チャレンジ

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投資回収型コミットメント

2008-12-03 23:43:36 | 身近な出来事
「継続は力なり」ではなくて「力になるまで継続する」というのが、前の組織のトップがいつも言っていた言葉だった。

この言葉には逆転の発想があり、それが正しいかどうかわからなくても、とにかく続けてみること、続けてみるとその本質が見えてくるし、そして続けていることで力がついてくるという意味だと私は思っている。

この逆転の発想に似たもので、『コミットメント』と『とにかくやってみること』との間に私にとっての新しい関係性を見出した。

私の場合最初にコミットメントがあって、それをベースにしてとにかくやってみるという思考パターン&行動パターンがある。コミットメントが先に来て、それで私自身のモチベーションをコントロールし行動を起こすパターンがあった。

この私自身のコントロールのしかたがあってのことだと思うが、私以外の人に対してもコミットメントをまず最初に求めていた気がする。

相手に対して「信じるのか、信じないのか まず決めてくれ!」とナイフを突きつけて、そして「信じる」といってもらうことをまず求めていた。
そして「信じる」というところで私とその人とでコミットメントの共有ができ、あとはそれをゆるぎないものとして実際の行動に移るというパターン。

先に決めて、それをエネルギーにして行動を起こすパターン。

私の、『コミットメント』と『とにかくやってみること』についてのとてもホットな発見は、「信じるか、信じないかは重要ではない」、「信じなくてもとにかく始めてみればいい」そして「やっていることにエネルギーや時間をかければかけるほど、コミットメントは勝手に高まってくる」というもの。

これに気がついたのは英語学校の宿題をやっていた時のこと。

「なんでこんな宿題をやらないといけないんだ」と不満を持ちながら宿題をしていた。量が多いから時間がかかり、なかなか終わりが見えないときには不満がとても強い。「もう勉強に行くのはやめてやる」とか、「あの先生の教え方はいまいちだ」とかいろんな不満に意識がいき、不満ばかりが出てくる。コミットメントはどこにもない。

それが、宿題が進み、終わりが見えてくると次第に気持ちが変わってくる。「ここまで時間をかけて宿題をやったのだから、私自身の役に立てたい、私の力を高めたい」というように気持ちが変わってくる。英語学習に対するコミットメントが高まってくる。『投資回収型コミットメント』と呼ぶのか、または『不満足から満足への転換型コミットメント』と呼ぶのか、いずれにしても最初にコミットメントがあるかどうかは全く重要ではない。

このことに気がついて自分自身がすごく楽になった気がする。私自身の気負いがなくなるような気がするし、私が接する人に対してもう少しリラックスした対応がとれるようになると思う。

『学びはいろんなところにある』ということも改めて気がついた。