「人生設計」なんてやった所で、予定・理想
通りに行かないのが人生です。しかし、何の
目的も無く、その日暮らしでは必ず後悔する
日が来ます。
思い起こせば中学、高校と、進路指導の一貫で
何度となく人生設計図、人生設計文を書かさ
れました。
僕の場合は、中学や高校になっても、まだ
夢追い人で現実的な人生設計なんて出来ま
せんでした。(今も継続中かも)
当時は画家になる夢があり、
18歳:美術大入学
22歳:パリに留学
25歳:日展出展
28歳:個展、出版とワールドワイドな活躍
などと馬鹿げた内容を学校の課題で提出して
いたので、よく先生に叱られました。
でも、いまだに何で叱られたのか分かりません。
いわゆる、普通という中間色の生き方の枠に
はめ込みたいのが先生なのかもしれないです。
それが一般的な父兄が子供に望む方向性で
しょうから、先生側も父兄側の意向に沿わな
ければいけないのかもしれないです。
先生が子供を変に褒め、夢を応援なんてし
たら「子供をそそのかした」と今時の父兄
は言いかねないです。
僕が学生時代にも、先生達はことあるごとに
「個性」「個性」と言い、「一芸に秀でた人材
を育成」と口で言いながらも、学校色に染めた
小粒な人格に揃えたいようにしか思えません
でした。様々な木がうっそうと茂ったジャング
ルではなく、皆揃った杉林を作ってるような
物です。
アリストテレスが言う「中庸」です。
ブッダで言うと「中道」。
無謀者と臆病者の中間。
散財者とケチの中間。
傲慢者と卑屈者の中間。
過不足のない、適性点を理想の生き方と
説くのは共感出来ますが、10代の人間に
現実を叩き込み、夢も理想も無い未来像を
描かせるのは酷です。
可も無く不可もない生き方がいい、という
保守的で、安定志向が子供の可能性を閉ざし
ているように思います。
大人になってからも誰しも呆然と人生設計を
立てます。
僕のように脱サラし、商売や事業を始めよう
とする人は目先だけではなく、数年後、10
年後なども計画するものです。
しかし、独立起業家タイプには一攫千金志向
の人も多いです。そういった志向の経営者
が増殖している事が日本人の人間性を衰退
させていった要因と思います。
人生設計に勝ち負け、損得ばかりを重要視し
た計画では、たとえ地位、金、権力を手にし
世間的に勝ち組と言われても、人間的に歪み
沢山の敵を作りながら伸し上がった図式に
なります。
こういった人生設計は、姉歯設計事務所の
設計図並にモロイはずです。利益優先で見栄
えがいいだけの建物を作ると、多少の揺らぎ、
圧力で破綻しかねないです。
人生設計とは、真実、善悪で物事を判断し、
自らに恥じない計画でなければいけません。