hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

歌舞伎茶屋〜銀座ランチグルメ

2021-03-11 05:00:00 | グルメ
歌舞伎座は東京メトロ日比谷線東銀座駅直結と今の事務所からはかなり便利な場所にあるが、元々歌舞伎など見ない私に取っては足を踏み入れたことなどない。しかし、中央区のスタンプラリーのポイントにあるため、B2の木挽町広場にやってきた。

スタンプを押した後にお土産売り場を覗くと奥に『歌舞伎茶屋』という軽食スペースを見つけてランチにした。

歌舞伎座内の飲食といってもカレーが600円、肉そばが700円とリーズナブル。私は平日ランチ限定の『野菜かき揚げうどん』(650円)をお願いした。すると木札6番を貰い、呼ばれたら取りに行くセルフサービス。



ゆったりとした席の配置で2月歌舞伎のポスターや隈取、赤提灯などが飾られていて雰囲気を醸し出す。歌舞伎のポスターを見ると高い席は1万5千円するが、安い3階席なら3000円と思うより安い。


しかし、出来上がりは声で知らせてくれるシステムでおばちゃんが大声で『6番のお客様、できましたよ』と声を掛けてくれる。
早速、うどんを取りに行くと、小さなみつ豆も添えてある。

大きなかき揚げは玉ねぎメインの他にさつまいも、ネギ、ニンジンなどが細かくカットされ入ったものでさっくりとしている。

うどんは可もなし不可もなし、ただ、大変熱く、口の中を噛みそうになる。ツユは関東風だが比較的薄味で食べやすい。

お客さんはやはり女性が多く、小さなみつ豆といったデザートが付くのもそのせいであろう。美味しく頂きました、ごちそうさま。

歌舞伎茶屋
中央区銀座4ー12ー15歌舞伎座地下2階
0335456573




スイセン(水仙)の花

2021-03-10 05:00:00 | 日記
水仙の花はお正月頃から咲き始め、3月〜4月頃に季節を終える。街中を歩いていても路傍に植えられたものが、半ば自生しているように季節になると顔を出すが、これは日本の風土に適合しているからであろう。

12月〜2月に花をつける草花は少なく(木の花は山茶花、椿、梅などがあるが)稀な存在である。『水仙』という呼び名は中国の読み方そのままであり、『仙人は天にありては天仙、地にありては地仙、水にありては水仙』という古い言葉による。水辺に清らかに咲き、寿命が長いからついたらしい。

また、属名であるNarcissos(ナルキッソス)はギリシャ神話のから付いたもので、神話によるとナルキッソスのことを想うニンフのエコーに彼が振り向きもしなかったことからエコーは痩せ細り、声だけになってしまう。これを憐れんだ女神が水面に自らの姿を映しているナルキッソスを水仙の花に変えたと言われている。(自らを愛するナルシズムはこれが由来である。)

水仙は彼岸花と同じ科属であり、地表には茎は出てこない。花の下にあるのは花茎であり、花弁のように見える6枚のうち3枚は萼、残り3枚が花弁、また中央の王冠状の部分は副花冠と呼ばれている。半ば自生しているものはニッポンズイセンと呼ばれ、花冠は黄色、周りの6枚の花弁のように見える部分は白い。

他にも花が大きく、花の全てが黄色いラッパズイセンなどいくつも種類があり、最近は丈が短いミニ水仙も増加してきている。彼岸花同様に植物の個体全体にアルカロイド系の毒を有していて、球根(鱗茎)が毒性が強い。滅多にないが、野蒜や浅葱などと誤食して中毒となることもある。

スイセンは植えておけばいつの間にか芽を出して寒い時期に花を付ける可憐な植物であり、切手でも花シリーズの第一回目の1961年1月の花として発行されたり、1976年普通切手(動植物国宝シリーズ)の50円切手の図案として使われるなど日本人にはゆかりの深い花である。





世田谷散策切符で散歩②〜天祖神社と世田谷八幡宮

2021-03-09 05:00:00 | 日記
世田谷線散策切符を使って世田谷線界隈を引き続き歩く。

世田谷代官屋敷跡の向かい側に『天祖神社』がある。参ったあとに知ったのだが、世田谷区には天祖神社は3社(上町、中町、経堂)あるが、ここにあるのは上町天祖神社である。

起源は別の場所にあった稲荷社の祠を1849年にここに移したと言われている。1909年に一度は世田谷八幡宮に合祀されたが、1931年に地元の要望に応じて本殿を建築、再びこの地に移された。

鳥居あたりの間口は狭いが境内に入ると広々としている。ただ、奥に本堂がある以外はあまり何もなく、がらんとしていた。お参りした後、元の道に戻らず反対側に細い道を歩くと上町駅にも出ることができる。(上町駅から代官屋敷に行くにもこのルートの方がよい。)


