信濃林城 近江小谷城 ビイスタ比較研究論
◆対談者
長谷川先生の(米原公民館)改め
『米原学び合いステーシヨン』
での城郭講座が好評に次ぐ好評
◆長谷川
私は全く人気がない講師米原の
方で講師として拾って頂きまし
た事は予想もしない有難い事。
◆滋賀質問者
講座好調の理由とは何ですか?
◆長谷川
①米原町民様の御協力の賜物
②参加者様のセンス良い質問
③米原市民様の支援体制作り
④事業所様の親切丁寧な助言
⑤御遠方からの篤実な御参加
者様々要因が重なり合い好調
◆滋賀質問者
北近江の浅井氏は北近江守護
職、京極氏をも収監した小谷
城を築城して北近江に覇を唱
た国人大名かと考えてますが
小谷城は最高峰の4大嶽城
5城の裏側の月所丸などを
自分の城より高い所に城を
構えてた変則的な縄張かと
も私は考えておりますが?
◆長谷川
小谷城全体のランドスケープ論
つまり都市計画論としては北国
脇往還「北国道」から見て本丸
Bが城位置は下ですが中心位置
に存在する事が解り本丸Bから
1、2、3、4、5、6と美しい
半円の陣形を描いている事が
解り本丸がB地点である事も
ビイスタ理論を用い概略解り
る事です。意外にも本丸こそ
センター位置つまり中央です。
山麓居館部は12345の城塞と
本丸Bに上手く守られた城郭。
雄山雌山論で言うなら雌山に
本城をやくスタイルでしよう
最高峰の大嶽城は一城と言え
る巨大巧妙な縄張の城郭です。
また計画的なビイスタ工法も
よみ取れる巨出な城郭遺跡。
◆長野質問者
松本市の林城の実質の本丸とは
林「小城」とする人もいますが?
◆長谷川
ビイスタ理論を応用した林城
のセンター中心を模索分析を
しますと先ず林「大城」の律
を踏んだ「堀切」の位置自体
が規則的な間隔を置いて配置
しています。これ等の構造を
殿様領主である小笠原長時が
どう自分の城を見張らしたの
か?当時の林町屋を眼下に眺望
するには大城より低い雌山の
林小城の方が周辺に存在した
寺院も含めて林城の中心位置
と解釈される方も居るかとも
思います。林小城の外郭を守
る城こそ「大城」と解釈する
人も居られると推定致します。
これは小谷城の詰城を大嶽城
と解釈される事も可能です。
何れにしても1234の堀切位置
のバランスや眺望はビイスタ
理論には適合してはおります。
▼林小城を中心とするビイスタ
◆長谷川
さて信濃小笠原の林城本丸
は小城だとは断定致しません。
何故なら市口地名や 林大城
の西を守る出城も完備してい
る信濃守護職に恥じない規模
とするならビイスタ工法中心
軸は林大城が中軸とも言える。
◆長谷川
ビイスタ理論意外な所で
応用が出来ると思います。
▼林大城ビイスタ
▼林小城ビイスタ