さいきんの流星光
元漫画家 流星光(ながれぼしひかる)の雑記ブログ/Amazon商品のアフィリエイト広告があります。
 



アシスタントの仕事中、僕は黙って仕事している。
だけど、頭の中で喋っている。
ずーーーっと喋っている。
ラジオのパーソナリティのように。

ラジオで「ルパン三世」の峰不二子の話題が出た。
映画「ルパン三世/カリオストロの城
icon」のワンシーンが浮かんだ。

セリフはうろ覚えだけど、確か…

ルパン「クラリスー、いま助けてやるからね~。
    不二子ぉー!ロープだー!」
不二子「(ロープを出しながら)偉そうに言わないで!」

ルパンは不二子に対してだけ非常に横柄な口調になるシーンです。
そこで想像してしまったこと…

もし逆だったら?
クラリスって、横柄な口調で命令されたら、どんな反応するんだろう。
クラリスが横柄な口調で部屋のすみで正座させらたりしてるとこ見てみたい…。
どんな反応するんだろう?
泣くかな?

そんなことを想像しながら、時間を潰しているのです。
バカです。




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遠くから自分の家の方角を見ると、ひときわ高いビルがある。
よく見ると、いつも何の気なしに前を通っているマンションだった。
付近のマンションやコンビニが入っているビルと同じように通り過ぎていたのに、実は陰で、ランドマークとしての役割を果たしていた。
少しそのマンションを見直したりする。

人間も、陰で頑張っていたことが発覚すると尊敬される。

僕も、気づかないところで頑張って見直されたいんだけど、頑張っていることをすぐひとに言いたくなるのでダメだ。
そしてその結果、努力が無駄に終わることも多いのでますます良くない。

でも、頑張ってることを口外せずに失敗した時は、
結局ひとには言えないので、本当に何もなかったことになってしまう。
それも悔しいので、頑張っている事をひとに言ってしまうのだ。

それがダメなんだろうな。


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高校卒業と同時に上京してきた者にとって、36歳という年齢は特別な意味を持つのです。
故郷で暮した時間と上京先で暮した年月が同じになる年歳なのです。
僕の場合、もうその瞬間から北海道人であった時間より、東京人であった時間の方が長くなってゆくのです。
時間がたつにつれて、ぐんぐん東京人になっていく訳でございます。

…と言ってはいますが、
自分では、東京人になったつもりは毛頭ないのです。
かと言って、もはや北海道人でもないのであります。
自分が何人なのか判らぬまま、ぼんやり日々の生活を送っているのです。

故郷から離れた人間は、何となく、地に足がついていない感じがするのは気のせいでしょうか。
いつも自分の家にいないような気分。
常に旅行先のホテルにいる気分なのは気のせいでしょうか。
そして、たまに実家に帰っても、他人の家におじゃましているように感じるのは僕だけでしょうか。

うっかり東京に憧れて出てきてしまったために、こんな状況になってしまいました。
上京して、こんな状況に…。

都会の景色は移り変わりが激しく、ちょっと目を離すと、違う街のようになってしまいます。
田舎もしかり。
日本人の心は、だからどっしり根を下ろせないのかも知れません。

大工さんに告ぐ!
100年もつ家を!



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洋画の日本語吹き替え版は、メシを食いながらでも観られるので便利だ。

僕は、若い頃は、日本語吹き替え版を絶対に認めないという立場であった。外国の役者が、何度も撮り直しをした演技を日本の声優が、アフレコで声を入れる…。それが許せなかったもんです。おそらく本場の役者よりも時間はかけていないだろうと思う。日本の声優が入れた声は、ニセモノだ!と強く嫌悪感を持っていた。

でも今は…、「日本語吹き替え版? いいじゃん、観るの楽で」という人間になってしまった。人間がダメになった。わしゃ、落ちぶれちまった。というふうに、歳をとると、ものごとの細部にあまりこだわらなくなる。そう言えば思い出すんだけど、若い頃は、日常会話も上手くできないほど常に面白いことをしようと心がけていたものだ。普通のありきたりの受け答えをしてはいけない。何か、ウケを狙って7割8割は笑いにつなげたい。そう思っていた。結果、考える時間が長くなり、無反応と同じ事になる。または、あやしいリアクションになる。話の流れに関係のないところで妙なギャグをやり、奇異の目で観られる。バカな若僧であった。

また、死語にも敏感であった。死語を使うことは、とても恥ずかしいことだった。今は違う。な~んにも感じていない。逆に気をつけていることと言えば、流行言葉を使わないようにすること。使って、若ぶっていると思われるのが怖い。流行っていると思って使うと、実は死語になりかけている危険性もある。

話をまとめると、若い頃は、意味のないことにこだわり、エネルギーを費やしていた。今は、意味のないことにはまったくエネルギーを費やさず、しかし意味のあることをしている訳でもない。僕は、いま何をやっているのだ?