再び世田谷線に乗り、宮の坂駅で下車。下高井戸に向かって左側の方に行く。以前から疑問に思っているのは駅前というか、駅横に何故か江ノ電601号車両が展示されている。通りがかりの人は玉電車両かと思うが、そうではない。

世田谷八幡宮は先程の天祖神社が合祀されていたこともある由緒ある神社であり、鎮座されたのは今から930年前の1091年。源義家が奥州征伐の帰りにこの地で豪雨に遭い、足止めされたが、戦勝は八幡様の御加護によるもの、と宇佐八幡の分霊を招きこの八幡宮り作ったと言われている。



広々とした境内に入ると右側に厳島神社と池、その横に土俵がある。周りを見渡すと階段状に観客席が設えてあり、9月の大祭の時には奉納相撲も行われる。



これは江戸時代には渋谷氷川神社、大井鹿嶋神社と共に江戸郊外三大相撲と呼ばれたほど由緒あるものである。

階段を数段上がると本殿、他に高良神社、招魂神社も祀られている。規模の大きな神社であり、周辺住民は厄除けや七五三などもここで行う様である。



コロナ禍の中、初詣を避けてこの時期に参拝する人も幾人かはいたが、こちらも人が少なく寂しかった。もちろん、私もお参りをして、御朱印を頂いた。

この後、三軒茶屋駅まで行き、青目不動にお参りしたのだが、本殿はもちろん、社務所とコロナの影響で閉鎖されていたので、次回またお邪魔したい。






久我山散歩③〜春の到来を告げる植物編

2021-03-08 05:00:00 | 日記
啓蟄も終わり、いよいよ久我山も春の風物詩が一気に増えてきた。駅まで行く途中には寒緋桜(カンヒザクラ)が満開。かなり濃いめの花がたくさん木を賑わせている。





名前の通り、寒い時期に他の桜より先んじて咲く種類で1番の特色がホタルブクロのように、花が下を向いて咲くところ。普通に考えると花粉を媒介する虫たちが蜜を吸いにくいのではと考えるのだが。このため中国語では『鐘花櫻花』と呼ぶ。お隣には源平咲の椿、こちらも盛りでピンクの蕾も多数ついている。



駅で踏切を渡ろうとするとA線とB線の間に菜の花が黄色い花をつけて咲いている。よくみると反対側にもかぶがあり、しばらくは楽しめるようだ。

駅近くの路傍を見るとタチツボスミレが健気に沢山の花をつけて咲いている。日当たりの良い道端によく見つけることができるが、小さい株にも関わらず10個以上の花を付けているのも珍しい。



さらに神田川に沿って富士見ヶ丘方面に歩く。実は先週見た時にはまだ土筆(つくし)はなかった。しかし、今日はもう沢山のつくしんぼが顔を出してくれている。なぜか、検車区の敷地ばかりに生えていて中には線路の真ん中に生えている大胆なものもある。うまく線路や車両と重ねて写メを写そうとするが、土筆が小さ過ぎてなかなか難しい。



半月前に歩いた際には水仙とホトケノザくらいしか花がなかったが、ここのところの陽気で一気に春到来である。今週末には開花宣言、楽しみである。

『大正・昭和の建物を訪ねて』〜根岸・下谷・入谷編

2021-03-07 05:00:00 | 日記
『大正・昭和の建築物を訪ねて』その15。御行の松不動尊から御行の松通り沿いには大きな寺が並ぶ。根岸の里入口のところには手古奈せんべいの懐かしい建物。本店は市川市真間にあったのだが、そちらは閉店してしまい、『手古奈せんべい』はここにしかない。



路地を入ると大きめの診療所、今は営業していないようだが、かつては産婦人科で入口ぬ木が植えられていて、2階は病室に使われていたようである。


お隣は世尊寺、向かい側には赤い看板建築、玄関は新しいドアに変わっているが、概ね昔のまま。

世尊寺から金杉通りに出ると左側の土地で掘削工事をしていてお隣の建物がよく見えるが、まさに看板建築である。横から見ると単なる切妻造り、しかし前に回ると西洋風に見えるのである。

