山桜鐘つく尼の墨衣 枝松洋子
この句を読む一瞬、鈴木大掘先生の「禅と日本文化」に述べられた俳句と禅との関係が思い出されました。山桜と鐘つくこと、禅の雰囲気いっぱい作り出しました。墨衣の色と山桜の色と、一種の呼応となるでしょう。尼にとって、鐘つくことが日課だと思われ、毎日毎日繰り返してやることこそ、鐘つくその瞬間、山桜の状態と尼の心の有様を推測してみました。散るか満開するか、どっちにしても、禅の精神がいっぱい溢れる句だろうと思います。
この句を読む一瞬、鈴木大掘先生の「禅と日本文化」に述べられた俳句と禅との関係が思い出されました。山桜と鐘つくこと、禅の雰囲気いっぱい作り出しました。墨衣の色と山桜の色と、一種の呼応となるでしょう。尼にとって、鐘つくことが日課だと思われ、毎日毎日繰り返してやることこそ、鐘つくその瞬間、山桜の状態と尼の心の有様を推測してみました。散るか満開するか、どっちにしても、禅の精神がいっぱい溢れる句だろうと思います。