hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

(木11甲)新木場駅〜若洲キャンプ場に乗って

2022-04-10 05:00:00 | バス
『バスシリーズ』その26。都営バス『木11甲若洲キャンプ場行』に乗ることにした。まずは東京メトロ有楽町線新木場駅まで行く。新木場駅は木場にあった貯木場を移した埋立地にあり、元は木材加工業者と夢の島敷かない場所だったが、駅周辺にはかなりビルも建設され来ている。



昼少し前に到着したので構内にある東京メトロ直営の『メトロ庵』で立食いそばを頂く。以前も錦糸町駅で入ったことがあるが、オーソドクスなタイプ。430円のかき揚げそばを選びカウンターに出すとすぐに作ってくれ、かき揚げは最後に載せる。



席はいくつかあり、七味を振って頂くが、やや甘めのツユ、パリパリのかき揚げ、温めた茹でそばは期待通り。わずか3分で食べ終わる。



駅前はバスターミナルが整備され、デジタルビジョンで乗り場案内がある。本日乗車する『木11甲 若洲キャンプ場』は1番。平日の11時以降は1時間に1本の間隔で運転される。

12時7分発を待つお客さんは7人ほど、この系統は東陽町始発又は新木場始発で若洲キャンプ場に向かうが、同じ系統番号でも途中から東陽町・木場方面に循環するのもあるので注意が必要である。



バス停で待っていると1分前には到着。乗客を乗せるとすぐに出発する。ターミナルを出て左に曲がり、しばらくは真っ直ぐ木材加工業者の間を走る。



東千石橋を越えて広い道を右に曲がり、東京ヘリポートに到着。前のヘリポートにはヘリコプターが多数待機している。



若洲橋を超えると若洲スプリングスゴルフ場。ここで4人下車、私以外の乗客が1人となる。

休日はこの道をまっすぐキャンプ場に向かうのだが、平日は右折。トラック整備工場などの中をぐるっと左回りに回る。

この辺りから風力発電の風車が見え始め、さっきの広い道路を右折すると東京ゲートブリッジが見え始める。



橋に向かう道はまっすぐだが、バスは左の側道を周り、終点若洲キャンプ場前に到着。15分のバス旅は終了した。

十六文そば七〜小伝馬町ランチグルメ

2022-04-09 05:00:00 | グルメ
小伝馬町で蕎麦屋を新規開拓、明らかに問屋の多い町は会社の多い街並みにも蕎麦屋とラーメン屋はある。小伝馬町を歩いていて何軒か見かけたうちのI軒にお邪魔した。

店の名前は『十六文そば七』、店の通りにはちゃんと案内板が出ているのでわかりやすい。

店の名前の十六文は2×8すなわち二八蕎麦(蕎麦粉8、小麦粉2)のことと思われる。ビルの中だが懐かしい門構え、中に入っても同じように時代がかっていて大きなボンボン時計が時を刻む。

どうもセットがお得なようで蕎麦も頂きたいので『ミニカツ丼セット、かけそば』(900円)をお願いした。

席は完全にアクリル板で覆われていて小さな窓から注文の品を入れる。まるでラーメンの一蘭のようである。

まずはお茶と漬物と振りネギから到着。漬物はぬか漬け胡瓜3切れである。

次にかけそば、この界隈では珍しい薄くて澄んだツユに細めの麺、三つ葉が散らしてある。こちらから頂くが、麺は喉越しがいい。ツユの味も東京風というよりは関西風、蕎麦のツユだけでなく、すまし汁としてもいけそうである。

次いでミニカツ丼の登場。丼は普通サイズ、カツは3切れ、これを玉子で溶いてある。やや固めはありがたい。食べ始めるとまず厚いカツに驚く。厚いと言っても柔らかく実に食べやすい、ご飯はミニなので少なめ、丼汁は蕎麦と異なり、しっかり甘辛い。ただ、このように薄味と濃い味のコントラストは実にいい。よく味の染みた玉ねぎとカツをたべ、蕎麦ツユを合間に頂く。いや、最高である。