向かいにある『甲州屋』という中華料理店、もちろん看板建築物。まわりも同じような幅の建物が並ぶ。



入谷駅に向かうが、向かい側に3軒の小さな家、別々に建てられたものだが、一番右の家は三角形、狭い土地に無理やり建てたものだろう。



入谷駅に向かうがこの辺りには看板建築が数多くあり、中には変形した建物もある。地型が歪つなのか、正面の通りから見て曲がって建てられている。

少し通りを入ると綺麗に整えられた建物もあり、2階は学習塾として使われているようである。




入谷駅を通り越して昭和通りを渡ると3軒長屋(写真は右の2軒のみ)、左の家は鳶なのだろうか、『六番』と書かれている。

圧巻なのは右手に木造三階建のお酒屋さん。かなり大きな建物で十分な風格、さらに現在も盛業中。ネット情報では明治33年(1900年)創業の水上酒店さんである。



番外編はそのすぐそばにあるビルの1階のパン屋さん。名前は『グーテ・ルブレ』、焼き立てカレーパンが名物。外に突き出した石窯が立派である。ただ、建物全体は古いビルであるが。
大した距離も歩かないが、日暮里・根岸・下谷・入谷には懐かしい建物がたくさん、今回紹介したものはほんの僅かだが、マンションに建て替わる前に見ておきたい。建物巡り、じっくり眺めるのも中々楽しい。

能登治〜新橋ランチグルメ

2021-03-06 05:00:00 | グルメ
せっかく新橋に来たので創業安政年間というお蕎麦屋さん『能登治』にお邪魔した。

(明治・大正の営業許可証)

創業は赤坂だったとのことだが、2代目が1883年にこの地に移ったが、そこを起点としても130年以上経過している。

お邪魔したのが3月3日ひな祭りの日だったが、この日までの限定メニューとして蛤と菜の花をタネにした『雛そば』もあった。ただ、初志貫徹で『鴨南蛮そば』(1350円)を注文する。

11時50分に入店したが、私が初めての客のようだ。しかし、徐々に常連と思しき人が来店する。それほど待たずに鴨南蛮そば到着。

まずは汁を一口、鴨のエキスが出て、甘辛い、しかし、濃すぎない味は身体に沁み込む。外は風が強く冷えた体にうれしい。

蕎麦にもこだわり、石臼引きではなく胴撞きという杵のようなもので挽いた蕎麦、細く柔らかめである。感心したのはネギの切り方。4cmほどに小口切りにして、切れ目を入れ、真ん中の硬い部分を取り除き、白い部分を5〜7mmほどに切ってある。ネギのシャキシャキ感が楽しめ、振りネギのみじん切りとは対照的。



また、肝心な鴨肉は大振りのものが6枚、火を入れすぎず、柔らかさを残していて、周りの脂の部分が堪らなく美味い。さらにちゃんと蕎麦湯も忘れないなど、ちょうど良い接客も心地いい。味もよく静かで、余計なもののない、いいお店である。ご馳走さまでした。因みにPayPayも使えます。


能登治
港区新橋3ー7ー5
0335913584

オカメザクラが満開です。

2021-03-05 05:00:00 | 日記
あまり知られていないかも知れないが、日本橋はサクラの名所が数々ある。一番有名なのは東京駅から高島屋の横を通る『さくら通り』のソメイヨシノである。木の幹も太く、しっかりした桜の木である。

その前に咲くのが日本橋COREDOテラスの前の河津桜と中央通りから人形町寄りに一本入った道両側に咲くオカメザクラである。今は河津桜が終わり、オカメザクラが満開といった風情である。



オカメザクラとはイギリス人園芸家コンリッド・イングラムが寒緋桜(カンヒザクラ)とマメザクラを掛け合わせて1947年に作った品種である。背はやや低く、花は寒緋桜同様下を向いて咲くのが特徴。色はピンクがかっていて花がやや小さめという可愛らしい品種である。



今日は良い天気ということもあり、昼休み時間にはたくさんの人がスマホを構えて構図を考えながら撮影する姿が見受けられた。



オカメザクラが終わると次はいよいよソメイヨシノ、春本番までもう数えるほどまで近づいてきた。

(黄色のマーカーで示したあたり)


世田谷散策切符で散歩①〜世田谷代官屋敷

2021-03-04 05:00:00 | 日記
東急世田谷線の『世田谷散策切符』を購入して沿線をうろうろ。最初に乗車したのが松原駅だが、この駅では散策切符は販売していない。まずは通常通り150円を支払い乗車し、合わせて運転士に散策切符を購入する旨、話をすると『乗車券購入票』なる紙をくれる。



これを切符を売っている三軒茶屋・下高井戸・上町の各駅の窓口に持って行くと乗車券代を差し引いて190円(元々の散策切符は340円)で販売してくれる。つまり3回乗れば元が取れる仕組みである。

上町駅では無事『世田谷散策切符』を購入し、駅の北側にあるボロ市通りを目指す。さらにこれを左折すると木がこんもりと森のようになっていて、少し先に『世田谷代官屋敷』がある。



世田谷代官屋敷は江戸時代中期以降、彦根藩世田谷領20ヶ村の代官を世襲した大場氏の役宅で都内にはここにしか残されていない。玄関には茅葺の立派な長屋門がある(門は閉まっている)。



