられない。

 生産農家の源八郎さんは,昭和2年の生まれである。今年82歳のオジイサンである。相当の頑固者で、まだ、農作業を続けている。しかし、足腰は、相当に弱ってしまった。今年は収穫適期に天候が安定しなかったので、作業も思うように進まなかった。▼ 晴れた日、遅れを取り戻そうとして、焦って、無理をした。まだ水分を含んでいた畑の土に、堀上機が食い込む。トラクターの車輪が取られ、掘り進めない。悪戦苦闘、何度もそれに兆戦したので、トラクターのエンジンが故障してしまった。もっと前なら、瞬間的に出来た機械操作がこなせない。明らかに反射神経が鈍っている。そして、自分の身体まで壊してしまって、3日ほど寝込んだ。

  収穫時期が、遅れたゴボウ畑に、花が咲いた。「 薹(とう) が 立つ 」と言う。一枚の畑地に20~30本近く牛蒡の花茎が立ち上がってしまった。専業農家としては、誠に、恥ずかしい話だ。

 橋向うの住宅地(元は源さん家の畑)に不動産関係の事務所を持つ長男は、冷ややかである。「だから、百姓仕事は、もうヤメロと言うのに!」 ▼ 息子の了見は、解っている。何としても田畑を守りたい。源さんは、子供のころから、食料不足から来る餓えを何度も味わった。餓えは、人を醜くくするものだ。しかし、今年で、限界だと、源さんは思っている。

  専業農家が、また、一軒減少する。

  

   


カラスウリー妖なる夜の花

2009-07-28 15:59:13 | 日記・エッセイ・コラム

  カラスウリは、夜になると花を開く。花びらを、思いっきり広げて咲く。しかも、写真のとおり、四方八方に、糸のごとき巻きひげを絡ませて、花びらを保持する。呪歌を歌いつつ、闇の奥から、夜の神を先導するかのようである。光の中に、浮かび上がる繊細さが、ひときわ美しく人目を惹く。

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  なんとも、神秘てきで、妖艶にして華やかなのだが、実は、これは、雄花なのである。ほんのりと甘い匂いがするが、夜の羽虫たちを呼び寄せているのだろう。しかし、翌朝日が射し始めるころには、役割を終えて、哀しいかな萎んで落下してしまう。これも、自然が与えてくれた、役どころといったものだろう。

  我が家の窓前の生垣には、あちこちに絡みついている。隣近所は、殆んどが農家で、雑草類にかんしては、神経を尖らせる。だから、屋敷周りは、大変に綺麗である。その庭と言えば、雑草一本生えていない。大袈裟ではない。真に綺麗である。カラスウリが生垣に絡みついたり、庭に草があちこちに生えているのは、だらしの無いきわみなのだ。( マア、確かに、その通り何んですけど。ハイ ) ▼ 秋になると、カラスウリは、紅に色付く。これが、また、好い。秋空のぬける青さとのコントラストは、絶妙である。という訳で、我が家の生垣には、カラスウリが、絡みっぱなしでる。

  

  


河童物語

2009-07-09 11:33:42 | 日記・エッセイ・コラム

 【 河童は、沼に棲んでいる。】ということにしておくと、人は、沼を大切にするだろうと、思ううからである。オレは久しぶりに、此の沼に戻ってきた。、沼は、此のあたりの稲作の為に作られたもんで、オレのズット昔の先祖の時代からあって、今も大切している様子だ。鉄製のヘンスが、シッカリ廻してある。だが、オレには、少々ガッカリである。人間には、イイかもしれないが、オレは、身長が足りないので、乗り越えようとして、腰蓑(カッパのパンツだ!)を、引っ掛けて、破ってしまった。周りは、コンクリートの護岸工事で、崩れないようにしてあるけれど、これでは、オレの寝る所が作れない。「ドーシテ くれる!人間の皆様には、イイ事でも、その他のモノには、不便で困ることあるんだって!」

