WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

空気を伝わってくる音楽

2012年09月01日 | 今日の一枚(O-P)

☆今日の一枚 326☆

大貫妙子

Boucles d'oreilles

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 今日は中学3年生の次男の運動会だった。中学校の校庭は仮設住宅で使えないため、近くの小学校の校庭を借りての開催だ。普段仕事にかまけてかまってやれない罪滅ぼしにと、朝から精力的にビデオ撮影を行い、応援した。今日は高校生の長男の文化祭もあり、妻は午後からはそちらに行くと張り切っていたが、私は疲れてしまって、運動会終了後、自宅に戻った。どうやら、リビングで横になり、そのまま眠ってしまったようだ。目が覚めたばかりの、ぼやけた私の頭は、何か穏やかで静かな、抒情的あるいは牧歌的な音楽を求めているようだった。そう思ってしばらくぶりに引っ張り出したのがこのCDである。

 大貫妙子の2007年作品、『ブックル・ドレイユ』である。大貫妙子が1987年から取り組んでいるピュア・アコースティク・サウンドのひとつの集大成のような作品である。弦楽四重奏+ピアノ+ベースをバックに繰り広げられるサウンドは、疑いなく「独自の美意識に基づく繊細で透明な歌世界」(CD帯)といってよいと思う。大貫妙子の声もいつになくかわいい感じで、ちょっと新鮮ではないか。

 大貫妙子のアコースティック・サウンドの魅力はその空気感にある。彼女自身が何かのインタヴューで語っていたが、音が空気を伝わって聴衆に届く、そのある種の生々しさが面白いのだという。生々しいといっても、それは決して汗臭い生々しさではない。それは何というかやはり、「ピュア」とでもいうしかないような種類の生々しさだ。とにかく、音が伝わってくるその空気感がたまらなくいいのだ。

 このアルバムは何といっても選曲が良い。「彼と彼女のソネット」、「若き日の望楼」、「風の道」、「黒のクレール」、「横顔」、「新しいシャツ」、そして「突然の贈りもの」と、ピュア・アコースティック・サウンドで聴きたいと思うような曲が数多く収録されている。願ったりかなったりである。ただ正直にいえば、このアルバムの演奏についてはほんの少しだけ違和感がある。否定的な意味ではない。演奏のスピードや音と音の隙間の余韻が、私の細胞の呼吸みたいなものと若干ずれている気がするのだ。例えば、以前取り上げた『Pure acoustic plus』や『UTAU』のそれと若干異なり、いまひとつサウンドに同化・没入できない感じがするのだ。もちろん、これは個人的な感覚、生理的リズムの問題であり、この作品の価値をなんら貶めるものではない。

 お昼寝の後の、ぼんやりした頭で大貫妙子のアコースティック・サウンドを聴く。しばらくぶりの休日の、ちょっと贅沢な時間だったような気がする。


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