店は馴染みの客ばかり、1階が混み出すと注文をして2階に上がって行く人が多い。また、壁に貼られた日本酒も中々のもの、蕎麦飲みをするために訪問したい店である。ご馳走さまでした。


十六文そば七
中央区日本橋小伝馬町17ー6
03 36614403

『創業の地を歩く』⑦〜神保町付近

2022-04-08 05:00:00 | 創業の地
『創業の地を歩く』その7。法政大学の発祥の地の横にはもう一つ石碑があり、『大久保彦左衛門の屋敷跡』とある。大久保彦左衛門は時代劇では見たことがあるものの、人となりはあまり知らないので調べてみた。

大久保彦左衛門は通称であり、本名は大久保忠教。徳川家康、秀忠、家光と3人の将軍に仕えたが、あまり世渡りがうまくなく、兄が沼津藩主になったが兄の子が早世したため、養子に入る話を断り、改易されたこともある。80歳と当時ではかなりの長生きであった。講談などでは天下のご意見番と呼ばれているが、徳川幕府成り立ちから武勲をたてた武士であったことは間違いない。

駿河台下まで降り、神保町を左に曲がると学士会館が現れる。その建物の横にあるのが『日本野球発祥の地』の石碑。巨大な右手がボールを握る意匠である。

石碑によると、『1872年東京大学の前身である開成学校に教師として招かれたアメリカ人牧師ホーレス・ウィルソンが生徒たちに野球を教えた、これが日本野球の始まりである』とある。そばで見ると爪やボールの縫い目まである中々生々しい石碑である。



学士会館正面には『わが国大学発祥の地』という石碑がある。1877年(明治10年)4月12日に開成学校と東京医学校が合併してこの地に東京大学が開学したものである。



おまけとして、向かい側には共立女子大学並びに共立講堂がある。共立講堂の前にはやはり共立女子大学の校舎完成のオブジェもあった。






和太郎〜浜町ランチグルメ

2022-04-07 05:00:00 | グルメ
『立食そば』は東京にはたくさんある。富士そばや小諸そば、ゆで太郎のようなチェーンから個人経営の店まで様々な業態があり、特色があって面白い。しかし、やはり蕎麦文化圏なのか、うどんの立食いは珍しい。

しかし、浜町にあると聞きつけて早速お邪魔した。店の名前は『和太郎』、しかし大きな看板には『讃岐うどん』と大書きされたのみ。手の消毒をして店内に入ると学校の教室のように前向きの席が間隔を置いて設えられ、奥は立食いスペース。左側に釜があり、天ぷらなどがカウンターに並んでいる。



中に中年のおじさんが1人、『何にしますか?』と聞かれる。『かけの中』というと次は天ぷらチェック。玉子、鶏、野菜かき揚げ、コロッケ、かぼちゃ、芋、ゲソ、茄子、ちくわ、ごぼうなど。奥にはあるある生姜天、さらにイカを取って会計に。500円を払う。奥には揚げ玉がざるに乗っていて小さめのおたまがあり、『2杯まで』とある。これに倣い2杯投入、他にもオロシ生姜、ワサビ、胡麻などはかけ放題。さらに水を取って席に着く。

うどんは細め、あまり腰が強くない稲庭うどんタイプ、喉越しがよく透明な関西風の出汁もいい。まずは生姜天から食べるが、細切りの紅生姜の味が程よく塩が効いていてうどんによく合う。

次いでイカ天ぷら、天ぷらはいずれもかすかに暖かい程度のため、あまり取りすぎてツユに入れるとヌルくなるから注意である。

途中、2人連れが席を移動して向かい合わせにするとやんわり注意するほど、感染対策にはこだわっている。



それにしてもお客が帰るとアルコール消毒したり、まめなご主人のよう。店は古びているが好感が持てる。ご馳走さまでした。
和太郎
中央区東日本橋1ー1ー1

神田〜秋葉原を散策する②

2022-04-06 05:00:00 | 日記
岩本町水飲み広場を後に秋葉原方面に向かうと神田川に架かる橋がある。これが和泉橋、親柱の隣にはコンクリートの柱。



よく見ると昭和8年と書かれており、はさむように丸い木の柱の跡がある。多分、戦前に事あるごとに日の丸を掲げていた旗の掲揚台だろうと思われる。


和泉橋は北側に伊勢津藩主藤堂和泉守(高虎)の屋敷に因むものである。橋の横には防災用の船着場があり、かもめがのんびりと日向ぼっこをしていた。

川に沿った道は柳原通りと呼ばれている。これはかつて川沿いにあった柳原土手に因むもので、江戸時代に葦簀張りの店で古着を売っていたが、これが岩本町の古着屋のはじめと考えられている。



