チャレンジ

楽しく、自然体で生活しながら、チャレンジし、感じ続ける記録です。

ギリギリまでやらない

2004-10-16 20:40:26 | Weblog
 ばたばた続きの一週間が終わった。

 ばたばたは来週からもしばらくは続く。こうなるのは仕事の都合上やむを得ない部分もあるとこれまで納得していたが、仕事の都合だけでばたばたしているのではないような気もしている。

 私の得意とする仕事の進め方は、一つ一つこつこつと時間をかけて積み上げながら進めていくものではなく、時間が非常に少ない中で瞬発力と調整力を生かして一気に形にするタイプのものだ。頭をフル回転させて、限られた時間の中で何ができるかを考え、リスクや可能性をシミュレーションしながらやっていく。このような仕事をやらせるのなら、仕事が仕上がるタイミングは本当にギリギリになるが、私に任せておけばそれなりに形にはする。

 でも、本当はこの仕事のやり方は変えたいと思っている。

 ばたばたしながらも、仕事をやり終えた時には、「よくこの短い時間でこれだけのことをやり終えた」と自画自賛することも多い。でも、少し時間がたってから、その仕事を振り返ると、もっとよい仕事ができたなと感じることもよくある。もう少しでも余裕をもって取組めば、もっと良い仕事ができたと感じることがよくある。

 ウルトラマンは仕事をするのは3分だけと限られているから、ギリギリまで仕事をしないが、私はただのオヤジなので、もう少し早くから計画的に仕事をしようと思った。

ぼけ老人とタヌキオヤジの会話

2004-10-15 23:46:57 | Weblog
 仕事を通じて会社の中枢を担う人達に会うことが最近多くなってきた。

 さすがに頭がきれる人が多いことを実感する。共通するのは、洞察力の高さ。少しの情報からでも全体像を理解し、そこでのポイントを見つけ出す。自分自身の過去の経験/体験や世の中の事象などと、目の前にある情報を照らし合わせてイメージを作ったり、膨らませたりするのだと思う。

 こんな人達から出てくる意見・指摘や質問は奥が深い。

 だから、質問を受けたときには反射的に答えを返すのではなく、何を求めているのかを一度頭の中で考えて答えを返したほうが的を得た答えになるようだ。反射的に答えを返していると、「わからんやつだな」という顔をされることが多い。頭がきれる人を相手に話をするためには、こちらも頭をくるくるまわしておかないといけない。

 頭のきれるひと同士の話しは理解しずらい。

 お互いに一を聞いて十を知るから、横で聞いていて会話として成立しているのかなと疑問に思うことがある。相手の質問に対して、それに正面から答えていないような印象を受ける。

 「たぬきおやじとボケ老人の会話」と表現する人がいた。

 頭がきれすぎるのも考えものかもしれない。お互いに相手のことを本当に理解できているのだろうか、理解したつもりになっているだけではないだろうか。本人達も、お互いに理解できているか疑問におもっているのではないだろうか。

これは使えるかも

2004-10-14 23:04:57 | Weblog
 言いにくいことを言うときに関西弁は便利だ。

 ごり押しする時に「そんなん言わんと、やってぇ~な、たのむわ~」。無理なお願いを断る時に「あかん、あかん、あかんゆうたらあかん」。
今日は自分の考えを言わないで、否定ばかりする人に「それやったら、どないします?」と尋ねた。「そんなこというんだったら、どうするんですか?」と尋ねるのと比べると、ダイレクト感はかわらないで、一方で相手への脅迫感というか、圧迫感というかはずいぶんと少ないように思っている。

 普段から関西弁で話すよりも、ここぞというときに関西弁を使うと効果がある。

 でも、たまに使うのならもっと効果のありそうな言葉を見つけた。
 無理なお願いを断る時に「あかん、あかん、あかんゆうたらあかん」と関西弁でいう代わりに、「イヤーん、やめて!」とKABAちゃんのようなオカマキャラで言ってみたらどうだろう。ついでに「イジワル!!」とか言ってみよう。みんなの目が点になるかもしれないが効果抜群のような気がする。これは、きっと使えると思う。 