門の横が入口で母屋に入るとすぐに土間、奥の座敷の広さには驚く。母屋は1737年に作られた後、1758年に7代目当主盛政が代官となった際に増築されたもの、確かに当時の姿を残している。



建物の天井も思いのほか高い。母屋を出て庭に出ると右手には大きな蔵や井戸がある。時計回りに歩くと、村人との面会の際に使われたお白洲の跡も残されていた。



また、庭には大きな道標(右、登戸道・左・大山道と書かれている)や明治32年に三軒茶屋の富士講33回目の登山を記念した碑が残されている。



今はすっかり住宅街となった世田谷だが、ここに来ると一気に江戸時代の雰囲気を味わうことができる場所である。(以下、次回)

田所商店タンタンメン部〜幕張ランチグルメ

2021-03-03 05:00:00 | グルメ
幕張メッセの展示会を見に行った帰り、11時40分を過ぎたタイミングだったので八丁堀まで帰ると店がピークかなと考えながら歩いていた。メッセから近い建物の中に『マリブダイニング』という食堂街があるが、その窓のところに『田所商店タンタンメン部』という派手な看板を発見。

奥には田所商店もあるのだが、こちらは長蛇の列。タンタンメン部の方も列ができ始めたため、入店を決める。券売機で食券を買う方式のため、あまりのんびりも選べないが、メインメニューは海老味噌味タンタンメンと山椒風味タンタンメン、スリランカカレーの3つ。悩んだが山椒風味タンタンメンに揚げネギトッピング(1040円)にする。



席は両側に衝立のあるカウンター席、前は空いているが『一蘭』方式である。食券を店の人に渡すと『ライスがサービス、乳酸菌もサービスできますが、いかがされます?』と言われ、乳酸菌はヨーグルトでも入れられたら堪らんと『軽めの小ライス』とおねがいした。

待つことしばし、ラーメンが後ろから運ばれてきた。さらに『お待ちください、追い山椒をしますから?』と言われて、大きなミルで山椒を挽いて掛けてくれる。

丼を見ると緑がかった濃い灰色のスープ、ドロっとしていて、一口飲むと山椒風味爆発、『痺れる辛さ』で舌の感覚が無くなりそうになる。たっぷりのネギに揚げニンニク、二口目を飲むと中々美味い。確かに胡麻と味噌のバランスがいい。

麺はもちもちした中太麺、スープによく絡む。他にトッピングで細かく切ったニラとキクラゲが入っていて揚げニンニクと共にいいアクセントになっている。


麺を食べ終わり、小ライスの半分をスープに投入。スープに比べてご飯の量が少ないからか、とにかく痺れが半端ない。これだけ痺れても黒胡麻と味噌がしっかりしていて完食致しました。

後で調べると田所商店は幕張のラーメン店と鹿児島県の味噌屋が手を組んだ店とのこと、味噌ラーメンしかやらない徹底ぶりのようです。ご馳走さまでした。

田所商店タンタンメン部
千葉県美浜区中瀬2ー6ー1マリブダイニング2階
0432961234

フキノトウを見つけた

2021-03-02 05:00:00 | 日記
あまり季節を先取りした投稿ではないが、ふと買い物に行った帰りに小学校の南側の斜面に沢山のフキノトウ(蕗の薹)が顔を出しているのを見て、その姿の愛おしさに思わず書きたくなった。

都会の人にはフキノトウは山菜の一種で、タラノメなどと同様に天ぷらにして食すものといったイメージが強いかもしれない。しかし、雪国に行くと遅い春が近づき、雪が溶け始めた部分に黄緑色のフキノトウが芽吹くと春の到来を感じると聞いたことがある。

実は私も都会育ちではあるが、はるか昔に新潟県妙高市(当時は妙高高原町)に春スキーに行った際、フキノトウを見て、なぜか感動したことがある。しかし、そうした山間地ではなく、我が家からほど近い高井戸や久我山にもフキノトウは顔を出すとは。

フキノトウは蕗の花に当たる部分で雌雄別株。よく見ると白っぽいのが雄株、黄色っぽいのが雌株でしばらくするとヒョロヒョロと高くなる。葉は別に生えてきてハート型をしており、その表面に水が溜まると葉柄を伝って根元に水を供給する仕組みとなっている。昔、CMで見たのだが秋田では大きな蕗の葉を傘がわりに使うくらい大きくなる。

しかし、フキノトウを見ているうちに、これだけのフキノトウが生えているなら集めて蕗味噌を作るのもいいがなどと、私が考えるとついつい食べ物の話となってしまう。フキノトウは春の到来を楽しむべきものである。