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城郭 長谷川博美 基本記録

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ヤマトタケル神話と母系制社会の民俗学的考察 5 少年通過儀礼

2019-07-02 02:15:23 | 民俗学
ヤマトタケル神話と母系制社会の民俗学的考察 5 少年通過儀礼
以下3例は時代も社会も異なるが日本人男性の少年から青年への通過儀礼を如実に物語る。

山田たける君の場合
 僕は13歳になりました。青年団に無理矢理入らされました。昔は若衆宿と言ったそうです。
お祭りになり花笠踊りの練習をさせられました。さて本番になったら女装させられたんです。
家では姉ちゃんや叔母さんから化粧品を塗られて本当に嫌な気分です。祭りに出たら女の娘
が僕を見てキャーキャー叫ぶんで更に嫌な気分になりました。僕は青年団や若衆宿は嫌いだ!

ヤマトタケル君の場合
 私の名前は「オウス」兄の名前は「オオウス」私は弟の命だ。父は景行天皇で叔母は倭姫
だ。父から九州の熊襲タケルを征伐して来いと言われた。仕方なく伊勢の倭姫の叔母の所に
行くと、叔母の服一式を拝領した。これで何をせよと言うのだ?私は熊襲に到着したが彼等
の家は三重の警備がされており熊襲タケル兄弟に接近できない。私は化粧して叔母の服一式
を着込んで宴会場の潜入に成功し征伐した。私は髪長く女装し相手は何処の姫かと誤認した。

織田三郎君の場合
 儂は織田弾正忠の子息三郎である。行っておくが父も若き頃は三郎を名乗っていた。儂に
は異腹の兄信広がおる。しかし父は儂を後継者とみておる。今日は津島天王社の祭礼である。
さて儂は女装して天女の舞をする。祝 弥三郎は一段優れた鷺舞をせよ。儂が女装するのは
賢明な令和の読者ならば即刻わかるはずじや。天女踊りに興じる儂を見て、凡愚のうつけと
言うは俗世の輩よ!織田信長の心底看破した者はおらんのか?儂こそは当世のタケルじや!

付記『魏志倭人伝』
 其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼 
事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 自為王以来少有見者 以婢千人自侍 
唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛

「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、
乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。
夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。王と為りてより以来、見有る者少なし。婢千人を
以(もち)い、おのずから侍る。ただ、男子一人有りて、飲食を給し、辞を伝え、居所に出入りす。
宮室、楼観、城柵が厳設され、常に人有りて兵を持ち守衛す。」

 その国は、元々は、また(狗奴国と同じように)男子を王と為していた。居住して七、八十年後、
倭国は乱れ互いに攻撃しあって年を経た。そこで、一女子を共に立てて王と為した。名は卑弥呼という。
鬼道の祀りを行い人々をうまく惑わせた。非常に高齢で、夫はいないが、弟がいて国を治めるのを助け
ている。王となってから、まみえた者はわずかしかいない。侍女千人を用いるが(指示もなく)自律的
に侍り、ただ、男子一人がいて、飲食物を運んだり言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に
出入りしている。宮殿や高楼は城柵が厳重に作られ、常に人がいて、武器を持ち守衛している。

付記 古代斎宮の世界

『古事記』にも太陽神、天照「アマテラス」の斎宮を描写している。斎宮では潔斎した人々「巫女」が
働いており機織や米作りもされている。それらの業務は神聖な行為とされる。祀りの場である。『魏志
倭人伝』の伝える卑弥呼の宮殿も斎宮を思わせる祀りに特化した世界を描写している。倭姫の伊勢斎宮を
訪ねる、倭健「ヤマトタケル」一方『魏志倭人伝』には卑弥呼の斎宮を一人の男子が飲食物を運んだり
言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に出入りしている事を記している。日本では内親王が斎王
を務める事になっており。内親王を「ひめみこ」と呼んでいる。皇太子は東宮と呼ばれる。

祀り「まつり」と政治「まつり」
現在でも地方の祭礼やフエスタに必ず政治家が参加している。フエスタとはフエステイバルで祭礼の事だ。

 

安土セミナリオ幻に良いね!ひとつ!感激しました。 

2019-07-02 00:54:55 | 城郭
安土セミナリオ幻想 この記事に、良いね!ひとつを賜り感激しています。
以前下記の私の記事に対して、良いね!を賜った人物は相当な人物と推察致します。
世の中に流石は凄い洞察力のある人も存在するものだと深く感激しています。何故
ならば私のブログを読んでいる人も私と城址に行きたいと希望する人も世の中には
ゼロだからです。良いね!ひとつを賜り本当に心から感激しています。長谷川博美。

※はじめに
 友達も仲間も相談相手も仕事も全くない、私は独り淋しく琵琶湖の安土を訪れた。
 淋しい畦畔を茫然と歩いていると入江またはクリークと思われる場所に到着した。

※ガリラヤ湖
 旧約聖書に登場するイエスの初期布教拠点はガリラヤであった。ガリラヤ湖とは琵琶の形を
した湖で、ガリラヤは琵琶の形をした楽器の事で、その楽器は後に東洋に伝播して琵琶になり
西洋に伝播して琵琶型の楽器リュートになりやがてそれがギュンターやギターの原型になった。
さて『旧約聖書』マタイの福音書には以下の如く記されている。

※マタイ福音書
第4章18-22節 四人の漁師を弟子にする
「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれる
シモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐ
に網を捨てて従った。そこから進んで別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネ
が、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らを
お呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。」とある。

★「人間をとる漁師」とは教団の信者を獲得する宣教師や説教師の本来の役割であろうか?

