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城郭 長谷川博美 基本記録

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長浜市 高田地名の「津」 と名士、川田幸夫さん。

2019-07-25 03:36:29 | 比較研究論
長浜市 高田地名の「津」 と名士、川田幸夫さん。

先日米原市内を散歩していると女性に長谷川先生と呼ばれて驚いた。
私を長谷川先生と呼ぶ人は世の中には絶対に存在しないはずなのに?

数年前の事である。私と城址見学したい人など滋賀県内には皆無だ
った。その現実は2019年の現在でも一向に変わらない状態でもある。

ところがあるとき長浜市高月で川田幸夫さんに偶然遭遇して5人もの
城址見学仲間を引連れている立派な人物に感化された。聞けば川田
様は彦根工業高校の学生時代に歴史地理部略して「地歴部」を創設
し佐和山城の見学などを実施された人物である。川田さんの人品や
品位や人望は真に立派なものだった。私は人気が極端にない講師だ。
見学会を開いても人が一人も集まらない現実が常に長年続いている。
私はあるとき突然発想の転換をした。川田さんこそが見学会の中心
であると。私は川田さんの家に連続して推参し会長を御願いした。
川田さんの人徳と光彩が,全く人気ゼロの私を擁護し会員の融和や
親睦を促進していたのだ。今「城歩会」にリハビリや療養に専念
されている川田さんに出馬を願う事は人間として常識はずれである。

◆名士川田さんの示唆
 川田さんは常々高田地名に着眼されていた私はその眼力や思考法
に一目を置いて尊敬していた。

2019年私は余呉川と赤川が合流する地点にひとり淋しく散歩し
東高田に「穴津」地名を発見して深い意味で仰天した。長浜市
の布勢で穴伏の地名看板を見て私は仰天した。

2019年梅雨あけて夏が到来し私は長浜市街の南高田の地名を
見て再度仰天した。南高田は現在琵琶湖から離れた内陸だが
やはり「津」地名があるのだ。


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近江名越と名越 公時 近江金太郎ロード散策 長浜市布勢

2019-07-25 01:27:18 | 比較研究論
近江名越と名越 公時 近江金太郎ロード散策 長浜市布勢

北条 公時(ほうじょう きみとき)は、鎌倉時代中期から後期にかけての北条氏の一門。名越流の第3代当主。名越 公時(なごえ きみとき)とも呼ばれる。滋賀長浜市の名越は名越(なごし)と読み北条公時とは関係がないと思われる。しかし前回西黒田村八条の足柄神社は花園天皇の御代正和元年、北条時村の嫡子左近将監盛、当地に一社を建立し、足柄神社と称し今日に至ると言う文言が気にかかる。坂田金時「さかたのきんとき」の伝承と北条公の(ほうじょう きみとき)伝承が混沌と入り混じったものかとも思われる?付会や伝承や由緒や社伝は時に誤伝を伴うものがあり厳格な歴史を考察する場合には注意が必要である。

近江名越には「名越童子」伝説や「後鳥羽院に関する伝承」など様々に存在する。また『淡海温故禄』には近江の祓戸つまり彦根の荒神山などに並ぶ「おはいらい/修祓/シュバツ」の場所として名越は登場する。おそらく夏を無事に乗り越える神事「夏越しの祓え」に起因するものであろうか?


◆『滋賀県中世城郭分布調査』の時の夏越し越えの山城の発見は長谷川銀蔵博美によるもの。
◆夏越しの南にある布勢に巨大な白鳩山城発見は近江公民館を拠点とする『城歩会』の皆様
 と長谷川博美によるもの残念なが『城歩会』は私の全く人気の無さから惜しくも解散した。
◆我々『城歩会』の中心人物は人徳あり篤実あり温厚な長浜市東高田の名士川田幸夫様でした。
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