WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ふらんす物語

2013年12月30日 | 今日の一枚(A-B)

◎今日の一枚 362◎

Barney Wilen with Mal Waldron

French Story

 

 冬休みである。年末である。といっても、HCを務める高校女子バスケットボール部の練習に付き合わねばならず、完全な休みとはならない。それでも、普段よりは圧倒的に時間的余裕はあるわけで、以前からぼんやり考えていた、太田裕美に関する文章をいくつか書いてアップしてみたのだが、日常生活でいつも太田裕美ばかり聴いているわけではもちろんなく、音楽に接する時間としては圧倒的にジャズの方が長い。

 さて、しばらくぶりの今日の一枚は、バルネ・ウィランの1989年録音作品、『ふらんす物語』である。映画音楽集である。フランス映画、あるいはフランスに関係の深い映画の音楽が取り上げられている。映画音楽といっても、退屈なムード・ミュージックみたいな演奏ではもちろんなく、スリリングな純正ジャズ作品である。"French Story" をひらがなで『ふらんす物語』としたセンスは悪くない。永井荷風の『ふらんす物語』を下敷きにしたのだろうから、誰でも考えつくといわれればそうだろうが・・・。凡庸といえば凡庸なのかもしれない。けれども、私自身はこういう、大正モダニズムみたいなのは結構好きだ。ブックレットの裏表紙には、たばこをくわえたフランスの女性らしき人物の絵があるが、いかにも『ふらんす物語』をイメージさせ、ちょっと退廃的な感じでなかなかいいじゃないか。私が買ったときにはこちらがジャケットで、このジャケットに魅せられてこのアルバムを買ったように記憶しているのだが、webで検索するとどうも違うようだ。バルネの写真のやつがジャケットで、こちらは裏表紙のようだ。ブックレットの向きからいえば確かにフランス女性の絵が裏表紙だ。私の記憶違いなのだろうか。

 with Mal Waldron となっている通り、マル・ウォルドロンの存在感が際立っている。硬質な音色のピアノだ。力強くメリハリのあるピアノがサウンドにアクセントをつけている。バルネ・ウィランのテナーも情感たっぷりで好ましいが、それが甘く流れ過ぎないよう、マルのピアノが抑制している感じだ。マル・ウォルドロンのピアノが、音楽に深さと重さをもたらしている。ずっと以前の記事に書いたように、マル・ウォルドロンのソロ演奏を生で、しかも至近距離で見たことがある。1.5m~2mぐらいの距離だったろうか。私の住む街の小さなジャズ喫茶のライブで、最前列の席だったのだ。マルはたったひとりで、タバコをくわえながら、自分のペースでゆっくりと味のあるピアノを奏でた。このアルバムのブックレットには、バルネとマルが演奏する写真があるが、この写真のマル・ウォルドロンはその時私が見たイメージそのままだ。懐かしい。そのジャズ喫茶は、それから数年後にあの津波で大きな被害をうけた。人間の背の高さ以上も浸水して、多くのものが流されてしまった。現在はなんとか復活しているが、かつてこの店で聴いた多くの演奏は随分前のことのように感じる。

 私のもっているCDは1990年に発売されたもののようだが、発売されてすぐに買ったように記憶している。買ったばかりの頃は繰り返し聴いたものだが、なぜかそのうち聴くことがなくなってしまった。悪い内容ではないし、アルバムの存在を忘れたわけではないが、なぜだか20年以上かけてみることはなかった。先日、なぜか突然、このアルバムのことが頭に浮かび聴いてみたくなった。きっかけらしいきっかけは思い当たらない。本当に、突然、なぜだか頭に浮かんだのだ。人間の脳のしくみとは不思議なものだ。

 20数年ぶりの『ふらんす物語』は、私を裏切らなかった。

 


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