柳原通りには戦前からの建物がまだ現役として残されている。海老原商店は明治の創業でこの建物は1928年築、古着を扱うお店である。

数軒隣にあるのが、岡昌裏地ボタン店。創業は1897年。建物はこちらも1928年築であり、こちらも現役、2階部分の銅板細工は見事である。



柳森神社もかなりの時代物。1458年に太田道灌が多くの柳を植え、伏見稲荷を勧請したことに由来する神社である。



鳥居をくぐるとすぐ右手に浅間神社と富士塚がある。さらにその先には大きな石がゴロゴロと置いてあるが、これはかつて力自慢のものが差しあげた力石である。



その奥には秋葉神社、明徳稲荷、金毘羅宮など狭い境内にいくつもの末社が祀られている。(秋葉原の由来にもなった秋葉神社は別)



本殿の手前にはおたぬきさまという祠。これは5代将軍綱吉の母、桂昌院が江戸城内に福寿稲荷として創建されたもの。明治2年に柳森神社に合祀されたのだが、他を抜いて玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうとお狸様を崇拝したと言われる。今もお守りに狸が使われている。

他にも狸の石像がたくさん置かれているが表情が色々あって楽しい。ただ、腹が出ているところは共通している。



また、柳森神社の御朱印が面白い。菓子箱の中にセットで入っていて参拝者が自ら押す仕組みである。お金は賽銭箱に100円を入れることになっている。



柳森神社の先に神田川を渡る人道橋『神田ふれあい橋』がある。総武線鉄橋と並行して作られていて渡るともう秋葉原駅まではすぐのところに出る。








そろそろ勝とうぜタイガース〜阪神ファンの戯言

2022-04-05 05:00:00 | 阪神タイガース
開幕戦のあのドタバタが後を引いたのか、もともと実力がないのか、よく分からないが、月曜日はストレスがかからずほっとするなんて悲しい話である。

スポーツニュースでも話題がなくなると矢野監督の悲痛な顔のアップ、あまり野球が分からないうちの5歳の孫まで何であのチームだけ勝てないのと聞かれる始末。記録らしいがそんなことを気にせずに真面目に取り組めば良いと思う。日曜日にNHKで落合博満が『ああなればエースが完投するか、打線が手がつけられないほど打つかしないとね。』と言っていたが、まんざら嘘ではなさそうである。

初戦を別にして今までの流れを見直すとヤクルト2、3戦は左投手にいいようにやられ、取り返そうとする気が強すぎて空回り。

広島の初戦はやっぱりダメだと思ったケラーをストッパーとして投げさせ、しかも最後は変えるという心中はしない中途半端な負け。2戦目は伊藤を引っ張りすぎ、さらに3戦目は秋山がプレッシャーのかかり過ぎ。

巨人の初戦と3戦は藤浪とガンケルが不用意な球を投げて1球で試合を壊してしまう。2戦目もホームランを浴びすぎ。東京ドームでやっていることを忘れているのではという投球。しかし、1、2戦は相手のクローザーを追い詰めただけでも収穫はあったはずである。

と、投手の観点から今までの9試合を見てきた。やはり阪神ファンのため、やや甘めの評価だが、相手によって負け方は様々。もちろん、マルテの不振やチャンスに弱い佐藤など打撃・守備には問題があるが、好不調は交互にやってくるので心配はしていない。

あと当たっていない横浜・中日の2チームの今までの戦い方をみて、横綱相撲をしようとするのではなく、けたぐりや引き落としでいいからとにかく勝機を探して欲しい。
初戦を除いて今までの試合で先制したのは4回、しかも2点を超える得点は1回もない。やはり大量得点か、エースの頑張りか、しかない。今日から甲子園、開幕戦のつもりで西勇輝投手に今夜は託してみたい。(脱稿、4月4日PM11)

『創業の地を歩く』⑥〜お茶の水付近

2022-04-04 05:00:00 | 創業の地
『創業の地を歩く』その6。今回は水道橋から神保町方面に歩きながら創業の地を探して行くことにしたい。



水道橋駅近くのガードを越え、東洋高校を左に曲がると小栗坂がある。小栗坂は江戸時代にはこの奥に小栗家という旗本の屋敷があったことに因む。

坂を下ると二又になるが、左側の道を歩くと旧明治大学明治高校のグラウンドのところに『東京音楽大学発祥の地』の石碑がある。明治40年(1907年)東京音楽大学の前身である東洋音楽学校がこの地で生まれたとある。日本の私立音楽大学では最古で、卒業生には淡谷のりこ、黒柳徹子、船村徹などの錚々たる人たちがいる。

旧明治大学明治高校の脇を通り、78段の急な階段坂である男坂を登る。関東大震災の復興事業で新たに2つの坂道(階段)ができたが、傾斜が厳しい方を男坂と名づけただけで別に神社があるわけではない。

坂の頂上を右に曲ると左側にクラシックな建物が出てくる。これが文化学院の発祥の地、今はBS放送局が入っている。文化学院は1921年に西村伊作により作られた『学校令に縛られない自由な学校』として設立、与謝野晶子や石井柏亭などが賛同した。



このアーチ型の校舎ができたのは1936年、軍部から目をつけられ、西村伊作は投獄、また連合国の捕虜収容所とされたが、それゆえに空襲を免れた。モダンな校風で芸術を教えていた学校だったが、惜しまれながら2018年に閉校してしまった。今もその建物は残されている。



真っ直ぐ歩き、広い通りを渡ると杏雲堂病院が出てくるが、その前には『法政大学発祥の地』の石碑。



石碑によると『法政大学の前身である東京法学社は1880年にこの地に設立。翌年には東京法学社の講法局が独立して東京法律学校となり、フランス人法学者ボアソナード博士による講義が始まった。その後、和仏法律学校を経て1903年に法政大学と改称された』とある。それにしても明治大学本部校舎の真ん前が法政大学の発祥の地とは思わなかった。(以下、次回)

◯鈴〜神田ランチグルメ

2022-04-03 05:00:00 | グルメ
神田は人形町と並んで坦々麺の店が多い。そんな人形町に勤めているとついつい新しい坦々麺の店があると入ってしまう。今日、お邪魔したのは『丸鈴』、以前は味仙という名古屋に本店を置く台湾ラーメンの店があった場所(もう1店は神田駅北口にある)を居抜きで改装したようである。



店の入口には坦々麺専門店とある。麺の種類は4種類、坦々麺・汁なし坦々麺・酢紅(さんほんめん)・醤油ラーメンから選ぶ。

入口に券売機があり、『排骨坦々麺』(1000円)を選択。カウンターで店の人に渡すと麺の茹で方と辛さを聞かれた。茹で方は普通だが、辛さではいつも悩む。初めての店だからと中辛にしておく。また、ライスは無料とのことで半ライスにしておく。



店内の客は奥のボックスに女性が1人いるのみ、店の人はすぐに私の麺に取り掛かる。5分後に坦々麺が到着。

大きめの排骨は厚めでボリュームもありそう。青みは青梗菜、細いが間違いない。スープを一口、かなり辛いが何処かで飲んだスープである。そう、いつも人形町で行っている寿限無という店に酷似している。

麺も細め、先ほどの寿限無よりは少し太いが、坦々麺専門店で細麺は少ない。また、排骨は五香粉の香りがして美味いが、これも寿限無そっくり、大きさはこちらの勝ちだが。



そういえば寿限無もこのお店も皆さん中国の方ばかりである。馴染みの店によく似ているのはライスにサービスでついている黄色の沢庵も同じ味、好きな店と似た味付けで少し安く、さらに排骨も大きいとあって一気に好きになった。

