昨日は一日山岳遭難の本やらネットで検索した文章を読んでいた。これは今に始まったわけでもなく、昔から関心があったから暇があれば目を通していた。
上ホロもそうだったが、同じ山に幾つものパーティが入っているのに、何故そのパーティだけが遭難事故を起こすのかというところに深く興味を抱いていたからなのだ。
ほかのパーティではなく、何故そのパーテイだったのか、何故その人が亡くならねばならなかったのかということなのだ。人は偶然だと言うけれども、ヘーゲル以来の弁証法によれば、偶然性は必然性のなかにあるという。必然性が展開していく過程のなかで、その必然性は偶然性というかたちに現象化されていく・・・もう、何十年も哲学書を読んでいないので、間違った理解かもしれないね。
ともかくも、一般的に言われているところの偶然の事故では済ましたくないのだから。
二つ玉低気圧に遭遇しても、ちゃんと生きて帰ってきているパーティもあるのだしね。
で、そんなこんなでやろうと思っていたことはやらず、今日も白旗山あたりを散歩してこようかとも思ったけれど、急遽うちの奥さんの実家に行ってきた。
明日は仕事だからモードを切り替えていかなくては・・・。
上ホロもそうだったが、同じ山に幾つものパーティが入っているのに、何故そのパーティだけが遭難事故を起こすのかというところに深く興味を抱いていたからなのだ。
ほかのパーティではなく、何故そのパーテイだったのか、何故その人が亡くならねばならなかったのかということなのだ。人は偶然だと言うけれども、ヘーゲル以来の弁証法によれば、偶然性は必然性のなかにあるという。必然性が展開していく過程のなかで、その必然性は偶然性というかたちに現象化されていく・・・もう、何十年も哲学書を読んでいないので、間違った理解かもしれないね。
ともかくも、一般的に言われているところの偶然の事故では済ましたくないのだから。
二つ玉低気圧に遭遇しても、ちゃんと生きて帰ってきているパーティもあるのだしね。
で、そんなこんなでやろうと思っていたことはやらず、今日も白旗山あたりを散歩してこようかとも思ったけれど、急遽うちの奥さんの実家に行ってきた。
明日は仕事だからモードを切り替えていかなくては・・・。