さいきんの流星光
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ぼくは、病気かもしれない。

けれど、もしそうではなかったら、

人類は、滅亡の淵にいる。



たがみよしひさ氏の「HERO」というSF短編は、こんな言葉で始まる。

その前半部分、

ぼくは、病気かも知れない。

というところをお借りして、この文章を始めよう。




僕は、映画やドラマを見ていて、役者の演技がうるさくてしかたがない。

そういう病気になってしまったのかも知れない。

嫌演技病、とでも名づけようか。


とにかく、演技がうるさい。

演技くさいのが、うるさい。

どんなに上手い役者がやったとしても、やっぱり演技なので、
演技がうるさいと感じてしまう。

いっそ、素人にやらせた方が、いいのではないか、と思ったりもする。



例えば 30歳の男性をスクリーンに登場させて、

「え、なんで?」

というセリフを言わせるとしよう。

素人さんなのだから、そりゃ上手くはないですわな。

そこで、素人さんが、自然にそれを言える環境を整えてみよう。




「え、なんで?」

は、敬語ではない。

まず、その素人男性が、敬語をつかわずに話すことができる人物を連れてくる。

そして、カメラのこちら側にいてもらって、言葉を投げかけてもらうのだ。

鼻から台本は、渡さない。


そして、男性が「え、なんで?」と自然に発するのを待つ。

「え、なんで?」という言葉を発するまで、さまざまな言葉を投げかけてもらう。


「ちょっと、ウナギを生のまま食べてみて」

「犬を猫、猫を犬って置き換えて、この文章を読んでみて」

「逆立ちしたまま、広島まで旅行してみて」


多少、その辺は苦労するかもしれないが。




そうして、超自然な「え、なんで?」をつなぎ合わせるのだ。


それは、

「あぶない!」かもれいないし

「やめろ!」なのかも知れないが、自然なセリフだけをつなげるのだ。


なかなか骨の折れる作業になるだろう。

なぜなら、セリフは一言であるとは限らないからだ。

「もう俺たちは終わりだ」

みたいなセリフなのかも知れない。

そのセリフを、素人さんに、自然に言っていただくには、
本当に、彼らを「終わり」にしてあげなくてはならないだろう。

ああ、気が遠くなる。

全員、死ぬではないですか。



そんな想像を、いま、しています。

















長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

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僕は、お昼ごはんを食べる時は、いつもたいてい、本を読みながら食べる。

なので、ツィッターに、お昼ごはんの写真をアップする時は、その時読む本も、いっしょに写るように写真を撮る。

メニューが、カレーライスみたいに、スプーン一本だけで食べられるもののときは、左手で本を持ちながら食べる。

しかし、ご飯とおかずがあって、左手でご飯茶碗、右手でお箸を持たなくてはならない時は、本をテーブルの上に広げて、読みながら食べる。

自分でお金を出して購入した本は、思いっきりページを開いて、テーブルに広げる。

それでも、閉じてきてしまう場合は、縦方向にも曲げることがある。

つまり、本のページ一枚一枚をちょうちょの羽に例えるとしたら、
ちょうちょの背骨をへし折る感じで、型をつけて、テーブルに広げるのだ。

本は傷むが、それが一番簡単なやり方である。

やっかいなのは、図書館で借りてきた本だ。

自分の本ではないので、背骨を折る訳にはいかない。

そういう時は、使わない針金ハンガーを上手く利用して、
本が、開いた状態で、固定されるような道具を作って対応する。


今日のメニューは、とんかつ定食。

買ってきたとんかつに、ソースをぶっかけ、
その上からマヨネーズを、ぶよぶよぶっかけて食べた。

僕は、マヨネーズかけとんかつが大好きだ。

カロリーも気にせず、がつがつ食べた。

お昼ごはんに、何を食べても、
晩ごはんを食べないのだから、この後、寝るまでの時間でエネルギーを消費してしまえるのだった。


人は、なぜ、晩ごはんを食べるのだろう。

まったく、不思議だ。




長文におつきあいくださいまして、
ありがとうございました!

流星光ツィッター

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