僕のメモ癖は、中学時代ぐらいからと思います。
授業中に、黒板丸写しは当たり前で、自分の考えや、
日記や、先生の雑談など勉強と関係ない事をメモしまくり、
授業中はクラスの誰よりも、
ひたすらにノートに色々書きまくっていました。
ノート消費が学年一だったかもしれません。
そして、家では、ラジオの内容とかで、心に残った
事をメモしまくっていました。そして、恥ずかしな
がら、「日記」「怒りノート」「欲しい物リスト」
「夢、目標ノート」など、自分が書きたい事別に
ノートを分けていました。
僕のブログの「カテゴリー」みたいな感じです。
学生時代の家での過ごし方は、もっぱら、そのノート
作成でした。「日記」は、その日の出来事を書き、
「怒りノート」は消極的で大人しい僕がストレス発散
する文句と愚痴と悪口です。最近、知りましたが、
精神科では、僕の「怒りノート」的な自己の感情を
ぶちまけるノートをリハビリでやっているようで、
僕は自然と自己回避作を編み出していました。
「欲しいものリスト」は、欲しい物を思いついたら
書きまくり、どうせ買えないけど、文字にする事で
満足していました。
僕にとって、一番重要だったのが「夢、目標ノート」です。
将来についてひたすら書きまくり、ノート15冊ぐらい、
夢、願望、希望、野望、目標など、どういった自分に
成りたいのかを探求しまくっていました。このノートを
書く時は、全身が高揚し、未来への燃える情熱を込めました。
それ以外に、僕流のヘヴィメタル論を膨大に書きまくり、
自作小説も20ぐらい作り、僕の考えをまとめたエッセイ
なども書きまくり、ギターを始めてからは作詞・作曲も
やっていました。
中学時代から、メモ帳とペンは必須アイテムで、何でも
かんでもメモしまくっていました。別に覚えておく必要
が無い物や、たいした収支がない家計簿を書いたり、
僕の友人間では、僕のメモ癖は有名です。
僕は、中3で、周囲の誰より早く、電子手帳を手に入れ、思い
ついたアイデアや、予定や、忘れてはいけない事など
常にピコピコ、データー入力していました。まだ、携帯
電話が普及していない、ポケベル時代ゆえ、僕のメモ
行為は、度々奇妙に思われました。
高校時代は手帳へのメモを頻繁にするので「刑事さん」というあだ名や、
お喋りゆえ「スピーカー」と言われていました。
でも、専門学校時代に、再び手書きメモに戻しました。
デジタルを軽視するつもりはありませんが、やはり、手書きは
その時の感情を文字に込められるし、矢印を引っ張ったり、
イラストを描いたり、自分の瞬間、瞬間をリアルに書き留め、
読み返す際、書いた時の心境が蘇って来るという利点があります。
社会人になって、僕のメモ癖は、スケールアップし、初めての指示は
一言一句残さずメモろうと必死すぎ「メモはいいから」と度々注意され
ました。家では、その日、教えてもらった仕事のメモを読み返しながら、
自分なりに色々考えているうちに、1つの項目につき、いくつもの疑問
などが生じて、翌日には、先輩を質問攻めにし、かなり迷惑がられた
事もあります。
1度教えてもらった事を、2度、3度と聞き返す新人なんて信じられま
せん。僕は自分が不器用で、物覚えが悪い事も分かっているので、メモ
をしまくり、仮に忘れても、メモを見直したら思い出せる状態じゃない
と不安であり、同じ事を何度も聞くのが嫌でした。だから、自分が納得
いくまで質問していましたが、それが一般社会では嫌われる傾向にあり、
仕事に対する貪欲さを受け入れない社風もありました。
でも、ようやく自営業をしてから、僕のメモ癖は、役にたっているよう
にも実感しています。メモをしている時は、対した意味が無い事が、
翌々役に立つという事もありました。
例えば、昨日の僕のシステム手帳は「ラーメンの全国配送」
「れいんぼ~チャーシュー冷凍販売」「れいんぼ~餃子冷凍販売」
「れいんぼ~ラーメン作り教室」とか・・・今は、あんまり意味が無い
思いつきですが、そういった思い付きを記録化する事で、次の何かに
繋がるのかもしれません。アイデアとは鮮度さが命のものもあれば、
熟成させて、練りに練った方がいい物もあります。
メモとは・・・ただの記録ではなく、自分との対話です。
自問自答を頭内だけで行わず、メモにする事で、整理や管理が
しやすくなります。朝10分、寝る前10分のメモ帳確認は、
僕にとって、厳かな、禅の儀式のような、自分を見つめなおす
行為です。新聞、雑誌、フリーペーパー、広告、テレビ、ネット、
ラジオなど情報で溢れているからと、周囲の情報にばかり流され
ず、1日のわずかな時間でも自分を見つめ直す為にメモは重要だと
思います。
あくまで持論ゆえ、万人に適応するとは思いません。
