さいきんの流星光
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ランチタイム。

地元、西荻窪に新しく開店したピザ屋さんに行こうと、妻と家を出発したはいいが、場所がわからず探し回った。

スマホで簡単に検索できるし、グーグルマップだって見ることができる時代になぜと思われるだろうけど、先に結論を言うと、今日は、休みだったのだ。

「食べログ」の地図で、所在地は確認してから向かったのだけれども、
目的の店は、シャッターが閉まっていた。

近づいてみて、はじめて文字が読み取れるくらいの紙が貼ってあって、

「本日は、スタッフ不足のため、休ませていただきます」

と書いてあった。

しかし、なぜ、その場所に、その店があることすらわからなかったのだろうか。

原因は、下りているシャッターの上の「看板」にある。

そこには、ステンレス製のようにピカピカ輝く、厚みのあるアルファベットを模した固形物が、8個、壁に固定されていたからだ。

「CLEANING」

クリーニング。

だから、僕らは、何回その店の前を通過しても、

「ここではない」

と思って、探し続けた。

シャッターのど真ん中に貼ってある紙を読まなかったのだ。


休みなら仕方がないので、僕らは、その近所にある、和風のオーガニック専門店というか、
自然な体にいい食材ばかりを使っている定食屋へ行くことにした。

店内に入ると、二人掛けのテーブルが並んでいるんだけど、それぞれが、ちょっと近い。
隣のテーブルの二人の女性が、我々とグループなのではないかと感じるくらい近い。

結果、となりのテーブルの女性二人ばかりが会話をして、
われわれ二人は無言でスマホをいじる、という形になった。


となりのテーブルの女性二人が、仕事の話をしている。

某有名企業に訪問に行ったら、オフィスがとてもきれいで可愛くて、などという話題。
その時に撮影した写真を、相手に見せたりしている。

僕は、そういう話が聞こえてくると、少しいらっとする。

人間が、いらっとした時、何が原因でいらっとしたのか、
いらいら成分分析っていう機能があって、
ピピッと表示されたりすればいいのにな、なんて思った。

その時の、僕のいらいら成分表は、

円グラフの最も大きなスペースを占めるのが、
最近、体が、舞っている花粉に過剰反応して、鼻水や涙がだらだら出てきているのに、
家を出る時に、新しいポケットティッシュを補充してくるのを忘れたこと。

補充しなくてはマズいぞ、と思ったはずなのに。


次に大きなのは、劣等感だろう。
ビジネスの話をされると、その話をしたのが男性であれ女性であれ、自分と比較するからだろうか、負けた感がある。
自分が、そういう社会に出てやる仕事をしておらず、
下働きのような仕事をしているために、気後れしてしまうのだ。


もし、自分に、有名人の知り合いなんかがいて、
その知り合いが、たまたま店の扉を開けて入ってきて、
僕に気づいて、「やあ、どうも」なんて挨拶をしてきてくれたら、
彼女たちを見返してやれるのに。などと考える。