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  岸は、遊歩道になって、桜の木が、何本も植えられている.。多分、春先それなりに、好いもんだろう。今は、夏の盛りになって来たの水面が、ヤタラと静すぎる。何処か空虚なのである。物足りないのである。

  真ん中の島は、弁天様といって、小さい祠が、祀ってあったが、見当たらない。数十羽のシラサギの住処となっているだけだ。昔は、島を中心にして、水中から、茎を伸ばした【菱】(ヒシ)が繁茂していた。此の季節には、白い小花を付け、棘のはえた実をつけ始めていたものだ。オイカワ・タナゴ・ハヤ・ドジョウなどの小魚、ウナギ・ナマズの絶好の住処でもあった。沼の泥の底には、シジミ・タニシが、足の踏み場もないほど無数に居た。そのものたちが、すっかり姿が、消えている。これでは、沼は生きているとはいえない。生物の数が、少ないと言うことは、水が死んでいくのである。

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  これは、ずうっと昔の話である。夏休みにはいると、午前10時ころから、少年たちの姿が見え始める。昼過ぎには、もう歓声でイッパイになった。この期間だけは、河童とは、少年たちのことであった。かく言うオレさまが、少年たちに委託したのだ。、沼は、岸から2~3メーターほどで深みになるので、上級向きで、それなりの泳力がないと誘いをかけてはならない。連れて来てはダメと指導したものだ。

  岸から、弁天様までは、100メーターほどだろうか。そこを目指して泳ぐ。しかし、沼の奥は、水草の【菱)〔ヒシ)に囲まれている。足を取られるかもしれない。浮き袋なんて、気の利いたモノなんかない。、「ドースル!?」

  オレは、少年のリーダーには、ソット教えておいた。(なんせ、流行のスイミングのコーチみたいに、表立って教えられんもんな) ★ 2メーター位の竹さおを2~3本用意する。泳ぐ方向に、力いっぱい流しておく。★ いちばん泳げるヤツ行ってが、適当なトコロの沼の底へ竹さおをシッカリと差し込んでおく。疲れたら、それに摑まって休め。竹さおをガイドに、ヒシに、足を取られなように、静かに進め。といった寸法である。少年たちは、繰り返し、繰り返し泳ぐ。こうして、一日の大半を過ごす。

  あまり自慢するほどのアイデアではないが、竹は、安上がりで、簡単に、何処でも手に入った。自然の中では、チョトした工夫が、遊び方を増やしてくれるもんだ。溺れた少年は、一人も居なかった。

  こうした風景が、無くなってしまった以上、オレの出番は、今は無い。また何時の日かまた来てみよう。工場が、周りに誘致されたりしているので、沼に流れ込む水質も変わってしまったようだ。子供たちが、泳ぐことが、出来るように、とは言わない。▼ 【多数の生物の生息繁殖地としての、生態系の保全に欠かせない地域資源である。】と、沼の辺に看板が掲げられている。看板の通りになることを、願う。

  

  

  

   

  

      


半夏生(はんげしょう)の咲く頃

2009-07-02 16:21:00 | 日記・エッセイ・コラム

  梅雨は、いまだ明けきらず、陰鬱な天気が続く。半夏生・・夏至から十一日目。七月二日の頃を言い、八十八夜、入梅、土用などと一緒で、夏の雑節の一つになっている。この日は、天から毒気が降るといって、菜類を絶つ風習があったという。また、雨が降れば、大雨、水害が起きると伝えられている。此の頃に【 半 夏 生 】という草が生るので此の名があるという。※〈虚子歳時記参〉 ▼ いまこの時点で、九州大分では、水害崖崩れが起きている。植えたばかりの田んぼが水没する。関東の都市部だって何時そうなるか分からない。昔は、天災の警告、今は、開発しすぎの人災かな!?