※マッカサー元帥とウイリアム、メレル、ヴオーリス氏
終戦後昭和天皇とマッカサー元帥は東京で会見された。戦後日本の針路を決定する重要
な対面である。しかしその前日に日本の東京に滞在するマッカサーに対話すべく滋賀県
近江八幡に在住するウイリアム、メレル、ヴオーリス氏が東京に急行列車で到着している。
マッカサーとヴオーリス氏の対談の内様は詳らかではない。

※ヴオーリス氏所有の琵琶湖を行く船の名前
 氏が所有した船舶名は「ガリラヤ丸」である。ヴオーリス氏はアメリカから来た宣教師
であり建築家でもある。ガリラヤ丸の船名はイエスのガリラヤ布教に因む名称と思われる。

※旧約聖書の受膏者「じゅこう者」
旧約聖書では、イエスのような予言者の事を「全身にオリーブ油を塗られた人」とも言う。
英語でメシアだ。皆様の中でワセリン状のメンソレータムを連想される人おられるかと思う?

※『信長公記』と伴天連
 私は名古屋と米原で『信長公記』解説講師を合わせて約9年経験した。『信長公記』天正
8年閏3月16日の条に 『安土御溝の南、新道の北に江をほらせられ田を填めさせ、伴天連
(ばてれん)に御屋敷下さる』 ...とある事も認識していた伴天連とはパードレの事だ。

※パードレの意味
 パードレはラテン語で父の事を言う。神父、聖職者、の意味がある。また一説には水先
 案内人の意味や航空機のパイロットの語源とも関係ある言葉である。水先案内人に注目!

※『信長公記』の大臼「ダイウス」門徒
 『信長公記』で著者の太田牛一は熱心なキリスト教信仰者の高山右近を切支丹と表現
せずに大臼「ダイウス」門徒と表現している。禅宗の檀家表現とは異なる門徒と表現し
ているところに布教活動を中心基軸にした切支丹の信仰形態をよく表現している。また
ダイウスはキリシャ神話で言われるところの全知全能のオリンポスの主催神「ゼウス神」
の事でもある。大臼=ダイウス=ゼウスと言う事になる。

※安土の小字「大臼/だいうす」と小字「主之御座/しゆみのざ」
 友達も仲間も相談相手も仕事も全くない茫然自失の私が到着した場所は安土セミニリオ
跡の石柱のある場所だった。孤独な私は安土の入江で洋楽のゴスペルを1人淋しく口ずさ
んだ。漕げよマイケルだ。この曲にはヨルダン河やボートを漕ぐマイケルの姿が描写され
てアショアと言う文字も挿入されている。ガリラヤ湖はヨルダン河の流により形成された。


※ユンゲの安土の版画に困惑
パルコ―二―の付属した寺院風の建物は南蛮寺つまり安土のセミナリオだと私は直観したが?
屋根の上に斜めに航行する四人乗り小舟つまり「ボート」には納得がいかない。これは俗に
言う安土城の天守なのか?安土城なら石垣が描写されているはずだ。しかも、右斜めに飛翔
する四人乗りの小舟はかっての須田内湖や西之湖に浮かぶ舟の描写とは私には考えられない。
この小舟は内湖では無く曲折したセミナリオ周辺の水路やクリークに浮かぶ、小舟の描写で
はないのか?私はセミナリオ近辺の曲折したた水路を必死に探した。
これだ!確かに曲折した水路がセミナリヨ付近には存在して驚愕した。



※安土の小字「大臼/だいうす」からは大型建物礎石発見されず!
1580年に完成したのが安土のセミナリヨであるが大型建物礎石発見されていない。これでは
小字「大臼」にセミナリオが存在した証明にならない?セミナリオの存在した場所とは小字
「主之御座/しゆのみざ」ではないのか?判然としない。この問題に関しては保留にしたい。
しかし我ながら何故か?自分の孤独な風狂さに自嘲し虚しいく悲しい涙が頬を伝う。「微笑」

安土のセミナリヨは純和風建築三階建てで、客をもてなすための茶室が付属していた。信長は
屋根の瓦に安土城と同じ青い瓦を使うよう命じ、イエズス会員たちはこれに感謝した。責任者
となったグネッキ・ソルディ・オルガンティノ神父は入学者を集めるため、高山右近に依頼。
彼はキリシタンである家臣の子弟8人を安土に送った。オルガンティノ神父がセミナリヨの
目的について説明し希望者を募ると、彼らはそれに応えて入学を願った。その中には、後に
長崎で殉教するパウロ三木や、元和の大殉教で死んだアントニオ三箇がいた。