WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

まるでクラプトンのようなクラプトン

2012年08月25日 | 今日の一枚(E-F)

☆今日の一枚 325☆

Eric Clapton

Just One Night

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 エリック・クラプトンの1979年12月3日の日本武道館でのライブ録音盤『ジァスト・ワン・ナイト』である。ずっと前にカー・オーディオのHDDに入れたのであるが、ここ数日なぜか毎日聴いている。結構いい・・・・。ホワイト・ブルースを基調にしたギター・フレイジングと、しゃがれ声の渋いボーカル。恐らくは、それが多くの日本のファンが、こうあってほしいと望んでいたようなクラプトンではなかったか。少なくとも、私が1970年代以降のクラプトンに勝手にもっいたイメージはこのアルバムの演奏のようなものだった。私が、あるいは日本人がクラプトンに持っているようなイメージを、クラプトンが演じたような作品である。まるでクラプトンのようなクラプトンの演奏だ。

 アルバム・ジャケットだってかっこいい。顔にはひげをたくわえ、ジーンズに、シャツにベスト(チョッキ)、そしてなんとギターは黒のストラトキャスター、「ブラッキー」だ。これぞクラプトンというジャケットじゃないか。アルバムの中にある次にあげる写真なんてもう最高。これぞ、高校生の頃の私が思い描いていた、かっこいいクラプトンの理想像といっていい。何度まねをしようしとたことか。ひげの薄い私には無理だったのだけれど・・・・。

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 とまあ、これでもかこれでもかと、「かくあるべきクラプトン像」が提示される。ちょっと、過剰サービス気味といえなくもないほどだ。その意味では、予定調和的でスタティックな、いかにも、というステレオタイプなアルバムといえるかもしれない。しかし、1960年代のクリーム時代と、1970年代初頭のサザンロックとの出合いを除けは、クラプトンとはそういう存在だったのではないか。人々がクラプトンに求めていたものは、ディオニソス的な、ある種の革命的な新しさではなく、むしろ、どこか懐かしい、静かで穏やかな安定だったように思われる。また、クラプトン自身もそのことを十分に理解し、演じてきたように見える。だから、そのことをもってクラプトンの演奏のロック・シーンにおける優劣を論ずるのは、正しい遇し方とは思われない。私は、といえば、そういうクラプトンが嫌いではない。


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