何も積み上げて来なかった自分に、さいきん気づいたのです。ちょっとバラバラのブロックをまとめて、積み上げる作業でもしてみようかと思っています。




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昨年末に買った高級自転車に、
何とかしてカゴを取り付けようと奮闘していた訳でありますが、
気がついてみたらカゴの事などすっかり忘れている自分がおりました。

ここに敗北宣言いたします。
もう、カゴを付けようという炎のような気持ちが無くなっています。
もう、カゴのために努力する気持ちも無いし、時間もありません。
僕は、自転車屋さんに負けました。

「カゴは付きません」

と言う自転車屋に対して、

「溶接でも何でもすれば、付くはずだ!」

と反発しましたが…、
素人には溶接する事も難しく…
気がつけば、カゴ無しでも平気で乗っていました。(涙)


こないだ、ビニール袋に野球の軟式ボールを数個入れて、
カゴが無いから左手のハンドルのところにぶら下げて走っていたら、
ふとした拍子にフロントフォークと車輪の間に
ボールがズババ!と入り込んでしまいました。
これはもう取れません。
車輪が外れるタイプだったので、何とか助かりましたが、
普通ならビニール袋を破らなければいけないところ。

ああ、カゴがないと不便不便!(負け惜しみ)




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【前置き】
僕の個人的意見なので、
反対意見の方は、どしどしコメントをいただけたら幸いです。
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中井貴一は大根役者だ。
何をやっても、通り一遍の演技しかできないのだ。
中井貴一は、何をやっても同じなのだ。
アセっておたつく芝居の時は、必ず声が裏返るのだ。

それに比べて、
僕は、江口洋介は好きだ。
何をやってもハマるからだ。
優秀な医者の役をやっても、パシッとはまるし、
いい加減なそこらのニーチャンの役をやってもハマるのだ。
そういう役者、なかなかいないと思う。
江口洋介は、大したものだ。

演技力の問題ではないのかも知れない。
単なる僕の思い込みなのか?
江口洋介も、何をやっても同じなのかも知れない。
そう考え始めると、そう思えてきたな…。

だいたい、どの役者も、何をやっても同じなのだ。
演技なんて、あんまり関係ないんだ。
素人でもプロの役者でも、みんな日常生活では演技をしているのだから、役者の演技なんて、日常レベルでの本気の芝居に比べたら、あるいは、薄っぺらなおママゴトのような物なのかも知れない。

ドラマの中で泣くシーンがある。
それまで、ドラマの中の役柄を演じていた役者が、涙を流すシーンだ。
だけど、そのシーンの撮影は、そのドラマの最終回の最後の撮影だった。
出演者たちは、本気で涙を流していた。
本気で泣いていた。

観ている僕には、そのシーンがとても浮いて見えた。
そこだけマジだったからだ。
他のシーンは、台本がある「演技」だったのに対して、
その涙は「本物」だったからだ。
あれは、やめた方が良いと思う。



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大昔から、芸術作品は金にかえられてきた。
金で売り買いされてきた。

「スバラシイ芸術作品」=「金になる商品」

だった。
ゴッホの絵も、ゴッホが生きていた頃、まったく売れない時代は、
価値の無いものであった。
ゴミ同然だった。
ゴッホの死後、値段が上がった。
だから「スバラシイ芸術作品」と呼ばれている。

すばらしい作品だから、価値が出てくるのか、
価値が出てきたから、すばらしい作品なのか…。
これは、どっちが先か難しい問題です。

絵画については、僕にはわかりません。
でも「芸術」というモノに関しては、ある基準を持っています。

「何かを感じるもの」

それが僕の芸術の定義なのです。

「感じる」ということは、脳の中で、化学物質が作用している訳です。
その化学物質を分泌させるための情報を持っている物を
僕は「芸術」と認めている訳です。

だから…、高尚な絵や焼き物は、僕にはわからないんですよねぇ。
知識として、「すばらしい芸術作品」と知っているだけで、
それを見ても、僕の脳に変化が無ければ、
それは何でもないと判断することにしています。

僕の中での「芸術」は、
やはりスポーツの芸術的なプレーが多いのです。
無条件で感動する訳です。
もちろん絵や作品で感動することもあります。
それは、僕の中では「芸術」というくくりになっております。