なんという情けない考えなんだ。
自分でもわかっているけど、そんな考えを持ってしまう。

結局、僕も、そういう話をして、人に自慢したいと思う人種なのだ、情けない。

いや、彼女たちは、自慢が目的ではなかったのだけど。
それは、間違いない。



そういえば昔、
ネットで生配信している人が、こう言っていたっけな。

「人間の会話の目的は、すべて、マウントを取ることである」

マウントをとる、とは、つまり優位に立つということだ。

その言葉を聞いた時、僕は、激しい怒りと嫌悪感を感じて、
もうこの人間の放送は見ない、話も聞かない、と決意したものだが、

最近は変わってきた。


それも一理ある、と考えるようになった。


結局、ひとは、相手と比べて、優位に立つことで、快感を持つように出来ているのかもしれない。





長くなったけど、それが成分表の二つめ。

そして、店内が、むあっと暑かったこと。

ほか、些末なこといろいろ。

などなどあって、いらっとしたのだ。


つまりは、自分のせい。


ですな。


最近も、「いらいらいするのは自分のせい」というブログ記事をアップしたけど、
本当にその通りだ。

そして、いらいらするのは時間の無駄。
無駄に、集中力を欠いている時間を過ごすだけなのだ。














長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

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テレビで、『カメラを止めるな』という映画が放映された。

一年くらい前に、
これは面白い!面白過ぎる!
と、世間じゅうをにぎわせた映画が放映されるというので、
妻が録画しておいてくれたのだ。

妻と一緒に、ぼくも観た。



なにやら、放映前に、

「この映画の最初のほうは、我慢して観てください。あとで、きっと面白くなりますから」

というような解説があった。

そして、映画は、始まった。


観終わった。


ストレス性の何かの病気になりそうになった。

冒頭に、ノーカット長回しのシーンが延々と続く。

その後で、退屈なシーンが延々と続く。

普段の僕なら、確実に、市長を中止して、



ああ、感じの誤変換が多すぎていらいらする!


視聴を中止して、自室に閉じこもって読書でもしているところだが、
とにかく「我慢してください」とクギを刺されていたので、我慢して観た。

その時の僕の顔は、表情がなくなり、
本当につまらないものを無理やり見させられている人間の顔だったに違いない。

ふだんから感情をあまり表に表さないんだけど、その時は、
近年まれにみる無表情であったに違いない。


観たくないものを、無理やり見るように強いられるなんて、
人間、極度のストレスにさらされて危険なのだ。

体の中に、何らかの病気が発生するかもしれない。

座りごこちの悪いイスに少しの間だけでも座っていると、
お尻におできみたいな、ぢ、みたいなものが出来てしまう。
結構すぐに。

それくらいに、人間の体というのはストレスに弱いものなのだ。

我慢してください、とは何事か。
映画を作っただけならまだしも、その後で、最初は我慢してみてくださいとは何事か。

人体とストレスの関係について、何もわかっていない製作者であると僕は感じた。


直前に、映画「バイオハザード」をパート1から6(ファイナル)まで一気に観たことも、少なからず影響していたに違いない。

とにかく、総評すると、

「この稚拙なゾンビ映画は、こういうふうに作られているんですよ、みたいなメイキング動画を見せられた」

というだけであった。

そういえば、映画が始まる前に出演した役者の一人がこう言っていたっけ

「本編は、クレジットロールです」(不正確)

それは、なるほど、と思った。



確かに、本編は、クレジットロールなのだ。

あとは、不要。


何よりも、ホラーだったのは、
この映画を、ほぼ一年前に、僕が感じた限りでは、
ほぼ世の中じゅうの人が、

「すばらしい!」
「おもしろかった!」
「サイコー!」

と絶賛したことだった。


当時は、僕はまったく見ることがなかったんだけど、

「へー、そうなんだ」

くらにしか思ってなかった。

しかし、本編を見てみて愕然とした。


「何コレ…。」


「なんでこれが、大絶賛されたの?」

僕は、世間からのズレを強烈に感じて怖くなった。

いよいよ僕も終わりなのか?

もう完全に、別の惑星の生き物同士のようになってしまったのか。

それとも、世の中が、気が狂ってるのか?

そして、その狂気は、いつか治るのか?
ゾンビが、知性を取り戻すように。

ふだんから人と会わない僕は、ますます孤独感を強くした。

世の中には、僕一人。


耳もよく聞こえない、目もかすんで、人の顔もよく見えない。
テレビのアナウンサーの喋るスピードにもついていけいない、
となってしまった老人のように。

誰に話しかけても、帰ってくるのは、異国の言葉のような
超ハイスピードの小声の言語だけ。

結果、黙って空を見るだけの毎日になる、みたいな
そんな老人に、一気になってしまった感覚をおぼえて、

僕は、ぞっとした。


この映画を、高校生が製作し、たまたま行った文化祭で上映されていたら、
僕は、たぶん絶賛しただろう。

なんて将来性のある監督だ。
すばらしい!と。

だけど、現実は違った。

この映画は、普通に大人が作った映画であり、
普通にお金を取って、日本じゅうの人が、観たのだ。



この映画は、ホラーだ。






長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

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