ヤマトタケル神話と母系制社会の民俗学的考察 5 少年通過儀礼
以下3例は時代も社会も異なるが日本人男性の少年から青年への通過儀礼を如実に物語る。
山田たける君の場合
僕は13歳になりました。青年団に無理矢理入らされました。昔は若衆宿と言ったそうです。
お祭りになり花笠踊りの練習をさせられました。さて本番になったら女装させられたんです。
家では姉ちゃんや叔母さんから化粧品を塗られて本当に嫌な気分です。祭りに出たら女の娘
が僕を見てキャーキャー叫ぶんで更に嫌な気分になりました。僕は青年団や若衆宿は嫌いだ!

ヤマトタケル君の場合
私の名前は「オウス」兄の名前は「オオウス」私は弟の命だ。父は景行天皇で叔母は倭姫
だ。父から九州の熊襲タケルを征伐して来いと言われた。仕方なく伊勢の倭姫の叔母の所に
行くと、叔母の服一式を拝領した。これで何をせよと言うのだ?私は熊襲に到着したが彼等
の家は三重の警備がされており熊襲タケル兄弟に接近できない。私は化粧して叔母の服一式
を着込んで宴会場の潜入に成功し征伐した。私は髪長く女装し相手は何処の姫かと誤認した。
織田三郎君の場合
儂は織田弾正忠の子息三郎である。行っておくが父も若き頃は三郎を名乗っていた。儂に
は異腹の兄信広がおる。しかし父は儂を後継者とみておる。今日は津島天王社の祭礼である。
さて儂は女装して天女の舞をする。祝 弥三郎は一段優れた鷺舞をせよ。儂が女装するのは
賢明な令和の読者ならば即刻わかるはずじや。天女踊りに興じる儂を見て、凡愚のうつけと
言うは俗世の輩よ!織田信長の心底看破した者はおらんのか?儂こそは当世のタケルじや!
付記『魏志倭人伝』
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼
事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 自為王以来少有見者 以婢千人自侍
唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛
「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、
乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。
夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。王と為りてより以来、見有る者少なし。婢千人を
以(もち)い、おのずから侍る。ただ、男子一人有りて、飲食を給し、辞を伝え、居所に出入りす。
宮室、楼観、城柵が厳設され、常に人有りて兵を持ち守衛す。」
その国は、元々は、また(狗奴国と同じように)男子を王と為していた。居住して七、八十年後、
倭国は乱れ互いに攻撃しあって年を経た。そこで、一女子を共に立てて王と為した。名は卑弥呼という。
鬼道の祀りを行い人々をうまく惑わせた。非常に高齢で、夫はいないが、弟がいて国を治めるのを助け
ている。王となってから、まみえた者はわずかしかいない。侍女千人を用いるが(指示もなく)自律的
に侍り、ただ、男子一人がいて、飲食物を運んだり言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に
出入りしている。宮殿や高楼は城柵が厳重に作られ、常に人がいて、武器を持ち守衛している。
付記 古代斎宮の世界
『古事記』にも太陽神、天照「アマテラス」の斎宮を描写している。斎宮では潔斎した人々「巫女」が
働いており機織や米作りもされている。それらの業務は神聖な行為とされる。祀りの場である。『魏志
倭人伝』の伝える卑弥呼の宮殿も斎宮を思わせる祀りに特化した世界を描写している。倭姫の伊勢斎宮を
訪ねる、倭健「ヤマトタケル」一方『魏志倭人伝』には卑弥呼の斎宮を一人の男子が飲食物を運んだり
言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に出入りしている事を記している。日本では内親王が斎王
を務める事になっており。内親王を「ひめみこ」と呼んでいる。皇太子は東宮と呼ばれる。
祀り「まつり」と政治「まつり」
現在でも地方の祭礼やフエスタに必ず政治家が参加している。フエスタとはフエステイバルで祭礼の事だ。
以下3例は時代も社会も異なるが日本人男性の少年から青年への通過儀礼を如実に物語る。
山田たける君の場合
僕は13歳になりました。青年団に無理矢理入らされました。昔は若衆宿と言ったそうです。
お祭りになり花笠踊りの練習をさせられました。さて本番になったら女装させられたんです。
家では姉ちゃんや叔母さんから化粧品を塗られて本当に嫌な気分です。祭りに出たら女の娘
が僕を見てキャーキャー叫ぶんで更に嫌な気分になりました。僕は青年団や若衆宿は嫌いだ!