*画像のソースは下記
http://www.anthem.co.jp/profile/kabasima.htm

ハゲの似合う男

2004-10-13 20:37:07 | Weblog
 仕事が忙しくなるとどうしてもストレスが溜りがちになる。ストレスで気になるのが抜け毛。

 夏の陽射しで頭皮が痛むことから、秋は抜け毛が多いらしい。それに加えて年齢的なもの、さらにはストレスが加わってくると、髪の毛が心配になってくる。
家系的にハゲの遺伝子を持っていることから、数年前から意識して防止策をとってはいるが、進行を若干でも遅らせるのに役立っているのかどうかというところだ。

 4年前位にアートネーチャーの育毛コースというのに通ったことがある。

 そこでは、パーマキャップのようなものをかぶったり、特殊な液体で洗ったり、マッサージ機がついたような帽子をかぶったりと、要は毛穴をきれいにして、毛根細胞を刺激することをやってもらう。
頭皮だけでなく気分もリラックスできる雰囲気があって、なかなかいい。テレビコマーシャルにでるような美人の人はいなかったが、話し上手のおもしろいお姉さんがいた。

 世の中には西村雅彦のようにハゲが似合い、ハゲがセクシーだといわれる男もいるが、私はどうもハゲは似合いそうにない。できるだけ、ストレスをためないように仕事に取組むには、仕事を楽しむことが大切だと思う。もっと仕事を楽しもう。

*西村雅彦の写真は下記のもの
www.fujitv.co.jp/ power/interview_main.html

やっぱり上昇局面

2004-10-12 22:04:41 | Weblog
 今日は朝から、一日中e-mailの対応に追われた。

 回答期限を迎えてその返事をしてくれるメールや、回答期限が過ぎたものに対して私のほうから回答を促すメールもあり、引っ切り無しにメールのやり取りをした。
これをきっかけにして、これから協力をお願いする方々なので、質問等が書かれていればその答えを書き、質問がなくても、たった一言でもお礼の言葉を言っておきたいと思い、とにかくメールを書き続けた。
大量のメールが来ることがわかっているので、とにかくスピードが重要。メールがはいった先から次々と対応した。

 何気ない言葉が相手を不愉快にさせたりということが、メールでは起こりがちなので、スピードを意識しながらも、書く内容には最善の注意を払った。プライベートのメールならば絵文字なども使って表現力豊にソフトな雰囲気もかもし出せるが、ビジネスなので、そうもいかないから余計にきつい。
幸い、今日のところは、私のメールを不快と思った人はいなかったのか、お叱りのメールをいただくようなことはなかった。

 やはりエネルギーの上昇と運気の上昇局面に入ってきたのかなと実感した。ただ、こんな時が要注意。気持ちを引き締めて驕らず、高ぶらずが大事。

不思議な力

2004-10-11 23:34:29 | Weblog
 頭の中に次から次とアイデアが浮かんできて眠れなかった。

 これまで悩んでいてその答えを出したいと思っていたことや、気になってはいたが答えを出すのを先送りしていたことについて、次から次とアイデアが出てくる。頭の中にあるいろいろな制約の中で、これだけは取り払うことができないというもの以外、全ての制約を取り払って自由に発想している感覚がある。
 答えを出したいと思うことを頭の中で何度も深く考えて、それでも答えがでない時に、いったんその答えを考えるのをやめる。そうするとしばらくして、突然その答えが浮かんでくる。これと同じことが、ジュリアン・パトリス著『32日の月』三笠書房の中にも書かれていた。

 こいうことは過去にもよくあった。眠っている時というよりは、歩いている時や風呂に入っている時にアイデアが出てくることが多い。
 題名は忘れたが別の本にも、答えを出したいことを深く考えた後に考えるのをやめると、脳の中ではその答えを出すための処理を行い続け、その答えが出たタイミングに突然答えがでてくる。気分が落ち着いてリフレッシュしている状態で、この答えが出てくることが多い、と書かれていた。

