白ロシア国名から安土城天主閣考察
◆質問者
今回の投稿の要点とは何ですか?
◆長谷川
1ベラルーシという国は「白ロシア」である事。
2上記は中国陰陽五行説の系譜に起因説があり。
3ルイスフロイスは安土城天主の色彩を述べる。
4『明智軍記』では安土天守を五行説で述べる。
5ルイスフロイス『日本史』安土城天主に注目。
◆質問者
中日ドラゴンズのチームカラーは何故?青い
のでしょうか?
◆長谷川
東の方位「青竜」にちなむドラゴンズの色
青い青竜にちなむ「青色」だと思いますよ。
名古屋城の金鯱にちなみ最初は金鯱軍です
米大リーグのロサンジェルス、ドジャーズ
のユニホームやチームカラーの青やユニホ
ームを参考にして中日ドラゴンズが設立さ
れて中部日本新聞社の社旗も上が赤で下
が青で構成されています。名古屋を起点と
する大手新聞社ですから、東邦、東の日本
東海、蓬左の国、つまり東のイメージ青を
使っておられるのだと解釈しております。
◆質問者
滋賀犬上郡の東に相当する多賀町に青竜山
があります。これも東の竜の山という意味。
◆長谷川
逆説に言うと「青竜山」なる山号を付ける
事は遣隋使、犬上の御田鋤などを代表する
漢字文化に精通した大陸から愛知郡犬上郡
に渡来した高度な文化を持っ人々が青竜山
と命名した可能性があるのではないでしょ
うか?また古代犬上郡衙「役所」の東側に
存在する山こそ青竜山の可能性があります。
◆質問者
犬上の御田鋤に代表される漢文化に精通した
文化人が多賀に存在したとしたら中国の埋葬
様式と言われる木炭廓墓や鉄板に銘文を刻印
する地売責券とよばれる鉄板も出土するかと?
◆長谷川
多賀の田畑喜久弘もと町議会議員様は有識者
にして見識高き人物です。氏が木炭が大谷に
出土した事を町長、教育委員会に報告されて
緊急発掘の結果、地売責券とよばれる鉄板が
4面出土しました。驚愕する中国文化の影響
が多賀町に存在した。私も大谷遺跡に隣接す
る工事残土の中から直径約10㎝の平安期銅鏡
八陵鏡を発見し多賀町の文化財課に届ける事
になった経験があります。田畑氏の見識高き
文化人としての報告や功績は真に貴重でした。
◆長谷川
京都(ミヤコ)の南側に朱雀門は赤色です。
北は玄武(玄は黒)、東に青龍、南に朱雀、
西に白虎で中国思想の影響と言う事ですね。
◆長谷川
虎隊(びゃっこたい)は幕末維新の戊辰戦争
で会津藩が組織した、武家男子を集めた部隊。
名称は中国の伝説の神獣「白虎」に由来する。
動物園に可愛い子供りホワイトタイガー居る。
◆質問者
遠い昔「白ロシア」と言う国が地図に表示
されてた記憶がありますが記憶間違いかと?
◆長谷川
ベラルーシ共和国(ベラルーシきょうわこく)
日本語で白ロシア(はくロシア)と呼ばれる。
黒ルーシはモスクワを中心とした現在ロシア
紅ルーシは現在のポーランド
ルーシは現在のウクライナです。
モンゴル人が中国から学んだ五行思想の影響
「方角を色で呼ぶ方法」をルーシに持ち
込んだため、「赤ルーシ」、「白ルーシ」、
「黒ルーシ」という名称が生まれ、その
うちの白ルーシが国名として残ったと言わ
れている。
白ルーシは現在のベラルーシ(白ロシア)です。
◆長谷川
一説に白ロシア国は中国思想の五行思想に影響
を受けたモンゴル人が一時、白ロシアを支配し
たから、中国で言う「白虎」西に相当する西の
方向の「白」が起源とも言われていますが?私
は白ロシア(はくロシア)と言う言葉を昔聞い
た記憶がありベラルーシ共和国が突然登場した。
◆質問者
五行思想の5色を御教示下さい!
