さいきんの流星光
元漫画家 流星光(ながれぼしひかる)の雑記ブログ/Amazon商品のアフィリエイト広告があります。
 

  



さいきん水を飲むようにしている。
仕事机の横に2リットルのペットボトルに水入れて置いてます。

とにかく、水をたくさん飲むと体が快調になるらしい。
血液がサラサラになり、血のめぐりも良くなってダイエットにもいいらしい。

人間は一日に2リットルの水を飲まなくてはならないという話を、どっかで聞いたので、2リットルのボトルを横に置き、「よ~し、飲むぞ!」なんて思ってる訳だけど、これが結構キツイ。

一日に2リットルって、思ってたよりも飲めない。
頑張っても一日に1リットルが限界かな…。
でもコーヒーも飲んでるし…、水分的にはもうちょっといくかなと思ってるんだけど。

でも、水をたくさん飲むと、トイレが近くなって大変です。
気がつくと、オシッコを我慢しているんだよね。
それが面倒です。





■流星光Twitter

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )






僕ら漫画家は、漫画を描いて、それを他人に見せることでお金をもらっている。
他人に読んでもらう事を前提として描いている訳だ。

他の作品を作る人たちも、小説家も映画監督も陶芸家もオブジェとか作る人も、ミュージシャンも…いろんなクリエイターがいるけど、もし作品を観る人が一人もいなくても、それでも作品を作るのだろうか?

もし、世界中の人間が死んでしまって、自分の漫画を読む人が一人もいなくなったとしたら…それでも僕は漫画を描くだろうか?

僕は、描くと思う。

理由は簡単。
退屈だからだ。

僕は、子供の頃から絵を描くのが好きで、絵を描く事が遊びだった。
誰に見せる訳でもなく、絵を描いていた。
それどころか、親が見ようとしたら必死で隠してたりした。
絶対に他人に見られたくなかった。
自分だけのために絵を描いていたのだ。

漫画は人に見せなくては意味がないと言う人がいる。
果たしてそうか?

自分の描く漫画の、最初の読者は自分自身だ。
自分で描いて、自分で読む。
自分は、ストーリーを作る過程も全部見ているので、純粋な「読者」とは明らかに違うんだけど、「描き手の自分」は、明らかに「読者の自分」を意識している。
「読者の自分」が面白いと言ってくれるような作品を描きたい、そう思っている。

世の中の読者は、「読者の自分」が読んでいる頭の後ろから、そっと漫画を覗き見ているに過ぎない。
そんな感じだ。

「描き手の自分」と「読者の自分」は完全に別という訳じゃない。
描いている最中も「読んでいる」訳だし、もう、そこら辺の区別なく一卵性双生児みたいに、いやシャム双生児みたいに体が融合してしまって、ほんのちょっと意識レベルで別であると意識している程度なんです。

こんなこと考えるって、ちょっと変でしょうか?

最近、特に思うんだよな…
自分の中にいる別の自分。
自分を見ている自分がいる感じ…。
分裂症になりかけてるのかな?




■流星光Twitter

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )