2020年6月20日 国指定遺跡 続日本名城100瀬名 玄蕃尾城見学会
◆戦艦大和
第二次世界大戦中、世界最大級の46㎝砲を搭載
した戦艦大和は当時、世界最大の排水量を誇る、
極めて巨大な艦船であり超弩級戦艦と言われた。
しかし軍事機密を最優先させ当時の日本国民は
世界最大の戦艦大和の存在を知らされていなか
つた戦後戦艦大和の実在が公表されて日本人が
是を知る事になった。軍事機密とは戦争が発生
している世相においては最優先され秘匿される
運命にあると言える。
◆玄蕃尾城
天正11年1583年羽柴秀吉と柴田勝家は織田信
長亡き後の織田家の継承権をめぐり賤ケ岳の
戦いが展開された。秀吉の勝利に終わったが
柴田勝家と羽柴秀吉の両陣営が合戦に臨んで
臨時築城した陣城のなかで極めて異様な破格
の規模を誇る超弩級城郭と言って過言でない
戦争遺跡が長浜市余呉町柳ケ瀬の歴史名称
内中尾山城、遺跡名称、玄蕃尾城跡である。
▼Ⓒ長谷川博美 復元イラスト
◆大和と玄蕃尾城
大和は全長264mの巨体であるが玄蕃尾城は堀も含
めると全長300mにも達する破格弩級巨大城郭遺跡
である。この城址を合戦に敗北した柴田勝家の城
として探訪すると大きな衝撃を普通の人ならば受
けてしまう。秀吉方の賤ケ岳城が駆逐艦の程度と
脆弱なのに対し玄蕃尾城はその約10倍もの面積や
土木量を誇り、玄蕃尾跡を見学した人の誰もが?
何故勝利した秀吉方の賤ケ岳城が小さくて玄蕃尾
城がかくも壮大堅固なのか!強烈な歴史シナリオ
や定説に強烈にアンチテイゼ、歴史見直し/再検討
を感じる事は必定だ!このように巨大な柴田勝家
の城がまさか存在するとは信じられない!玄蕃尾
城跡を見て戦国時代の恐怖感に戦慄して、足元が
ガタガタと震える人もいると聞いている。歴史は
秀吉が大勝した完璧に柴田勝家を敗北滅亡させて
いるしかし現実の玄蕃尾城/内中尾山城を訪れた人
は柴田勝家の豪放緻密な織田軍団№1の重鎮武将の
人格やパーソナリテイが明確顕著にその城址から
令和の現在に至ってもその光彩が現場の遺跡から
強烈に放たれいる事にある。これが本当の現実か?
◆全国近江戦国城址の一般論
戦国時代の歴史に興味を持たれている方々にとり
日本最大の石垣山城佐々木六角の観音寺山城探訪
近世城郭の先駆織田信長の安土城、浅井三姉妹の
故郷小谷城の3城は、全国屈指の巨大山城として
戦国史愛好家の必須必見の名所旧跡と言えるが
◆軍事機密の秘匿性からもたらされた認識誤認!
第二次世界大戦に建造された戦艦大和は機密性
重視から当時の日本国民には報道公報されなか
た!柴田勝家の長浜市余呉町玄蕃尾城豊臣政権
の樹立とともその巨大な城址は秘匿された事で
あろう!今令和の時代にその全容全貌を見学!
◆玄蕃尾城の巨大さを認識していた当時の人々
当時羽柴秀吉は長浜「浅井郡」の称名寺を通じ
石田三成を介して柴田勝家の玄蕃尾城の巨大さ
堅固さを的確に調査していた。この柴田勝家の
玄蕃尾城の巨大さが天正11年当時の近畿西国の
人々に知ら渡れば羽柴秀吉陣営やそれを支持す
る人々に激しい動揺が走りあの織田軍北陸師団
長の柴田勝家の天正11年の合戦は柴田方優勢と
言う風説が流布する事は必定だろう。軍事機密
故に秘匿された超弩級戦艦、大和!歴史の疑問
点『柴田勝家の玄蕃尾城はまさに超弩級戦艦だ!