授業中に、黒板丸写しは当たり前で、自分の考えや、
日記や、先生の雑談など勉強と関係ない事をメモしまくり、
授業中はクラスの誰よりも、
ひたすらにノートに色々書きまくっていました。
ノート消費が学年一だったかもしれません。
そして、家では、ラジオの内容とかで、心に残った
事をメモしまくっていました。そして、恥ずかしな
がら、「日記」「怒りノート」「欲しい物リスト」
「夢、目標ノート」など、自分が書きたい事別に
ノートを分けていました。
僕のブログの「カテゴリー」みたいな感じです。
学生時代の家での過ごし方は、もっぱら、そのノート
作成でした。「日記」は、その日の出来事を書き、
「怒りノート」は消極的で大人しい僕がストレス発散
する文句と愚痴と悪口です。最近、知りましたが、
精神科では、僕の「怒りノート」的な自己の感情を
ぶちまけるノートをリハビリでやっているようで、
僕は自然と自己回避作を編み出していました。
「欲しいものリスト」は、欲しい物を思いついたら
書きまくり、どうせ買えないけど、文字にする事で
満足していました。
僕にとって、一番重要だったのが「夢、目標ノート」です。
将来についてひたすら書きまくり、ノート15冊ぐらい、
夢、願望、希望、野望、目標など、どういった自分に
成りたいのかを探求しまくっていました。このノートを
書く時は、全身が高揚し、未来への燃える情熱を込めました。
それ以外に、僕流のヘヴィメタル論を膨大に書きまくり、
自作小説も20ぐらい作り、僕の考えをまとめたエッセイ
なども書きまくり、ギターを始めてからは作詞・作曲も
やっていました。
中学時代から、メモ帳とペンは必須アイテムで、何でも
かんでもメモしまくっていました。別に覚えておく必要
が無い物や、たいした収支がない家計簿を書いたり、
僕の友人間では、僕のメモ癖は有名です。
僕は、中3で、周囲の誰より早く、電子手帳を手に入れ、思い
ついたアイデアや、予定や、忘れてはいけない事など
常にピコピコ、データー入力していました。まだ、携帯
電話が普及していない、ポケベル時代ゆえ、僕のメモ
行為は、度々奇妙に思われました。
高校時代は手帳へのメモを頻繁にするので「刑事さん」というあだ名や、
お喋りゆえ「スピーカー」と言われていました。
でも、専門学校時代に、再び手書きメモに戻しました。
デジタルを軽視するつもりはありませんが、やはり、手書きは
その時の感情を文字に込められるし、矢印を引っ張ったり、
イラストを描いたり、自分の瞬間、瞬間をリアルに書き留め、
読み返す際、書いた時の心境が蘇って来るという利点があります。
社会人になって、僕のメモ癖は、スケールアップし、初めての指示は
一言一句残さずメモろうと必死すぎ「メモはいいから」と度々注意され
ました。家では、その日、教えてもらった仕事のメモを読み返しながら、
自分なりに色々考えているうちに、1つの項目につき、いくつもの疑問
などが生じて、翌日には、先輩を質問攻めにし、かなり迷惑がられた
事もあります。
1度教えてもらった事を、2度、3度と聞き返す新人なんて信じられま
せん。僕は自分が不器用で、物覚えが悪い事も分かっているので、メモ
をしまくり、仮に忘れても、メモを見直したら思い出せる状態じゃない
と不安であり、同じ事を何度も聞くのが嫌でした。だから、自分が納得
いくまで質問していましたが、それが一般社会では嫌われる傾向にあり、
仕事に対する貪欲さを受け入れない社風もありました。
でも、ようやく自営業をしてから、僕のメモ癖は、役にたっているよう
にも実感しています。メモをしている時は、対した意味が無い事が、
翌々役に立つという事もありました。
例えば、昨日の僕のシステム手帳は「ラーメンの全国配送」
「れいんぼ~チャーシュー冷凍販売」「れいんぼ~餃子冷凍販売」
「れいんぼ~ラーメン作り教室」とか・・・今は、あんまり意味が無い
思いつきですが、そういった思い付きを記録化する事で、次の何かに
繋がるのかもしれません。アイデアとは鮮度さが命のものもあれば、
熟成させて、練りに練った方がいい物もあります。
メモとは・・・ただの記録ではなく、自分との対話です。
自問自答を頭内だけで行わず、メモにする事で、整理や管理が
しやすくなります。朝10分、寝る前10分のメモ帳確認は、
僕にとって、厳かな、禅の儀式のような、自分を見つめなおす
行為です。新聞、雑誌、フリーペーパー、広告、テレビ、ネット、
ラジオなど情報で溢れているからと、周囲の情報にばかり流され
ず、1日のわずかな時間でも自分を見つめ直す為にメモは重要だと
思います。
あくまで持論ゆえ、万人に適応するとは思いません。