hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

おくとね〜新橋ランチグルメ

2022-02-18 05:00:00 | グルメ
新橋駅は何となく立ち食い蕎麦が似合う街のような気がしたが、それほどない。JR新橋駅改札外にある『かのや』はもともとはうどん屋さん、新橋駅前ビル1階にあった椎茸そばで有名な『三松』は昨年5月閉店(今は中華そば)といった状態。

しかし、どっこいB1にある『おくとね』は今も盛業中。とにかくおじさん、しかも常連の多い店で厨房も2人のおっさん。券売機で食券を買うのだが、取り敢えず『たぬきそば』(350円)にしてみる。

後でネットでみると舞茸天そば(460円)が一番人気のようである。食券をカウンターに置くとすぐに茹で麺を温め、木の鉢に入れてツユを張り、揚げ玉とネギを入れてくれる。

1分ほどでお待ち!と言われて丼を受け取る。この店も完全立食い(椅子なし)である。七味を振り、食べ始めるが、ツユが熱い。ただ、立食い蕎麦は熱いからなおうまいような気がする(そのため、ツユが温めの富士そばは好みではない。)

この店のツユは他の店に比べて色が薄め、しかし一口飲むとわかるが鰹などの出汁がたっぷり使われていて辛かったり甘すぎたりということはない。麺はあくまで茹で麺だが、喉越しもいい。自家製天ぷらの店の揚げ玉が美味いのは当たり前である。

あっという間に完食、TVの北京オリンピックのカーリングも見ている暇もなかった。ただ、他の人を見ているとやはりネットにあるように舞茸天が人気がある。一度食べたいなあと感じた。

ざっけない店ではあるが、食べログ3.60は伊達じゃない理由がある。それでも新橋駅前ビルの地下は市井のサラリーマンが一時の温もりを求めて来店し、満腹になって出て行く新橋らしい場所であった。ご馳走さまでした。

おくとね
新橋駅前ビルB1
0355683590

六本木付近の坂道④

2022-02-17 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その150。スペイン坂を再び登り、右側にある小さな公園を抜けると下り坂がある。この坂道が『道源寺坂』、下っていくと右側にお寺が。



坂の真ん中には大きな木が生えていて当然車は通行できない。お寺はもちろん道源寺、江戸初期に開山した浄土宗の古刹。周りは高層ビルになってもポツンと残されている。



坂上を右に行くと泉ガーデンレジデンスとアークヒルズサウスタワーの間に道があり、それを行くと野村さんという一戸建の家。



突き当たりは泉ガーデンタワー、昔は同じような家が何軒もあったのだろうが、周囲の開発が進み、取り残されたように映る。
道源寺坂とスペイン坂はほぼ同じところを起点・終点としている面白い坂道。



坂の上を右に曲がり歩くと出てくるのが『御組坂(おくみさか)』。この名前は江戸時代、幕府御先手組(戦時は先頭部隊、平時は放火盗賊を取締る)の屋敷が南側にあったため、付けられた。



坂を降りて少しスウェーデン大使館の方に戻り、次の交差点を右に行くと『しいのき坂』となる。この坂道は仙石山テラスや六本木ファーストビルなどと共に2012年に開発された区画の一部である。



しいのき坂を降りると霊友会のピラミッド型の建物が見えてくるが、この辺り一体は現在大規模な区画整理中。『虎ノ門・麻布台地区市街地再開発事業』といって22haにもわたる区画整理のために従前の道も含めて土地の形まで変わりつつある。

そのため、かつての麻布我善坊谷町あたりは影も姿もなく、我善坊寺坂、落合坂、行合坂は既に失われていた。

ただ、麻布小学校の前にある『行合坂』の標識だけはまだ残されていた。坂巡りをするのが遅くなったため、見ることができず、悔やまれてならない。



麻布小学校から飯倉、さらに六本木駅まで歩くが、コロナ禍の影響か、店が随分と変わっており、知らぬ間に色々と変わった事実に驚かされた坂巡りとなった。



それにしても江戸時代から今も坂道があり、古い由来名前がある一方で、昭和・平成の再開発でつけられた坂の名前もある六本木はカオスの街である、


盤古殿COREDO日本橋店〜日本橋ランチグルメ

2022-02-16 05:00:00 | 日記
久しぶりにCOREDO日本橋に入った。かつては火事で有名になった白木屋デパート、これを東急が買った東急百貨店日本橋店があったが、再開発され、2004年に現在の姿になった。地下1階と4階に食堂街があるが、特に4階の店のラインナップはよく変わる。昨年秋にはよく来ていた『皆美日本橋店』も撤退、ほかにもカレーうどんの古奈屋や韓国料理の妻家房なども閉店していた。

今回は元気に営業している『盤古殿』にお邪魔した。1時近いこともあり、店はがらーんとしていた。ランチメニューも豊富で麻婆豆腐丼やチャーハン、青椒肉絲・黒酢酢豚のランチ、麺類など多彩である。その中で黒酢酢豚のランチにした。



待っているとお茶を持ってきたフロア担当の女性がランチタイムはコーヒー無料です、と言われ、ホットコーヒーを頂く。

それほど待たずにランチがトレイに乗り登場。酢豚以外にサラダ、スープ、漬物、ライスが付いてくる。まずはスープから頂くが賽の目にカットした豆腐とかき卵、さらに賽の目にカットした人参などが入ってとろみを付けたもの。一口目は熱くで驚いたが、中々レベルが高い。



ミニサラダは胡麻ドレがかかっていて、生野菜不足にはちょうどいい。

黒酢酢豚に移るが、豚の肉片が12個くらいある。付け合わせ野菜はきゅうり、ニンジン、カボチャ、玉ねぎなどが素揚げして入っている。黒酢独特の香りが豚肉によく合い、もちろん揚げたてでありかなり美味い。

きゅうりを揚げるケースは少ないがあっさり。この味はライスが進む。最後は肉が余るくらいで私には十分すぎるボリュームであった。



窓際からは永代通り、中央通りが一望でき、ゆったりした気分でランチの頂けるお店である。ご馳走さまでした。

盤古殿
COREDO日本橋4階
0362810991

懐かしのスタンプラリー②〜東京モノレールの駅に行く

2022-02-15 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その152。『懐かしのスタンプラリー』②、50駅を巡るスタンプ帳を手に入れた上野駅で最初のスタンプを押印することから始める。



上野駅はパンダ橋に向かう下谷口にスタンプが備えてある。前回もこのNewDaysでスタンプ帳をゲットした。

続いて東京駅、こちらは丸の内南口の赤いポストの隣にある。私が昭和42年に初めてDJ印を押した記念すべき場所にある。



さらに新橋駅、日本鉄道の発祥の地。ここは南口を降りたすぐ左側にスタンプ台がある。



そして浜松町駅、構内にはションベン小僧を記念したオブジェもある。

ここはみどりの窓口の横にスタンプ台があるが、何人か列ができていた。

今回はJR東日本として初めての試みである東京モノレールの2駅にスタンプを設置した。東京モノレールは様々な経緯があり、日立運輸の子会社だった時期もあるが、2001年にJR東日本が経営に参画、さらに翌年にはJR東日本の完全子会社となっているのである。まずは大井競馬場前駅に行く。浜松町駅を出たモノレールは天王洲アイル駅に停車、この先は京浜運河に沿って走る。これだけ海沿いというか、川沿いを走る路線は東京にはあまりない。



大井競馬場前駅は可愛らしい三角屋根の駅舎があり、スタンプは改札口を出たところ。スタンプ台の横には1965年開業当時のポスターがあったが、浜松町〜羽田空港間に初めての途中駅として設けられたもの。



次は羽田空港第二ターミナル駅まで行く。モノレールの駅は羽田空港第三ターミナル、第一ターミナル、第二ターミナルと並んでいてかなりわかりにくい。



この駅で降りて飛行機に乗らなかったのは初めてである。取り敢えず6駅、50駅まではまだまだである。


来来飯店〜人形町ランチグルメ

2022-02-14 05:00:00 | グルメ
流石にこれだけオミクロンが暴れまくっている中で居酒屋で一杯とはいかず、再びランチばかりのレポートとなってしまっている。今日は事務所から近い中華屋さんに『台湾ラーメン』があるというのでわざわざ訪問。

