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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

「万葉の旅」をたどる ⑨ ~人麻呂塚~

2016-04-18 06:54:04 | 文学をたどる

 名阪国道の下を括って国道171号線を北へ行くと、左手に和邇下神社の鳥居があり、その参道を歩いていくと田んぼと児童公園の間に小さな塚が見える。これが人麻呂塚である。(「万葉の旅」では人麻呂塚となっているが、一般的には歌塚と呼ばれている。)

 塚の東側に、歌塚と言う石碑と小さな祠が建っている。この石碑は、江戸時代の享保年間に近くの柿本寺の僧などが中心になって建立したもので、歌塚の字は、後西天皇の皇女宝鏡尼という人の揮毫によるものと伝わっている。

 

 この歌塚については、平安時代末期の歌人藤原清輔歌集にも、この塚へきて、卒塔婆を建てたことが記されている。伝承では、柿本人麻呂の妻である依羅娘女が、この場所に遺髪を埋めたということだ。(遺骨が眠っていると記しているものもある。)
 
 「万葉の旅」では、「草枕 旅の宿りに 誰が夫(つま)か 国忘れたる 家待たなくに」という歌を引用している。この歌は、香具山のほとりで行き倒れの死人を見て、どこの誰の夫だろうか?帰るべき故国を忘れて行き倒れているのは、家では家族のものが待っているだろうにと行き倒れた旅人を憐れんで詠んだものであるという。ちなみに柿本人麻呂自身も石見の国で客死している。そして、石見での妻が、遺髪を埋めたと伝えられる依羅娘女であった。

 この歌塚の近くには、柿本氏の同族である和爾氏の本拠であり、近くには柿本氏の氏寺である柿本寺跡が残っている。この辺りのこういった旧跡が残っていることは、あって当然という感じではある。
 この歌塚も、この石碑の方だけを見ると、いかにも古くからの言い伝えのある歌枕という雰囲気なのだが、その反対側がよくわからない。

 

 人麻呂とおぼしき石像は、人麻呂に謂われのある史跡だからいいとして、蛙の石像がわんさかあるのはどうしてだ?

 

 傘をさしている蛙やゴミ箱みたいなのにしがみついている蛙、たくさんの子蛙を背負ってひれ伏している蛙などいろんな蛙が置かれている。人麻呂の石像も、横を向いており、その視線の先にはさっきの蛙がひれ伏しているようになっている。
 
 

 正直、柿本人麻呂と蛙の関係がよくわからない。蛙に関連した歌を詠んでいるわけでもなさそうだし、そういった逸話もないようだ。本やネットで調べてみてもこれというものはない。石見の国で亡くなった人麻呂の遺髪が眠っているということで魂が帰る場所だからもじって蛙なんだろうかなどと考えるも定かではない。

 

 蛙たちの間に、石碑があり、「人麿の 御霊六蛙 蛙かな 詰まった詩歌も よみ蛙」という歌が刻まれている。歌聖柿本人麻呂の御利益で、どんな下手な歌も甦るよということで蛙なんかな。この歌自体いったい誰が詠んだ歌なんだ???

 歌塚の旧跡としての重みと軽妙な蛙たちの石像のアンバランス感が不思議な空間になっている。ちなみに、「万葉の旅」には、隣接している児童公園には触れているが、蛙さんたちには触れられていない。比較的新しいもののようである。


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