
JR斑鳩駅から法隆寺に向かう途中の田んぼの中に、斑鳩幼稚園の南側に、ポツンと丸い塚があるのが斑鳩大塚古墳で、直径約35mの円墳である。実際、円墳の形を描くように道路が丸く迂回していることからもその形がわかる。

古墳が築造されたのは、4世紀末から5世紀の初め、古墳時代の中期初めと言われている。古墳自体は、墳丘の上に殉国碑が建てられており、そのため、墳丘を削って階段が作られているため、かなり改変を受けているようである。

ちなみに、昭和28年に発掘調査が行われており、粘土に覆われた木棺からは、二神二獣鏡などの鏡や鉄剣や鉄鏃といった武具などが出土している。そして、この古墳は、斑鳩地方では一番古い古墳と言われている。

但し、近年、奈良大学が行った発掘調査の結果、北側に前方部がある前方後円墳の可能性も指摘されている。

斑鳩大塚古墳は、おそらく4~5世紀の斑鳩地方の開発にかかわった首長のお墓であろうと考えられている。不思議なことに、この古墳の周辺には古墳の存在がない。(消滅しているのかもしれないが・・・。)約600mほど先に藤ノ木古墳があるが、築造された時代も違うので直接の関係はなさそうである。
この辺りは奈良らしいのんびりとした田園風景が続いている所である。できればこの状態のまま、未来まで残っていってほしいものである。

古墳が築造されたのは、4世紀末から5世紀の初め、古墳時代の中期初めと言われている。古墳自体は、墳丘の上に殉国碑が建てられており、そのため、墳丘を削って階段が作られているため、かなり改変を受けているようである。

ちなみに、昭和28年に発掘調査が行われており、粘土に覆われた木棺からは、二神二獣鏡などの鏡や鉄剣や鉄鏃といった武具などが出土している。そして、この古墳は、斑鳩地方では一番古い古墳と言われている。

但し、近年、奈良大学が行った発掘調査の結果、北側に前方部がある前方後円墳の可能性も指摘されている。

斑鳩大塚古墳は、おそらく4~5世紀の斑鳩地方の開発にかかわった首長のお墓であろうと考えられている。不思議なことに、この古墳の周辺には古墳の存在がない。(消滅しているのかもしれないが・・・。)約600mほど先に藤ノ木古墳があるが、築造された時代も違うので直接の関係はなさそうである。
この辺りは奈良らしいのんびりとした田園風景が続いている所である。できればこの状態のまま、未来まで残っていってほしいものである。
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