さいきんの流星光
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洋画の日本語吹き替え版は、メシを食いながらでも観られるので便利だ。

僕は、若い頃は、日本語吹き替え版を絶対に認めないという立場であった。外国の役者が、何度も撮り直しをした演技を日本の声優が、アフレコで声を入れる…。それが許せなかったもんです。おそらく本場の役者よりも時間はかけていないだろうと思う。日本の声優が入れた声は、ニセモノだ!と強く嫌悪感を持っていた。

でも今は…、「日本語吹き替え版? いいじゃん、観るの楽で」という人間になってしまった。人間がダメになった。わしゃ、落ちぶれちまった。というふうに、歳をとると、ものごとの細部にあまりこだわらなくなる。そう言えば思い出すんだけど、若い頃は、日常会話も上手くできないほど常に面白いことをしようと心がけていたものだ。普通のありきたりの受け答えをしてはいけない。何か、ウケを狙って7割8割は笑いにつなげたい。そう思っていた。結果、考える時間が長くなり、無反応と同じ事になる。または、あやしいリアクションになる。話の流れに関係のないところで妙なギャグをやり、奇異の目で観られる。バカな若僧であった。

また、死語にも敏感であった。死語を使うことは、とても恥ずかしいことだった。今は違う。な~んにも感じていない。逆に気をつけていることと言えば、流行言葉を使わないようにすること。使って、若ぶっていると思われるのが怖い。流行っていると思って使うと、実は死語になりかけている危険性もある。

話をまとめると、若い頃は、意味のないことにこだわり、エネルギーを費やしていた。今は、意味のないことにはまったくエネルギーを費やさず、しかし意味のあることをしている訳でもない。僕は、いま何をやっているのだ?

何も積み上げて来なかった自分に、さいきん気づいたのです。ちょっとバラバラのブロックをまとめて、積み上げる作業でもしてみようかと思っています。




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