店の名前は『来来飯店』、経営は全て中国人のみでやっている。コスパはいいようで外で売っている弁当も450円とかなり安い。

店に入ったのが11時45分、広めの店だが先客は1人とやや不安。奥まった席に案内されるが、店内の温度は低い。私がコートを脱がないと慌ててエアコンを点けてくれた。注文は『台湾ラーメン』、サービスで小チャーハン付で800円。とにかくやかましい店で皿を落としたり、大声で厨房に注文を知らせたり。この声だけ聞いていると喧嘩でもしているようである。



少しして12時が近くなると4人、2人、3人と纏まってお客さんが入店。新たなお客さんがくるとみんな奥に集めている。どうもエアコンを節約するためのような気がする。

5分ほどで台湾ラーメンが到着。しかし、挽肉ともやしを炒めたものが乗った普通のラーメン。スープもいい味ではあるが、全く辛くない。おかしい?と思ってよく考えるとこの店は台湾人の経営する台湾料理の店。台湾ラーメンは名古屋名物。日本人が戦後考えたものであり、台湾の人の作ったラーメンとは違うのである。

やむなく胡椒とラー油を大量に投入して雰囲気だけを出し、食べすすめた。やはり名古屋名物の台湾ラーメンが食べたいときは神田の店(味仙)に行かなくてはならないようだ。


チャーハンはジャーから出した作り置きで特に旨くもないが、台湾ラーメンそのものはほうれん草とシャキシャキもやしにたっぷりのミンチ、スープもかなり美味いし、問題なし。ただ、ニラたっぷりの辛い赤いスープを期待していたのが外れたのはショック。しかし、メニューも豊富だし、改めてこの店も来たいと思った。ご馳走さまでした。ただし、全ての席が喫煙可能という点はお忘れなく。
来来飯店
中央区日本橋小舟町1ー9
0336669208

『あの日を追いかけて 懐かしの駅スタンプラリー』に参加する①

2022-02-13 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その307。またも始まってしまいました。というのも、JR東日本の『あの日を追いかけて 懐かしの駅スタンプラリー』と題するスタンプラリーが始まった。前回は昨年7月に都内を中心にスタンプを新たに作成したものだったが、今回は国鉄時代にやっていた『わたしの旅』スタンプの復活版。これをJR東日本管内(東京モノレールの2駅も含む)の50駅に設置した。

スタンプラリーは2段階、まずは駅備え付けのパンフレットを持って10駅回り、指定されたNewDaysで500円の買い物をしてパンフを出すと『50駅踏破用のスタンプ帳』と『復刻時刻表風のオリジナルノート』が貰える。このスタンプ帳を持って改めてスタンプ帳にある50駅のスタンプを押す(一度回った駅のスタンプは切り貼りすることは可)というもの。



まずは東京駅でパンフを貰い、押印。その日は家の最寄りの吉祥寺駅まで行き、押印。

残りの10駅はまず恵比寿駅まで行き、五反田、大崎、品川、田町、浜松町、新橋と押して回る。まだスタンプラリーが始まったばかりのためか、いずれの駅にも同じ目的の人々が列を作っている。



スタンプは『わたしの旅』と同様に形状が丸、四角、五角、六角の4種類。また、スタンプの色は赤、黒、紫の3種類があり、例えば『五角・紫』は味覚が特色の駅、『四角・黒』は自然の景色が特色の駅となっている。大きな変更点はスタンプがかなり小さくなったこと、今までスタンプが無かった駅にも新たに16駅スタンプを作ったことなどが挙げられる。

スタンプラリーでも実際のスタンプをスタンプ台でインキを付けて押すのが慣れていない面々が多く、力強く惜しすぎるためスタンプが磨耗しないかが心配になる。



取り敢えず私は上野駅で10番目のスタンプを押印、50駅用のスタンプ帳はゲットし、スタートラインに着くことができた。しかし、今回50駅を走破するには北は熊谷・小山、南は小田原、西は八王子・高尾、東は成田・木更津と範囲がかなり広く、主催者の仕掛け通りかなり鉄道に乗らざるを得ない。遠い駅をどのように効率よく回るかがカギになるだろう。じっくり作戦を立てなくては。

また、蛇足だが、時刻表風ノートは昔懐かしい時刻表のページやチャレンジ5万キロの記事などが掲載されていてスタンプファンには堪らないものとなっている。

吉そば〜日本橋ランチグルメ

2022-02-12 05:00:00 | グルメ
株式会社ノアと聞いてもあまり馴染みはないかも知れないが、ほぼ山手線内で13店舗の立ち食いそば店を経営する『吉そば』と言えば知っている人も多いはず。

実は創業124年の老舗であり、三重県桑名市の醤油にこだわるお店、そのため、江戸前の店に比べてツユがまったりしている。
久しぶりに日本橋店に行ってみた。この店は椅子のない『リアル立食い』のお店、それでもカウンターはアクリル板で隣と仕切ってある。入口に2つある券売機でかき揚げそば(440円)を選択、お店の人に渡すと『蕎麦でいいですか?』と聞かれ、うなづく。

もう1人の年配の人が蕎麦を釜に入れて温め、それを機械で洗濯機の様に湯を切る。もう1人がかき揚げ、ネギと乗せて、ツユをお玉一杯、私の前にかき揚げそばが到着する。

七味を振り、割り箸を割って食べ始めるが、せいぜい2、3分である。蕎麦は茹で蕎麦、個人的には立食い蕎麦はこれで十分と思っている。ツユは桑名産だけあり、甘味料不使用でもやや甘め、いわゆる立食い蕎麦らしい味だが、濃すぎることはない。

かき揚げはバリバリ系ではなく、ややしっとりしている。中身は玉ねぎ、ニンジン、ネギと思われる。これを壊しながら蕎麦を食べすすめていく。



格別に美味い訳ではないが、間違いのない、安心する立食い蕎麦である。一気に身体は暖かくなり、次の訪問先を目指す。便利な食べ物ということを再認識した。

店の滞在時間は10分に満たないが、これもちょうど良い。ネットで調べてみると吉そばの原宿にある系列店は茶蕎麦の専門店らしい。こちらも一度訪れてみたいものだ。ご馳走さまでした。

吉そば日本橋店
中央区日本橋室町1ー13ー1
0332795928

六本木付近の坂③

2022-02-11 05:00:00 | 日記
『東京の坂、日本の坂』その149。六本木の坂道もまだ完登しておらず、赤坂方面から訪ねることにした。東京メトロ銀座線溜池山王駅で降りて一番端にある13番出口から地上に上がる。



次の信号を左に曲がるとアメリカ大使館まで物々しい警戒のため、歩きづらいが大使館に向かう道が『榎坂』、江戸時代には榎があったと推定されるが、殆ど勾配もなく坂道らしくない。



赤坂インターシティまで戻り、左に曲がると坂道となっているが、これが『新榎坂』、多分先ほどの榎坂にちなみ付けられた。この道自体は2005年の赤坂インターシティの完成に伴い作られたもので坂の上には案内板がある。



この坂上から右手に降りていく坂が『桜坂』。短い坂であるが、明治時代に作られた道である。名前は坂下に戦災までは大きな桜の木があったために付けられたもの。アークヒルズ完成時に左右に桜の木が植樹され、春には美しく咲き誇る。



坂上まで戻り、右に歩くと次の角を左の方に登って行く坂道があるが、これが『鼓坂』。こちらも明治以降に開かれた坂道だが、由来はよくわからない。



鼓坂を登り、突き当たりを右、さらに左と歩いて行くと緩い坂道の下にアークヒルズアネックスの前に出る。これをほぼ真っ直ぐ降りていく坂道があるが、これが『三谷坂』。

坂下はかつての麻布谷町だが、それ以前は今井三谷町と呼ばれていてそこから名前がつけられたものである。元は南に曲折する坂道だったがアークヒルズの開発により途中から先は失われ、今の短い坂道のみが残っている。



三谷坂の上まで戻り、左に歩くとスペイン大使館、その先に泉屋博古館東京分館がある。その先を右手に折れて下る坂道が『スペイン坂』、この道がスペイン大使館につながる事からアークヒルズ完成時の1981年に命名された新しい坂道である。(以下次回)

