10月14日は鉄道記念日だったが、この日にはよく『鉄道唱歌』をよく耳にする。大和田建樹という人が作詞した歌でその一番の詞を知らない人がいない。そして、その簡潔な詞にはいつも感心させられる。『汽笛一声新橋を早我が汽車は離れたり、愛宕の山に入り登る、月を旅路の友として』これだけの歌詞で新橋から旅立って行く当時珍しかった汽車旅の期待感、そして新橋を出てからの風景が上手く歌いこまれている。
これを現代風に『汽笛が鳴って私を乗せた汽車が出発。左に愛宕山が見えるが、そこから月が出て、これからの私の旅を照らしてくれるようである。』では格好がつかない。やはり文語調の唱歌はいい。
しかし、文語調の詞はその字がよくわかっていないと思わぬ勘違いをして覚えているケースもある。例えば、滝廉太郎の名曲『花』の3番の歌詞だが、『にしきおりなすちょうていに、くるればのぼるおぼろづき』とあるが、私はこの『ちょうてい』が『朝廷』と思っていたので意味がつながらなかった。しかし、調べてみると『長堤』つまり、長い堤防のことで、桜が咲いている様を詠んでいるのである。
有名なのが、童謡浦島太郎の2番の歌詞で『かえってみればこわいかに』とあるが、これを子供の頃から特に疑いもせず、『帰ってみれば怖い蟹』と覚えていた。ただ、浦島太郎が竜宮城から帰るタイミングで、なぜ唐突に『蟹』が出てくるのかがわからなかった。
実際は『帰ってみれば此は如何に』と言うこと、つまり、太郎が帰って見るとまるで風景が変わっていたので此処はどこだろうと言ったと言う意味だったのだ。
また、唱歌『箱根八里』の1番で『箱根の山は天下の剣、韓国・漢もものならず。』つまり、箱根の激しく険しい地形は朝鮮や中国にもそれに比肩するようなものはない、と解釈していたが、大人になって『函谷関』と言う中国の厳しい地形の名所のことを知ったのである。
いやはや、勘違いとは恐ろしいし、恥ずかしい。