次は『酢紅麺』(寿限無ではサンラー麺)にも挑戦したい。ご馳走さまでした。

坦々麺専門店 丸鈴
千代田区神田鍛冶町3ー3ー21
0362852686

神田〜秋葉原を散策①

2022-04-02 05:00:00 | 日記
『神田』エリアは古いものと新しいものが共存する中々興味深い街である。神田駅北口を降りて靖国通りを北上するとうなぎで有名な『きくかわ』のクラシカルな建物が出てくる。お隣は蕎麦の『尾張屋本店』である。





右に曲がるとまずは中央線のガード『黒門橋架道橋』、続く東北線ガード『東松下橋架道橋』をくぐる。『東松下町』は神田東松下町だが、『黒門町』の方は昭和22年に黒門町、上白壁町、下白壁町、紺屋町、鍋町、松田町、塗師町、新石町、竪大工町が統合、鍛冶町2丁目になったのだが、この古い町名を使っているのである。



今も赤煉瓦造りで大正8年に開通して以来の橋であろう。



もう少し真っ直ぐ歩き、左に曲がると靖国通りに再び出る。すぐに岩本町駅の入口があるが、この辺りは『千代田区神田岩本町』、昭和通りを渡ると『千代田区岩本町1〜3丁目』、何が違うかと言うと昭和通りの西側の僅かなエリアだけが住居表示未実施地区で未だに番地しかない。

ただ、この辺りの東松下町、紺屋町あたりも皆同様に住居表示は昔のまま。ただ、岩本町と鍛冶町はその一部が未実施となっているのである。



岩本町交差点は水天宮通りと昭和通りがY字になり合流、さらに靖国通りと交わる大きな交差点でその三角地帯とも言うべき部分は芝生が張られている。立て札を読むと『岩本町馬の水飲み広場』とある。



昔からの交差点で江戸時代から東北や房総方面から来る荷車を引く牛馬の水飲み場として、また、街道を往来する人の休息場として重要な役割を果たしてきたとのこと。

今は周囲をひっきりなしに車が通るが昔に思いを馳せるとのんびりしたところだったのかなあと思わせる場所である。(以下、次回)

東京餃子楼〜日本橋ランチグルメ

2022-04-01 05:00:00 | グルメ
COREDO室町のレストランもコロナ禍のせいでかは分からないが、入れ替わりが激しい。COREDO2の地下にはよく行くが『とんかつ寿々木』が昨年閉店、その後に『東京餃子楼』という店が入った。

早速行くが、以前の店よりテイクアウトコーナーが広くなった気はするが、基本的には居抜きでの入居である。



店に入るとカウンターに案内される。席の仕切りにはアクリル板、さすがにコロナ禍も2年続くと慣れてくる。大きな字で書いたメニューの左側は餃子と麺、右側がサイドメニューとなっている。特にランチセットはないので6個入りの焼餃子(320円)と白湯ラーメン(740円)をお願いする。

店内は何故か1人の女性の姿が多い気がする。すぐに私の向い、左側に1人ずつ2組。入りやすいのかもしれない。



すると焼き餃子が到着。醤油、酢、大きな入れ物の自家製ラー油でタレを作るが、まずはそのまま。十分に味がついていてラー油だけでもいける、これは美味いぞ。

皮は薄く、野菜たっぷり、ニンニク・ニラがしっかり効いているし、ジューシー、味もしっかり。もちろんたっぷりラー油のタレをつけてもいい。(メニューではニンニク・ニラなしもあるとのこと。)

するとラーメンも到着、厚めのチャーシューが2枚、あとは青ネギだけのシンプルな白湯ラーメン。一口スープを呑むが優しい味付け。女性の人気が良くわかる。

チャーシューはホロホロで美味いが、まあラーメンは平凡だが、及第点。

最後はスープに自家製ラー油を垂らし頂くがかなり味が変わり、美味しく頂くことができました。1人の客が多く、早めに出てくるのでランチにはぴったり。ご馳走さまでした。
東京餃子楼COREDO室町2店
COREDO室町B1
0352999620