2023年9月1日は大正12年に発生した関東大震災からちょうど100年になる。しかし、さすがに100年が経過すると語り部の方も亡くなり、当時の話を聞く機会もすくない。まだ、当時はまだ動画は十分普及しておらず、写真も少ない状況。カラーフィルムはまだ殆どなく、絵で描写するのが一般的であった。
当時の絵画と安政2年の大地震(1855年)に関する絵図を同和火災(現在のあいおいニッセイ同和損保)が収集、そのコレクションの一部を『関東大震災〜伝える〜災害の記録』と題し、日本橋アンペルギャラリーで展示されている。
まず、目を惹くのはこの展覧会のポスターにも使われている『本所石原方面大旋風之真景』(冒頭の絵)である。当時は避難場所など設定されておらず、陸軍被服廠跡は下町には広い空き地がなかった中、皆空き地と知っていたため、大勢の人々は火災に追われて家財道具や布団などを大八車に乗せ、避難してきた。
しかし、当時は台風の余波で風速10m以上の強風が吹いており、火災が広がる。避難場所にも四方から火が迫り、さらに家財道具などにも火がつき、巨大な炎の竜巻が発生、火災旋風となって多くの避難民を包み込んだといわれている。(中には15km以上先の市川市まで吹き飛ばされたという記録もある)この事実はとても信じられないのだが、僅かな時間で3万8000人が亡くなったことは間違いない。
ほかの絵には浅草寺雷門や上野公園、万世橋駅、吉原、新吉原、警視庁なども火に包まれて、その火は消そうにも広がり、凄いことになっている。
特に浅草花やしきの逃げ出した象や万世橋駅前にあった広瀬中佐・杉野兵曹像と焼ていく市電の状況、上野の西郷隆盛像など、リアルかつ凄まじさをよく伝えている。
当時のモノクロの絵葉書には日本橋三越や丸の内第一生命館、日本橋白木屋、日本橋にあった魚市場などの無惨な姿が載っている。
安政の大地震の資料も江戸城を中心にどの部分が火災、また崩落など被害の状況に応じた地図の塗り分けや状況を克明に記した調査報告書など、ここまでのことが当時からできたのかと感心した。ただ、それが近代化する東京に活かせてはいなかったようではあるが。
この展示会はアンペルギャラリー、日本橋高島屋の向かい、丸善並びからさくら通りを入った2軒目のビル1階で開催中。入場は無料です。
百年前のことと捉えるのではなく、いつこれが目の前のことになるかも知れない時見るべき展示ではないかと個人的には感じた。