うさぎや〜浜町ランチグルメ

2022-02-10 05:00:00 | グルメ
人形町というより浜町近くにある蕎麦屋さんにお邪魔した。店の前まで行くのは2度目だが、昨年お邪魔した際にはコロナによる休業中のため断念した。今も当時と同様にコロナは収束していないが、店の前にはウサギが染め抜かれた暖簾がかかっていたので早速入店した。


店はこじんまりして和モダンの造り、席数は20席。既にかなりが埋まり、一つ空いていた4人席に座る。目の前には蕎麦打ちの台もあり、打ち立ての麺を食べさせてくれるのがよくわかる。

メニューを見ると蕎麦の品数は少ないが、せっかくなので蕎麦を味わうべく『二色蕎麦の大盛』(1300円+400円)をお願いする。蕎麦は3種類(田舎、更科、季節・柚子切り)から更科と柚子切りを選ぶ。

蕎麦茶と揚げ蕎麦が供される。揚げ蕎麦も蕎麦茶も香ばしく、しばし凌ぐにはちょうど良い具合である。

7、8分待ったところへ御膳に乗った蕎麦が運ばれてくる。左半分は少し黄色がかった柚子切り、何もつけずに一箸目を頂くが、柚子の心地よい香りが鼻に抜ける。蕎麦はやや硬め、半透明のように感じられる。次いで蕎麦ツユを付けて一口、変わり蕎麦の中でも柑橘系を使うと爽やかである。

振りネギ、ワサビも入れて蕎麦ツユで更科を頂く。ネギの厚さもすりおろした山葵の辛さもいい具合。更科の方が少し柔らかく、喉越しがいい。ツユも辛くもなく、ちょうど良い味付けだが、カツオが主張するほどではない。

大盛代400円を払っただけのことがあり、量はそこそこある。角のたった美味い蕎麦を頂くことができた。

最後に蕎麦湯を飲んでご馳走さまです。
すりガラスのウサギも可愛らしい。



うさぎや
中央区日本橋久松町10-10
0362310033

新宿・中野の坂道②

2022-02-09 05:00:00 | 日記
『東京の坂・日本の坂』その148。成子神社を出て2つ目の角を右に曲がる。両側に再開発ビルが作られ、以前とはまるで風景が変わってしまった。ビルの間を歩くと放射25号線と交差する。

放射25号線はかつて税務署通りと言って抜弁天から北新宿の道を中野坂下交差点まで2009年に延長した道路である。さらにまっすぐ行くと昔からのグネグネ曲がる緩い上り坂となるがこの坂道が『蜀江坂』。



蜀江坂だが、かつてこの辺りは蜀江山と言われたことに由来する。同じ名前の坂は白金にもあるが、『蜀江』とは①平将門が蜀江錦の衣の袖を落とした、②徳川家光が鷹狩でこの地に来た際に紅葉の美しさが蜀江錦のようだと称賛したという2つの説がある。



蜀江坂の案内板はないが、坂の途中にある蜀江坂公園に名前が残されている。



青梅街道に戻る途中に祠があり、ここには『淀橋咳止地蔵尊』が祀られている。元は違う場所にあったが、道路拡張の際にこの場所に移されたもの。コロナ禍の中、手を合わせたいお地蔵様である。



青梅街道に戻るとすぐに中野区との区界に流れる神田川がある。その上にかけられた橋が『淀橋』、東京35区の淀橋区由来となった。



説明板には『元は姿見ずの橋、暇乞いの橋と言われ、中野長者が財産を地中に埋める際に連れてきた家来を殺し、神田川に投げ込んだためついた名前であった。この話を鷹狩りの際に聞いた三代将軍家光はよくない名前であり、かつて見た淀川の景色に似ているので淀橋と改名させた。



区界が中野坂下でここからが『中野坂』、緩やかに登る坂道である。因みに『中野』は武蔵野の中央にあるためつけられた名前であると坂道の案内板には書かれている。中野坂上には再開発ビルが立ち並び40年前に外回りをしていた頃とは全く風景が違う。しかし、よく見ると当時集金に伺っていたお店が残っていて懐かしさが込み上げてきた。

中野坂上は山手通りと青梅街道の交差点、相変わらず坂下から信号まで車が列をなしていた。