highdy の気まぐれブログ

ご訪問ありがとうございます。ジャンルがメチャメチャの気まぐれブログ。パソコン関連記事を中心に時間を見つけて・・・。

お墓仕舞いから靖国神社まで脱線

2022年08月31日 | その他



お墓仕舞いはすべて完了
「きょうな何をして時間を潰そうか・・・」というご老人が多い中、highdy
(自分だって後期高齢者なのに・・・) は、毎日が忙しく有難いことです。(ボケる暇がない !)
昨日も朝から大忙し。前日のブログにも書きましたが神道
(しんとう)方式なので、花も線香も不要です。朝早く行って花や花瓶を片づけ、お墓を磨き、雑草を取って(お盆に草取りをしたばかりなので僅か)宮司を待っていると、竹林の近くなのでやぶ蚊がいることに気づき、慌てて蚊取り線香を取りに帰りました。
初めての経験ですが、神主さんが野菜や果物、米、酒、塩、などの供物、玉串を用意され、30分位で終わりました。御玉串料は聞いていたよりプラスアルファしておいて良かったです。思ったより豪華に
(?)準備してくださるとは思ってもいなかったので・・・。
工事業者さんが墓石や基礎の撤去工事を開始、業者さんも highdy も驚いたのは骨壺で、75年以上も前のことですから、いまのような洒落たものではなく、直径30㎝位ある黒い火消し壺とそっくりのものでした。
晴れ男ですから完璧な晴れ、抜魂祭を終わり、撤去工事完了まで1時間半で無事終わりました。


約6平方メートルの墓地はあっと言う間にきれいに・・・

完成写真とともに市役所に墓地返還届も出し、お墓仕舞いすべて完了 ! なにせ、サンデー毎日の老人は、改葬許可申請から墓地返還届まで、すべて自分でやりますから手早いです。

宇部護国神社と靖国神社
 神社の
神職の役職は物凄く種類が多いのですが(リンクは参考のみが、一般的には宮司(ぐうじ)禰宜(ねぎ)権禰宜(ごんねぎ)です。
今回の神主さんは宇部護国神社の宮司でした。この神社は幕末の創始創建で比較的新しい神社ですが、その由来は明治維新前の長州征伐まで遡ります。
紙面の都合割愛しますが、
禁門の変(⇐解りやすいから長州が破れた後、幕府が怒って諸藩に命じ第一回長州征伐になります。(中略)宇部の第24代領主福原越後元僴公が幕府から藩存続のための責任を取らされ、家老3人に切腹を申し付けられ自刃されました。それを怒った高杉晋作が潜伏先の九州から帰藩し下関の功山寺で挙兵します。それも前記切腹で藩が存続していたので可能だったことで、(中略)その後第二次長州征伐を経て明治維新となり、我が国が近代国家へと向かいます。
この犠牲となられた越後公のために、維新山に招魂社殿(神社:維新招魂社)を建立
(慶応三年:1867年)したのが始まりで、後の東京招魂社(現、靖国神社)の源流になっています。



長州藩の出身で「日本陸軍の父」と言われ、維新政府にも参画した
村益次郎(村田蔵六)の銅像が靖国神社にあるのもそれなりの由縁があります。ちなみに、銅像台座の顕彰文は三條實美(さんじょうさねとみ)によるものです。

またまた脱線の脱線
 highdy の話は脱線が多いですね。文章を書かせれば
(言い訳しますが、ブログは仕事と違って手抜き・書き下ろしが多いため)、脱字やテニオハが怪しく、学校での授業には向かないようです。
PCなら裏技裏技で功を奏することが多いのですが・・・。
ところで、このところ highdy のブログへの訪問者が増えています。理由は複数の有志が以下の記事を拡散してくださっていることによるものです。

 
どちらもクリックでジャンプ
注記:左の記事中で 11人のフォロワーのうち4人は既に退会または ID 変更されています。
   盗作者のフォロワーも、かなり減ってきています。 (8月30日調査現在)

多数の「嫌がらせ、誹謗中傷、成りすまし、盗作」が判明している犯人たちも、このような包囲網と拡散により、周りの目が気になり居場所がなくなって来るでしょう。
フォロワーさん達も、実体を知ると自らが恥ずかしくなり敬遠されることを狙いとしています。
法を犯すものは、法により裁かれるのは当然で、運営者が動かなくてもその専門筋の方が動いてくださることになっています。
この goo ブログを健全にするには、皆様の力の結集が必要です。

有志は大いに拡散してください。




本日もご来訪いただきありがとうございました。

  
 スマホでどうぞ

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする