緑 島 小 夜 曲

春を愛する人は、心優しい人。

向日葵少年

2006年12月06日 12時48分51秒 | 青色思出
一人の少年がいた。少年は向日葵が好きなので、向日葵少年という綽名があった。
美術の授業でよく家屋を描いたもので、他人が家屋の傍に柳だの草だのを描いたが、少年のほうはいつも向日葵だった。
海底世界の構図でも少年は想像上の植物を描いたのもしばしばだった。どういう植物かというと、一見して向日葵だと判断できる異種植物だった。問われると、少年はいつも「海底の太陽だ」と答えた。隣の女子学生が「先生、海には太陽がないですね」と。美術の先生がその無表情の顔で「しょうがないわね。自然の授業があるじゃ。なんて海にも向日葵。」
少年が真っ赤な顔でじっと椅子に座った。
それでも少年は向日葵が好きである。
少年はいつも叔父の家で夏休みをすごした。叔父の庭には向日葵が何本立っていた。少年はよく画筆を執してそれを描いた。いや、ここでは写生といったほうがもっと相応しい。
白い紙には金色の向日葵だけではなく、赤だの青だの、黒までの色とりどりの向日葵さんがいた。少年が不思議な画筆と多彩の色で向日葵の性格を改良して生活を改善した。
少年がフィンセント・ファン・ゴッホを知ったのは中学校二年生の時だった。愛読の本にはフィンセント・ファン・ゴッホの「向日葵」という絵画があった。明るい南フランスの太陽、ひいてはユートピアの象徴であったと言われている。南仏のアルル滞在時に盛んに描いた向日葵だという。フィンセント・ファン・ゴッホは色盲だという。少年はゴッホの向日葵をじっと見て、結論が出てきた。ゴッホは色盲だけではなく阿呆ではあるまいか。なんて向日葵を花瓶に挿して構図するなのか。それは馬鹿でなくなんであろうか。なんとなく鯨を水槽で飼うような可笑しい構図だった。
少年は今も向日葵が好きなので自分のブログに「向日葵荘園」という名を付けた。
「そうです。僕は向日葵が好きです」。