嵐山城 文献史料
『二水記』永正2年(1505)9月10日条に「嵯峨城」
山城下五郡の守護代香西元長の居城であったこ。また
永正4年(1507)8月1日に西岡衆の襲撃で落城が
『多聞院日記』に記載される。
◆一般様
四国には香西と書いてコウザイ
と読む町があるとか「中心部は
城下町の防御のために細い道の
つき当たりを連続させ、万が一
敵に攻め入られたときに見通しが
利かない構造となっている。この
迷路のような町並みは「向き向き
の町」と言われ、独特の景観を形
成している」とウィツキペデイア
に記録されています。これ幾何学
が発達した街並みの事でしょう。
◆対談者
香西には興味ありません京都の
嵐山にある応仁の乱の城址是非
゛ある嵐山城学びたいと思う。
◆長谷川
嵐山城またの名を嵯峨の城とも
言う城址の解説を致しましょう。
様の嵐山城を
お借りして解説致します。Ⅲの
は堀切と土橋が観察できます。
Ⅰはこの城の中心部主郭です。
Ⅱは環状の腰郭がⅠの右横に
虎口がⅣの郭には石積みが認
められます。続けましょうか?
◆反論者
そんな長谷川さんの解説など
は城跡探訪の人に必要はない。
◆世話人様
そう思うのなら別の城址探訪
会や城址ハイキングやリクレ
ーシヨンの会へと参加下さい
私が長谷川先生に求めている
事は浅さではなく丁寧さ深さ
◆反論者
そんな事言うけど縄張図見て
もまるで畑の胡瓜🥒みたいな
城だろがくだらない事を言う。
◆学術家
長谷川先生山城国守護代香西元長
の居城嵐山城には香西の町の様な
幾何学が発達しているのですか?
◆反論者
俺には胡瓜🥒にしか見えんわ!
◆学術家
さうでしょうか?長谷川先生な
ら香西氏の幾何学を看破する人。
◆長谷川
この嵐山城恐るべき高度な縄張
を施した山城の国の山城跡です
この様に相対する放射測量痕跡
が読み取れます流石は香西の城
だけの事はあります素晴らしい。
四国西西の町「向き向きの町」
と言われるのは何なのかです。
▼嵐山城相対型ビイスタ
◆反論者
ふん!それが何だ!ビッスタ
がどうした?俺はね城址探訪
したい人間だよ。ウンチク等
全く必要とはしない行楽人間!
◆学術家
長谷川先生解説するべき対象
が間違っています。学術家の
私にビイスタ解説を続けて!
◆長谷川
京都嵐山城このようにどの
方角から見ても立派に威厳
を保つ堅固な城郭としての
見栄えを保つ4箇所の繊細
な放射線ビイスタ工法が
読み取れます。当時城郭
のビジュアル見栄えする
城郭の視覚的要因が存在
◆みんな
すごい!素人には胡瓜🥒に
しか見えない城が本格城郭!
◆長谷川
多数のビイスタが混在する。
◆反論者
ちよっと待て!俺は5000城も
城址を探訪してんたぞ!俺の
方が熟練ベテランだろがよ!
◆世話人様
ベテランと真剣は違います
5000回横断報道を無視した
人よりも必死に横断歩道で
安全を確認しようとする交
通安全初心者様が私は好き!
◆長谷川
その通りです。私の性格と
は城址を通り抜けていく人
100人よりも一生懸命必死
に見学しようとする亀の様
な人を捜してます。速足の
ウサギには私は期待しない
私は初心者ですから初心者
様とともに学びたい人間!
◆長谷川
嵐山城良く出来た城郭だと
言えます。この様に重複型
ビイスタ工法も既に備えた
設計縄張術の大変進んだ城
▼嵐山城のビイスタ 香西氏
ウイッキペデイア勝賀城より
ある。現在は山上に土塁や井戸等の遺構が
られた香西資村(藤原資村)は勝賀山山上
に城を、東麓に平時の居城である佐料城を
築き、以後香西氏の本拠となった。
▼勝賀山城のビイスタ香西氏
◆みんな
やっぱりそうか!中世城郭の嵐山
城にも近世城郭の岡山城にも重複
ビスタは日本の城の伝統文化とし
て脈々として城郭測量術が継承さ
れてきた日本の城を考える上にお
いてビイスタ工法は重要課題です。
◆世話人様
関ケ原玉の城山見学会では
みんな何を学んで来たの?
◆世話人様
みんな好き勝手に城址を
飛び回っていただけじや
ないの?城に飲まれるな!
ミクロ=繊細に見学する
マクロ=全体を掌握する
よく観察する事が城郭見学
で城址を走り廻る人ならば
学校の運動場でも走ってよ!
◆世話人様
◆学術家
いやいや関ケ原玉城山城
件せよ荒山城解説にせよ
予想をこえる内容ですね。
◆学術家
もう少し別の角度から見た
か解説を是非御願致します。
◆長谷川
Ⅳ郭の中心軸ビイスタ
Ⅰ郭の別角度ビイスタ
も提示しておきます▼
◆学術家
ものすごく幾何学的な中心軸
解り長谷川さんの解説に驚く
◆反論者
城ってこんなに難しいのかよ!
俺なか胡瓜🥒にしか見えない
◆世話人様
現代のPCや
スマホとは
複雑なハイテク技術です。
中世の城もハイテクです。
◆長谷川
様々なビイスタ工法痕跡
が多数読み取れますね。