だから「モナリザ」は、僕の中では芸術ではないのです。
「モナリザ」がどのくらい価値がある物なのか、
どのくらい貴重な物なのか、誰が描いたのか、
そういう情報があって、はじめて価値がある絵だと思っているのです。



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お風呂につかっていると、
体が温まるせいか、とめどなく色んな発想が浮かんでくる。
そして、浮かんだ先から消えてゆくのです。

メモ帳を持っている訳でもないので、
考えが浮かぶまま、ボーッと湯船にいる訳です。

お風呂から出るときは、
最後の方に思いついた、ほんの少しの内容しか残っておらず、
ああ、もったいない、と思います。

何だか、寝ている時にみる夢に似ています。
夢も、たくさん見た中で、最後の方に見たものしか
頭に残っていないそうですから。

ふかわりょうの出演する「ほのぼのレイク」のCMで、
人間の記憶は、新しいものが古いものを押し出す形で頭の中を占めてゆく…というのがありますが、まさにそれなんです。

僕の、押し出された記憶の中に、どんな物があったのか…
ひょっとして、スバラシイものがあったのかも知れませんが、
まったく記憶に無いのでわかりません。
おそらく、大したモノではないでしょう。

大切なのは、発想ではなく、その後の、形にする作業なのだ!と。
最初の発想よりも、それを形にするためのアイディアの方が難しいのだ!と最近よく思います。

だから僕は、これからもお風呂ではボーッと頭の中を通り過ぎてゆくアイディアを映画のように観ながら湯船につかっていく所存です。

たいへん遺憾に想います。(^□^;ヾ




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前回、髪を切ったのはいつだっただろう。
久しぶりに「ヘアーサロン十和田」に行って
角刈りにされたのだった。

あれから3ヶ月くらいは放っておいただろうか。
もう、前髪が垂れてきて、歌舞伎町のホストくらいになってきたじゃないか。
そろそろ行かなきゃなー切りに。
草野球も始まるし、ですよ。

しかし、ホストって何なんでしょうね。
昨日観ていたテレビ番組で、ホストの特集をやっていたのでボーッと観てると、何やらホスト対決なんて事をやってる訳です。

K-1、M-1、R-1とありますが、
H-1と言って、日本一のホストが誰か決める大会があるようなのです。
その大会で大阪ナンバーワンの方が、歌舞伎町ナンバーワンに負けたんス。
悔しい大阪ナンバーワンは、歌舞伎町ナンバーワンに売り上げ勝負を挑みます。
2日間で売り上げが多い方が勝ちって事でどうでしょう!

そんで観てたら、売り上げって、要は、お客さんが入れてくれるボトルの値段な訳ですね。

そんで、そういう売り上げ2日間勝負をやってるってことも、お客さんは知っている訳ですから、自分が好きなホストに勝たせるためにガンガン金使うのです。
けっきょく、どっちの客が、金をどれだけ使ってくれるかって話な訳です。

ホストは必死に女の客におねだりして、
200万円のブランデー、150万円のシャンパンと…
次々と入れていく訳です。
大阪ナンバーワンは、そのブランデーをラッパ飲みで一気飲みして行く訳です。
最後は飲みすぎてフラフラでぶっ倒れてました。

結果は…
900何十万 対 1000万円オーバーで大阪ナンバーワンの勝ち。
タイムリミットの数秒前に大阪ナンバーワンの店で、
1000万円の酒を入れた女社長がいたのです。

ん~…何なんでしょうか?これは。
金持ちの女社長の見栄の張り合いです。


でも、お金あるのに、どうしてあんなうるさくて狭いホストクラブに行って男の隣に座りたがるのでしょうか。
もっと静かな広いところに男を呼んだ方がいい気がしますが…。
僕にはわかりません。



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今日は、仕事が3時30分ごろ終わったので、
急いでJR高架下運動場へ。

今朝、仕事に行く前に運動場の前を通りかかったら、
あのニックき芸団員たちはいなかったので、
練習できるかも!と思って、自転車を飛ばしたのです。

行ってみると、劇団員たちがいない!
柔軟体操もそこそこに、ボールを線路の支柱にぶつけます。
パコーン、パコォーン…って音が響く。
ああ、いいな…。
誰もいないって。

しかし、ふと運動場のすみを見ると、
うおおお!ヤツらの道具(トランポリン、マットなど)が置いてあるじゃないか!
コラコラコラ!
ここは、みんなのスポーツ広場だぞ!
ナニ勝手に道具を置いてるんだよ!

う~む…、あいつら許せんな。
今日もまた占領してやがったら一言いってやろうと思ってたんだけどな。

とにかく、今日は、腕の力を抜くことを覚えたのだった。
草野球始めて5年目でやっと!
我ながら、気の長い話です。




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