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河童アオミドロの断捨離世界図鑑

ザスドラス博士の弟子の河童アオミドロの格安貧困魂救済ブログ。

レー王宮

2005年04月12日 | アジア
 高山病の頭痛というのは脳みそが膨張してるような頭痛(どんなんや)で、3日りんごジュースだけ飲んで寝込んでいた。4日目の朝なんとか起き上がった時は、なんというか、すがすがしいというか、子供の時の熱を出して寝込んだ翌朝のように、「生き返った」気分であった。
 ラダック地方は国的にはインドの一部であるが、文化はチベットなので、このレー王宮(廃墟)も中国チベットのラサ王宮と同じ造りをしている。空気が乾燥しているのでお肌バリバリのどカラカラ、空気が薄いので50m歩くとしゃがみこんでしまう。
 で、気づくと旅行日程はあと2日しか残ってないやないか!といって遠くまで行くと、途中で必ずやゲロ・脱糞してしまうので、タクシー(といってもジープしか無いが)で「2時間だけ走ってちょうだいね」とお願いしていよいよ「旅行」を再開した。

ホテル・ランセジュン

2005年04月12日 | アジア
ホテルに到着する。デリーの「政府公認」というあやしい旅行代理店で、「食事なしで安い宿」と頼んだにもかかわらず「3日分の朝食夕食付けときましたから5000円(金額忘れた)追加」とか無茶苦茶な要求をされた。インドでは1食100円位で済む場合もあるので5000円やったら50回食えるぞ。この日午後あたりから頭がんがん、動悸息切れ、立ちくらみ、食欲減退、下痢嘔吐、悪寒フルコースの高山病になるのだった・・・

レー郊外

2005年04月11日 | アジア
レーの郊外に近づくとポプラの木が増えてくる。気温は涼しく、日差しは熱いという不思議な気候である。「標高3500mあるので、高山病に気をつけろ」とガイドブックに書いてあったが、この時点ではなんともなかった。高山病はじわじわっと来て1日後に本格的になるのであった・・・

ラダック(レー)到着

2005年04月10日 | アジア
チャンディガル発の飛行機が天候不良で運休となる。ラダックはヒマラヤの中腹?にあるので気象条件が悪く、よく運休になるらしい。「次の便はあさって」と英語でそう聞こえたのでホテルに帰ったが「インド人の言う事は信用してはいかん」というのがインド旅行の鉄則なので、インド国内航空の事務所で確かめると「あさっての便なんて無いっす。次の便は明日の朝です。デリー発です」と言われる。
デッ、デリーって、もしかして元来た場所に戻れって事で、また列車で6時間かい。あわててホテルに戻り夕方5時の列車に乗るためにホテルを出ようとするとドアノブが根元からボコッと抜ける!(中略)結果的に部屋から救出され、夜中にデリーに着く。(中略)怪しげなホテルに連れて行かれ2倍ほどの宿代払わされ、下剤入りのチャイを飲まされる。フラフラの状態で飛行機に乗る。ヒマラヤが良く見えるようにとの機長のサービス満点の飛行で、機内はギャーッという悲鳴に満ち溢れ、ゲロ袋を握りしめる。
そうして着いたレーの町は写真のような青空の似合う何も無い土地なのでした。(別名ムーンランド=月世界と呼ばれているらしい)

チャンディガルのグル

2005年04月09日 | アジア
しばらくインド旅行記復刻版連載・・・ラダック編(2000年)

チャンディガルのグル(師とかいうような意味だったか)
チャンディガルはインドらしくない街で、建築家のコルビジェが都市計画を立ててきっちり作ったものだから味もそっけも無いのです。なぜこの街に来たのかというと、ラダックまで行くのに、ここからの飛行機しか空席が無かったからなのです。
デリーからここまではまあ順調に来たのですが、ここから先が問題だらけなのであった・・・続く

オールドデリーでの怪しげな宴

2005年04月08日 | アジア
なんかのはずみで旅行代理店のおっちゃんの家に泊めてもらい、オールドデリーの路地裏の屋上での宴会のようなものに連れて行かれる。参加者全員おっちゃんで(元々インド人のおっちゃんは男どうしでも手をつないで歩いているので友情が固いのか・・・)どうやら政治集会のようなものらしい。
次の朝、列車でチャンディガルへと向かう。