人間に不思議な力が備わっている。

変化のきざし

2004-10-10 21:16:02 | Weblog
 それは突然やってくる。

 ここ何週間かエネルギーが下がっていくのを感じていたが、今日になって変化を感じた。言葉では上手く説明できないが、自分自身に何か変化がおきていることを感じる。そしてこの感覚を感じたときには、決まって身体にも変化が現れていることを経験的に知っている。

 背中の肩より少し低い位置に一本だけ毛が伸びていることを、鏡で確かめた。

 これは本当に不思議な話なのだが、自分自身のエネルギーの変化と背中の毛の関係はもう5~6年くらい前から続いている。この背中の毛が生えてくると、それから短くて2週間ほど、長くて1ヵ月くらいはエネルギーが上昇し、それにともなって運も高まってくる。グラフにたとえると右下がりに伸びた線が底をうって、右上に向かって上昇している期間だ。
 面白いことに、この線が上昇しきった時も、感覚的に感じることができる。そして、その時にどういうことをすれば、自分自身のエネルギーや運が急激に下がらないかも知っている。

 丁度いいタイミングでやってきた変化のきざした。



ヒットの予感

2004-10-09 19:22:04 | Weblog
 TVコマーシャルで見た時、この商品は何だろう?と思った。

 CANONのピクサスという「プリンター」だった。形状はまるでビデオレコードのようで、しかも色は黒だ。

 部屋のプリンターが目に入った。3年くらい前に購入したこのプリンターはいかにもプリンターですという形状をして、色はうすいグレーだ。部屋の中にあってプリンターですという存在感を強く放っている、これだけがまるで事務所のような雰囲気をかもし出している。違和感がある。
 PIXUSが出る前にも、カラーではPIXUSのような色のプリンターもあった。でも、形状までこんなにプリンターらしくないプリンターはなかった。

 プリンターはいつでもすぐ使える、よく目立つ場所におかれているから、部屋の雰囲気に調和するものがいい。

 よく考えればそう思うのだが、事務所におかれているようなプリンターを見慣れると、プリンターとはそういものだと思って違和感を感じないでいた。でもPIXUSを見ると「これはいいな、部屋の雰囲気にあうな」と感じる。

 商品化のためにはいろんな技術革新が行われたと思うが、発想の転換が素晴らしい。

 今現在の状態をそれが普通と考えない、そして発想の転換をしながら、今あるものを見ると、いろんなおもしろいアイデアやビジネスの発想が生まれることを、あらためて感じた。


家で飲む感覚

2004-10-08 23:02:29 | Weblog
 家でお酒を飲むのと、外でお酒を飲むのとを比べると同じものを飲んでも感覚が違う。

 味の評価は家で飲む時の方が厳しくなる。家では、味を確かめながら、味わいながら一杯一杯飲む感覚がある。外で飲むときは、それに比べて雰囲気で飲んでいる感覚がある。賑やかな飲みが基本的に好きだし、しっとりとした飲みも好きだが、お酒を飲む目的は、味を楽しむというよりは、雰囲気を楽しむためのような気がする。食事だけではその楽しい時間がすぐに終わってしまうから、それが惜しくてもう一杯、もう一杯と飲んでいるような気がする。
 
 家ではあまり量を飲むことはない。味の評価が厳しくなる分、外で飲むより、もっと美味しいお酒を少量飲む。飲む回数も何日かに1回くらいだ。そして家では一人で飲むことが多い。一人で飲みながらいろんなことを考える。楽しいことを考えていることもあれば、何かを反省しているときもある。あまり誰かに話しかけてもらいたくはなく、自分自身の世界に浸っていたい感覚だ。
 皆で騒ぐのもとても好きだが、そればかりだと自分が自分でなくなってくる気がする。一人の時間を持ってバランスを保っているように思う。

 家では一人で飲んでも寂しくはない。家にはやすらぎや安心感がある。

新鮮なものは美味しい

2004-10-07 22:18:10 | Weblog
 釣り上げたその日に食べる新鮮な魚はおいしい。

 イサキ、アジ、ハゲの刺身を、軽く湯煎したハゲの肝を砕き醤油とゆずを加えたものにつけて食べた。ハゲの肝のこくとジューシー感、ゆずのさっぱり感、新鮮な魚の食感と味わいの組み合わせが絶妙だ。たいへん美味しくて、いくらでも食べられる。