ヤマトタケル君の場合
私の名前は「オウス」兄の名前は「オオウス」私は弟の命だ。父は景行天皇で叔母は倭姫
だ。父から九州の熊襲タケルを征伐して来いと言われた。仕方なく伊勢の倭姫の叔母の所に
行くと、叔母の服一式を拝領した。これで何をせよと言うのだ?私は熊襲に到着したが彼等
の家は三重の警備がされており熊襲タケル兄弟に接近できない。私は化粧して叔母の服一式
を着込んで宴会場の潜入に成功し征伐した。私は髪長く女装し相手は何処の姫かと誤認した。
織田三郎君の場合
儂は織田弾正忠の子息三郎である。行っておくが父も若き頃は三郎を名乗っていた。儂に
は異腹の兄信広がおる。しかし父は儂を後継者とみておる。今日は津島天王社の祭礼である。
さて儂は女装して天女の舞をする。祝 弥三郎は一段優れた鷺舞をせよ。儂が女装するのは
賢明な令和の読者ならば即刻わかるはずじや。天女踊りに興じる儂を見て、凡愚のうつけと
言うは俗世の輩よ!織田信長の心底看破した者はおらんのか?儂こそは当世のタケルじや!
付記『魏志倭人伝』
其國本亦以男子為王 住七八十年 倭國亂相攻伐歴年 乃共立一女子為王 名日卑弥呼
事鬼道能惑衆 年已長大 無夫婿 有男弟 佐治國 自為王以来少有見者 以婢千人自侍
唯有男子一人 給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設 常有人持兵守衛
「その国、本は亦、男子を以って王と為す。住むこと七、八十年。倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、
乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼と曰う。鬼道に事え能く衆を惑わす。年すでに長大。
夫婿なく、男弟ありて、佐(たす)けて国を治める。王と為りてより以来、見有る者少なし。婢千人を
以(もち)い、おのずから侍る。ただ、男子一人有りて、飲食を給し、辞を伝え、居所に出入りす。
宮室、楼観、城柵が厳設され、常に人有りて兵を持ち守衛す。」
その国は、元々は、また(狗奴国と同じように)男子を王と為していた。居住して七、八十年後、
倭国は乱れ互いに攻撃しあって年を経た。そこで、一女子を共に立てて王と為した。名は卑弥呼という。
鬼道の祀りを行い人々をうまく惑わせた。非常に高齢で、夫はいないが、弟がいて国を治めるのを助け
ている。王となってから、まみえた者はわずかしかいない。侍女千人を用いるが(指示もなく)自律的
に侍り、ただ、男子一人がいて、飲食物を運んだり言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に
出入りしている。宮殿や高楼は城柵が厳重に作られ、常に人がいて、武器を持ち守衛している。
付記 古代斎宮の世界
『古事記』にも太陽神、天照「アマテラス」の斎宮を描写している。斎宮では潔斎した人々「巫女」が
働いており機織や米作りもされている。それらの業務は神聖な行為とされる。祀りの場である。『魏志
倭人伝』の伝える卑弥呼の宮殿も斎宮を思わせる祀りに特化した世界を描写している。倭姫の伊勢斎宮を
訪ねる、倭健「ヤマトタケル」一方『魏志倭人伝』には卑弥呼の斎宮を一人の男子が飲食物を運んだり
言葉を伝えたりするため、女王の住んでいる所に出入りしている事を記している。日本では内親王が斎王
を務める事になっており。内親王を「ひめみこ」と呼んでいる。皇太子は東宮と呼ばれる。
祀り「まつり」と政治「まつり」
現在でも地方の祭礼やフエスタに必ず政治家が参加している。フエスタとはフエステイバルで祭礼の事だ。