◆長谷川
陰陽五行思想 では、 青 ( 東 )、
赤 ( 南 )、 黄 ( 中央 )、 白 ( 西 )、
黒 ( 北 )が五色とされる。 相撲 では、
土俵 の南に赤、北に黒、東に青、西に
白の合計 4 本の房が吊るされいます。
また日本の神道も陰陽五行思想の影響を
受けており神饌「おそなえ」の米穀には
赤米 青米 黒米 黄米 白米がある。
五輪塔
石造美術として一石五輪塔もよく見かけ
ますが五輪塔(ごりんとう)は供養塔・
墓として使われる塔の一種で五輪卒塔婆
とも呼ばれます。インド起源とされます
が五輪塔は日本で考案された考えが有力。
宮本武蔵
『五輪書』(ごりんのしょ)は、宮本武蔵
の著した兵法書。
◆長谷川
ルイス・フロイスが書き遺した『日本史』
から引用すると奇妙な壁の色彩が記録され
ています。また織田信長は安土城天主上層
に三皇五帝(さんこうごてい)は古代中国
の神話伝説時代の8人の帝王を描かせており
彼は中華思想、中国思想に執心した人物で
あり五行説に本づいた赤青黄白黒等の陰陽
五行思想に影響を受けた色彩を天下の覇城
として天主に使った可能性もあります。
以下ルイスフロイス著『日本史』より
「(城の)真中には、彼らが天守(ママ)と
呼ぶ一種の塔があり、我らヨーロッパの塔よ
りもはるかに気品があり壮大な別種の建築で
ある。この塔は7層から成り、内部、外部とも
に驚くほど見事な建築技術によって造営され
た。事実、内部にあっては、四方の壁に鮮や
かに描かれた金色、その他色とりどりの肖像が、
そのすべてを埋めつくしている」
「外部では、これら(7層の)層ごとに種々の
色分けがなされている。あるものは、日本で用
いられている漆塗り、すなわち黒い漆を塗った
窓を配した白壁となっており、それがこの上ない
美観を呈している。他のあるものは赤く、あるい
は青く塗られており、最上層はすべて金色となっ
ている」と
色彩豊かな安土城天主をフロイスは記録してます。
◆質問者
江戸城、名古屋城、大坂城、姫路城など、五層の
天守閣が太守の居城の天守の印象がありますが?
織田信長の安土城天主閣も陰陽五行思想に基づい
て作られていた可能性は全く無いのでしょうか?
◆長谷川
文献『信長公記』は信長と同じ時代を生きていた
太田牛一による編纂で資料としては「一級文献」
「一次資料」と呼ばれており文献史学論文を学生
が作成する場合にはやはり基本となります。一方
明智光秀が亡くなり100年の時が流れて記録され
た『明智軍記』は軍記物、読物として「一次資料」
として論文の項註に引用すれば文献史学論文とし
て不可で大学をもう一年論文作成しなおしの為に
留年しなければなりません。『明智軍記』は二次
資料と言う事になります。これは文献史学と言う
分野に所属する史学科の学生は充分に留意します。
さて江戸期明智軍記が編纂された段階では五行の
思想は巷間に通底して『明智軍記』では明智光秀
が織田信長の安土城天主閣の助言者として安土城
天主閣の五行思想について言及脚色しております。
しかし文献資料的には『明智軍記』は二次資料と
言うことで文献史学の世界ではこの文言を引用は
できません。ただし江戸期の五行思想論存在考察
論などの思想論を研究課題とする思想論史研究史
論文を書く分野の違う学生には貴重な資料です。
五常(ごじょう)または五徳(ごとく)、儒教
で説く5つの徳目。仁・義・礼・智・信を指す。
陰陽五行思想(いんようごぎょう[1しそう)は、
中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽説と五行説、
後に結合し思想。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)
天守閣の壁の色彩を考察するなど常人の頭脳では絶対無理で発想できません!しかし柔軟な発想で古今東西の歴史を比較研究する事ができるとは?着想や構想や視点が全く斬新に感じられます。