 新鮮さがいちばんのご馳走だ。

 今日釣ってきた魚ということがわかっているので、余計に美味しいと感じる部分もあったと思う。同じものを明日食べたとしたら、またはいつ釣ったのかをわからないで食べたとしたら、今日感じたようにおいしいとは感じなかったと思う。

 魚だけでなく、情報も新鮮さが重要だ。

 新鮮な情報を新鮮なままで伝える仕事にチャレンジしている。これを実現するためのインフラや経験がないこと、加えて重要なことが決まらないためデッドラインが迫る中、日に日にプレッシャーが強くなってくる。ユーモアの感覚を次第に失い、戦闘モードに入りつつある。
 新鮮な情報に味があるとしたら美味しい味だと思う。美味しい経験を多くの人にしてもらいたいから、ぜひいい形でやり遂げたいと思っている。 

 

 

酔えない食事

2004-10-06 23:27:26 | Weblog
 今晩は素敵な女性&おやじ3人で会食に行った。

 親交を深めるといった会食ではなく、ビジネスの相談を行う会食だった。できるだけ、アルコールは控えながらビジネスの相談を一通りおこなえたので、会食そのものの目的は達成した。
こちらの目的もビジネスだし、相手の目的もビジネスだから、これはこれで良いのかもしれない。でも、個人的には、折角素敵な女性と会食をしているのに、ビジネスの話ばかりしているのはつまらないなという不満はたまった。
 
 カジュアルに普通の会話を楽しむ部分がもっとあっても良かった。

 心の知れた仲間と飲んだり、コンパは得意なのだが、ビジネスの場での、その場の雰囲気や目的にあったカジュアルな会話をできる力や話題が私には不足していると思う。
  

かたい話

2004-10-05 22:17:38 | Weblog
 今朝は悪夢から始まった。
 
 今日こそはやり遂げようと思っていた仕事が先週からなかなかはかどらないでいた。そんな時は夢にまでそのことが出てくる。仕事を終えられなかったために、はちゃめちゃなことが起きる夢だ。
 朝からエネルギーが下がった状態で、おまけに少し熱っぽい。今日も懸案の仕事がやり遂げられなったらどうしようかというプレッシャーも重くのしかかり、とてもきつい状態だった。

 体調が悪いと欲をかかなくなる。

 普段なら気になるヨッシーとエバタさんの会話も、ほとんど耳に入ることなく、集中して仕事に打ち込む。思考の柔軟性や余裕はなくなっているが、その時の自分能力をめいいっぱい使っている感じがしていた。今できることだけに力を集中しようという強い意志があった。結果として懸案事項はやり終えることができた。そして、仕事を終えるころには体調も回復してきた。

 家に帰って充実感に浸っていた。久しぶりにビールも飲んだ。

 でも、よく考えてみると、仕事が終わったのではなく、ようやく仕事を始めるきっかけを作ったということに気がついた。それと同時に、この仕事をやり遂げた成果ってなんだろう?と考えた。やり遂げたことは行為の結果であって、成果ではない。成果を意識して仕事をすることをまた忘れていたことに気がついた。

今日は、かなり内容の硬い話になった。やっぱりまだ体調がよくないのかもしれない。

 

変化に気づく

2004-10-04 22:11:37 | Weblog
 締まった仕事をしようと思った時には全身を黒でまとめるのがいい。

 黒の靴、黒のベルト、黒のシャツ、黒のスーツ、そしてネクタイも黒地に白の斜めストライプが入ったものを選んだ。全身を黒でまとめると、たるんだ気持ちが引きしまってきて、仕事に集中できる。

 ただ、昼間は少し眠かった。週末の疲れが残っている。

 眠くなった時に我慢できる人もいれば、我慢できずに眠ってしまう人もいる。私は我慢できずに眠ってしまう。だから、会議中など席を立つこともできず、しかも絶対に寝ることが許されない場面ではとても大変だ。最初は軽く顔をたたくところから始まって、次には、太ももをつねり、手をつねる。それでも効かない時は、とにかく目を開けておくことを考えて、瞼の上を指ではさみ、無理やり開けておく。

