さいきんの流星光
元漫画家 流星光(ながれぼしひかる)の雑記ブログ/Amazon商品のアフィリエイト広告があります。
 



【前置き】
僕の個人的意見なので、
反対意見の方は、どしどしコメントをいただけたら幸いです。
---------------------------------------------------
中井貴一は大根役者だ。
何をやっても、通り一遍の演技しかできないのだ。
中井貴一は、何をやっても同じなのだ。
アセっておたつく芝居の時は、必ず声が裏返るのだ。

それに比べて、
僕は、江口洋介は好きだ。
何をやってもハマるからだ。
優秀な医者の役をやっても、パシッとはまるし、
いい加減なそこらのニーチャンの役をやってもハマるのだ。
そういう役者、なかなかいないと思う。
江口洋介は、大したものだ。

演技力の問題ではないのかも知れない。
単なる僕の思い込みなのか?
江口洋介も、何をやっても同じなのかも知れない。
そう考え始めると、そう思えてきたな…。

だいたい、どの役者も、何をやっても同じなのだ。
演技なんて、あんまり関係ないんだ。
素人でもプロの役者でも、みんな日常生活では演技をしているのだから、役者の演技なんて、日常レベルでの本気の芝居に比べたら、あるいは、薄っぺらなおママゴトのような物なのかも知れない。

ドラマの中で泣くシーンがある。
それまで、ドラマの中の役柄を演じていた役者が、涙を流すシーンだ。
だけど、そのシーンの撮影は、そのドラマの最終回の最後の撮影だった。
出演者たちは、本気で涙を流していた。
本気で泣いていた。

観ている僕には、そのシーンがとても浮いて見えた。
そこだけマジだったからだ。
他のシーンは、台本がある「演技」だったのに対して、
その涙は「本物」だったからだ。
あれは、やめた方が良いと思う。



■流星光Twitter

コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )




大昔から、芸術作品は金にかえられてきた。
金で売り買いされてきた。

「スバラシイ芸術作品」=「金になる商品」

だった。
ゴッホの絵も、ゴッホが生きていた頃、まったく売れない時代は、
価値の無いものであった。
ゴミ同然だった。
ゴッホの死後、値段が上がった。
だから「スバラシイ芸術作品」と呼ばれている。

すばらしい作品だから、価値が出てくるのか、
価値が出てきたから、すばらしい作品なのか…。
これは、どっちが先か難しい問題です。

絵画については、僕にはわかりません。
でも「芸術」というモノに関しては、ある基準を持っています。

「何かを感じるもの」

それが僕の芸術の定義なのです。

「感じる」ということは、脳の中で、化学物質が作用している訳です。
その化学物質を分泌させるための情報を持っている物を
僕は「芸術」と認めている訳です。

だから…、高尚な絵や焼き物は、僕にはわからないんですよねぇ。
知識として、「すばらしい芸術作品」と知っているだけで、
それを見ても、僕の脳に変化が無ければ、
それは何でもないと判断することにしています。

僕の中での「芸術」は、
やはりスポーツの芸術的なプレーが多いのです。
無条件で感動する訳です。
もちろん絵や作品で感動することもあります。
それは、僕の中では「芸術」というくくりになっております。

だから「モナリザ」は、僕の中では芸術ではないのです。
「モナリザ」がどのくらい価値がある物なのか、
どのくらい貴重な物なのか、誰が描いたのか、
そういう情報があって、はじめて価値がある絵だと思っているのです。



■流星光Twitter

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )