WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

初恋ノスタルジー・・・・青春の太田裕美(26)

2013年12月24日 | 青春の太田裕美

 1977年リリースの名曲、「しあわせ未満」のB面、「初恋ノスタルジー」である。アルバムには収録されておらず、一般的にはほとんど知られていない曲だろう。もしかしたら太田裕美ファンにも印象の薄い曲かもしれない。ただ、「しあわせ未満」のB面ということで、もしかしたらメロディーが頭にこびりついているファンも意外と多いかもしれないなどとも一方で思う。かくいう私もその一人である。 

 マイナーフォーク調の旋律が好ましい。イントロのアコースティック・ギターの不協和音が妙に耳に残る。ノスタルジックで印象的なギターだ。唐突におわるようなエンディングも余分なものを省いたようで悪くない。秀逸なアレンジだと思う。太田裕美の声も非常にのびやかである。半音を多用した難曲にもかかわらず、音程も非常に正確だ。ファンにとって不朽の名曲である「しあわせ未満」のB面として、まことにふさわしい曲だ。太田裕美的名唱といってもいいだろう。Scan1 

 過去を追憶する歌である。過ぎ去ってしまった時間に対する哀しみや切なさが表現されている。その意味では太田裕美的青春、太田裕美的ノスタルジアを表しているといっていい。しかし、この救いのない切なさは何なのだろう。あまりにシビアすぎはしないか。「病的」なものを感じるのは私だけだろうか。大切な想い出を、手つかずの美しいままに、まるで冷凍保存でもするかのように記憶しようとするところが、どうしようもなく切ない。 

 語り手の女性は、短大を卒業しても「この街」にとどまり続けているのだ。「この街」とはもちろん「あなた」がいる街であり、高校時代を「あなた」とともに過ごした街のことである。それは、「別れた時から時間の止まったあなたが心にいる」ためなのだ。ところが一方で、クラス会の通知の欠席を丸で囲んでしまったりするのだ。それは恐らくは、「少女の面影失くした私をあなたに見せたくないんです」という理由からだけではない。変わってしまったであろう今の「あなた」に会いたくないためでもあるのだ。「私が死ぬまで少年のままの、あなたが心にいるんです」というフレーズがそれを物語る。まさに、過去の冷凍保存だ。「私が死ぬまで」という言葉に、とても唐突な印象をうける。何かを思いつめた、深刻な心の状態を感じさせる。短大卒業以上の年齢の女性が、「少年のままのあなた」を死ぬまで心に保持しようと決意しているのだ。あまりに深刻過ぎはしないだろうか。語り手の女性は、もはや過去の世界の住人といってもいい。「別れた時から時間の止まったあなたが心にいるんです」というほど過去に執着し、その遠いはずの過去を「遠い日はあざやかな色」といっているのだ。「あなた」と別れて以来ずっと、女性は美しい過去の世界にとどまり、そこに自閉しているようだ。

 これほどまでに過去の世界の住人であることに固執し、その美しい想い出の世界にとどまり続けようとするのはなぜなのだろう。そう考えると、「想い出は 想い出は遠きにありて 哀しみは 哀しみは近きにありて」という部分が、妙にリアリティーを持つ。「哀しみは近きにありて」といってしまう語り手の人生とは何なのだろうか。ここでいう「哀しみ」とは、もはや、過ぎ去ってしまった過去へのノスタルジーだけではあるまい。語り手の現在の≪生≫が不遇なものであることを思い描いてしまうのは、私だけだろうか。そう考えてしまうと、もう曲は聴けない。気の毒になってしまう。たいへん素晴らしい曲だが、穏やかな心では聴けない。 

 語り手の女性がこの不遇を乗り越え、生き生きとした≪今≫を生きていることを祈るばかりである。