 にらめっこで人を笑わせるような顔になっているはずで、会議中としてはかなり異様な光景だ。

 でも、人は自分が思うほど他人からは見られてはいない。私が瞼をこじ開けているところを見つけて、「異様ですね!」と言ってきた人は誰もいない。自分のことが気になる気持ちは、やはり自分自身が一番強いのだろう。髪を切った時など、「少し切りすぎた」と自分ではすごく気になっても、周りは「そう?」といって全くきにしていないといった話をよく聞く。

 外見でもそうだから、内面の変化は、他人からはとてもわかりづらい。

 「人の内面のエネルギーの上がり下がりを感じ取って、エネルギーの上がる場面を引き出すようにする」ということを先日受けた研修で教わった。相手に意識を集中すれば、こんなことができるそうだ。
本当かな?とも思うが、そこまで相手に意識を集中し、深く観察をすれば、いろいろなことが見てくるような気がする。

 そうしたら、相手の変化に気づいて、気の利いたことの一つや二つも言えるかもしれない。最近あまり気の利いたことをいえない自分が変わるかもしれない。

期待と不安の週末

2004-10-03 22:41:56 | Weblog
 週末はあっという間に終わってしまう。

 土日の2日間、3年前にとった資格の更新要件となる研修を受けていた。研修に積極的に参加し、充実した時間を過ごすことができたので、今週末はいつも以上に時間がたつのが早かった気がする。

 気がつけば10月になっていた。1年もあっという間に終わってしまう。

 仕事もプライベートもまだ遣り残していることがたくさんあるから、これからの3ヶ月は瞬く間に過ぎてしまうと思う。期待と不安とを比べると不安の方が少し大きい。でもそんなことを言っていてもしかたないし、できるだけ楽しみながら精一杯取組もうと思っている。

 秋は好きな季節だから、嫌な気持ちですごしたくはない。

 日本の秋もいいが、ヨーロッパの秋もすごくいい。1年のうちに何回かヨーロッパが恋しくなる季節があるが、今が丁度その季節だ。一番行きたいところはルクセンブルク。市内を取り囲む城壁に座って谷沿いの旧市内と周囲を見渡したい。今頃は日本の晩秋の装いで緑の中に落葉樹の茶色が混じり、その色合いが石造りの建物と絶妙に調和する。片道300kmくらいはあったが、この景色が見たくて、よくふらっと車で走っていった場所だ。

 日本の中でもこんな場所をみつけたい。気持ちがスーッとして、少しエネルギーが充電されるような場所を。

香りの存在感

2004-10-02 23:25:19 | Weblog
 キンモクセイの香りがする涼しい朝を自転車で走るのは気持ちがいい。

 芳香剤のキンモクセイの香りと、自然のキンモクセイの香りとでは、言葉では上手く説明できないが、明らかに違いを感じる。

 小学生のころはキンモクセイの花をよく鼻の中につめていた。

 自然のキンモクセイは鼻の穴につめこんでもいい香りがするが、芳香剤のキンモクセイは鼻の近くで嗅ぐと気持ちが悪くなる。やはり自然がいい。

 でも、キンモクセイの香りを嫌いな人もいるんだろうと思う。焼き魚の臭いは日本人にとっては食欲をそそる良い臭いだが、ドイツ人にとってはなんとも言えず気持ちが悪くなる臭いらしい。ドイツにいる頃は、このことを聞いて、魚を家で焼くことは殆ど無かった。

 最近よくオーデコロンをつけるようになった。 

 少し気に入った香りをみつけたことと、香りの存在感が気になったからだ。あるオーデコロンの香りがすると、そこに誰もいなくても「(名前)さんがいたんだな」とわかる。そこまでするとオーデコロンをつけすぎだが、香りでも印象づけることができる例だと思う。

香りでも存在感を意識するのは、自己主張が強くなったんだろうか。