   ■ 半 夏 生

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  ▼ ドクダミ科の多年草。花をつける頃になると、梢葉の2~3枚の表面が白色に変わる。その葉のわきから、穂状花を付ける。【片白草】 【三白草】とも言う。ドクダミは苞(葉の変形)を使って小花に変身して、芸が細かい。、こちらは、葉を変色させる分、少し大まかな感じである。しかし、穂状の花の長さは、数倍あり、群生した時の白色の広がりは、迫力がある。

 「五月小暑おのずから来れども未だ覚えず、暖かなる風ふき【 半 夏 】生る。・・・(中略)・・さみ五月雨と云いて、雨ひたものふる。栗の花・ざくろの花咲く。若竹に葉出る。風に吹かれては、したしたとする。此の頃【 勧 納 】の最中なり。」 (* 勧納=田植え )▼これは、 『百姓伝記』(1680年代の農業技術書)の一説です。「こよみを見、運気をくりて、四季節」を知るのは、《物知り》のすること。一文不通(文盲)の民百姓は、太陽の沈む方向、星、風向き、万木諸草で、四季を知ること、とあります。そして、「苗代は、日々に暇なく、見舞いつつ・・」よい苗を作れとあります。

   ▼ 【半夏半生】 半夏生の咲くころまでに、田植えが終わらないと、その年は、収穫量が落ちるとされているようです。

  ■ はかどる (量どる) 田植え

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  圃場整備された田んぼ〔写真)は、奥行きで約100mある。苗は、プラスッティク・トレーに、密植されている。セットを終え、田植え機は、始動する。四条を植えながら進む。ものの10分とかからず、向こう側に到着する。捗(はかど)るのである。効率は、大変に良い。此の捗りは、石油燃料による機動化なしでは考えられないものだ。農業は、その諸々の作業手順には、プラスチック製品が関与する。苗代は、今では、田んぼの中には作らない。自宅近くの畑の片隅に専用トレーを敷き、籾を蒔き、長いホースで、水管理している。成長促進には、ビニール・トンネル・ハウスである。農業=食料自給が、今日、盛んに叫ばれてばれている。日本の食糧問題は、機械力=石油・エネルギーの問題でもあることを、まず、明記しておくべきだろう。農業の機械化・大型化は、これからも進む。工場のロボット生産ラインを、想像すればいい。

  太陽を どろどろにして 田植え衆  (鷹羽 狩行)

   こうした田植えの風景は、もう考えられない。かっての農村部は、一家総出であった。子供、高齢者はそれなりの仕事があった。また、手配師みたいな人も居て、数名の人間を何時も確保していて、人手不足の家、都合で農作業の遅れた家を手伝ったりしていた。はか〔量)は、共同作業・集団作業のときの作業単位のことである。「はかどる」は従って、作業分担の行呈の進み具合である。天候 は勿論だが、共同の細かい作業、怠りなしのの手入れの結果によって、収穫は、左右される。結果が出なければ、「はかなし」である。〔白川 静 漢字 参照)

   半世紀前の農業は、【 人間力 】に拠るものであった。今でも、手入れ次第で、一反(10アール)当たり10表(600キロ)を収穫したと自慢する古老は、何人も居る。だだし、そこには、真夏の日々の労苦と骨折りがあった。だれも、そこに戻ろうなどと、思っても見ないだるう。また、もどるべきっでも無い。農業の方法が、変わったのだから、それは、其れで良いのだ。少なくとも、人間を、技術の力で、労苦から、開放してはくれたのだから。

   ただし、今日、過っての農村共同体でのキイ・ワード【はか(量)どる】は、生産技術のコストの前に、消滅してしまった。

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    田植えの終えた田んぼは、人の姿は見えず、静かである。遠くにシラサギが、カエルを捕まえている。機械植えの稲は、人手で植えるより、遥かに密植されている。これも、雑草が稲間に生えない様にする方法なのだが、此のように、除草・施肥の方法まで、その方法が均一化されている。、従来のプロセス出来るだけ省いて、機械は、設計されている。それが、【捗る】という方法である。

  農村共同体は、消えた。明治・大正・昭和の多くの文士達が、テーマ【家とその意識】から派生する人間の喜悲劇は、結論を得ずに、古典となってしまった。農業機械化の前に、アットいうまに消え去ったのだ。だだし、個々人に分解されて、【絆】まで持ち去る方法であった。