WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

海が泣いている・・・青春の太田裕美(28)

2013年12月28日 | 青春の太田裕美

 太田裕美の1978年作品『海が泣いている』のタイトル曲「海が泣いている」である。

 穏やかだが、スケールの大きなサウンドである。聴きこむほどに味わい深い曲だ。低い声で、言葉をかみしめ、語りかけるような出だしがたまらなくいい。さびの高音は往年ののびやかさはないものの、むしろその訥々とした歌い方が、曲の魅力を引き出している。

 私はこの「海が泣いている」という曲を絶賛したい。素晴らしい。本当に素晴らしい。先日の記事で、アルバム『こけてぃっしゆ』のシティー・ポップ路線について、「もっと違う方向性があったのではないか」と疑問を呈したが、選択すべき方向性とは例えばこの曲であるといいたくなるほどだ。市場的なセールスは下降期に入っており、このアルバム自体もすべてが素晴らしいというわけではない。喉の状態も決して快調とはいえないようだ。けれども、太田裕美の表現力がそれを補っている。この曲に現れたような表現力を太田裕美が獲得したことに敬服するとともに、このようなトーンの曲をもっともっと聴いてみたかったとも思う。

 趣味のいい、映画の1シーンのような映像的な歌詞である。秀逸な歌詞だ。多くを語る必要はあるまい。冬の海岸に無言でたたずむ男女。ふたりの前には荒れる海が広がっている。男性の葛藤が、彼によりそう女性の言葉でつづられ、女性は「いいのよそんなに苦しまないで、そんなに自分を責めないで」と、男性を優しく見守る。「君を抱きたいとそう聞こえるわ」と女性の言葉で語られるのは、そのことを女性が望んでいるということの裏返しだ。しかし、歌詞は多くを語らず、背景の描写によってその無言の空間のふたりの心の葛藤を描き出している。演奏も、波が打ち寄せる海岸をイメージさせ、二人のたたずむ空間を映像的に構成している。見事だ。ただひとつ残念なのは、CDでこの曲の次に来る「ナイーブ」のちょっとおちゃらけたサウンドが、深い余韻を壊してしまうことだ。

 「海が泣いている」を聴きながら、私は世阿弥『風姿花伝』の有名な一節を思い出してしまう。

秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず

※     ※     ※     ※

   「海が泣いている」
海が泣いている 生きもののように
黒馬のように走る波
潮風にしめる煙草を放ると
振り向くあなたのこわい顔
黙りこくった冬の浜辺を
黙りこくった時が横切る
あなたが言えない言葉が聞こえる
「君を抱きたい」とそう聞こえるわ
いいのよ そんなに苦しまないで
そんな自分を責めないで プラトニック

風が荒れている 油絵のように
黒雲は空に渦を巻く
口先の愛で器用に遊べる
人ではないから苦しそう
そっぽ向いた腕の透き間を
そっぽ向いた小鳥が飛び立つ
あんまり真面目に悩んでいるから
わざと惨酷に いま知らん顔
いいのよ そんなに苦しまないで
そんなに自分を責めないで プラトニック

心それだけで 人は愛せるの?
たよりなく揺れる心でも
今そっと肩を抱きしめられたら
心は身体に溶けるのに
何事もなく海は静まり
何事もなく二人帰るの
自然の流れに小舟を浮かべて
きっといつの日か そうその日に
いいのよそんなに苦しまないで
そんなに自分を責めないで プラトニック