Memorandums

知覚・認知心理学の研究と教育をめぐる凡庸な日々の覚書

Psychology: An introduction

2005-01-25 | Psychology
 心理学をめぐる話を書くにあたって、あらかじめ前提を整理しておくことにしたい。Webで公開している以上、第三者に理解しづらいことを書き連ねることも気が引けるからだ。
 さて、心理学という学問にはさまざまな期待と誤解がつきまとってきた。そこには学問としての心理学を発展・深化させてきた議論もあれば、すれ違いの論争や的外れの中傷も少なくないように思う。
 そもそも、こころについて何事かを語ろうとすれば、われわれは何らかの枠組みを用いないわけにはいかない。それは個人の体験のこともあるが、少なくとも共通理解が可能な言語や概念の体系を無視しては成り立たないであろう。
 学問としての心理学は、しばしば言われようにscienceとしてsystematicにこころを説明しようとしている。ここであえて「科学」や「体系的」という日本語を避けたのは、これらの日本語が時に限定的・固定的にとらえられてきように感じるからである。このことは今後このサイトで具体的に論じられるだろう。
 それでは、scienceとしての心理学はこころをどのようにとらえ、論じようとしているのだろうか。そこには他の科学と同様に、「客観的」事実を根拠とした合理的な説明が必要である。ここでは、「客観的」ということの現代的な意味は、主観によって相互に捉えうる現象的事実として理解されるべきである。このことも、必要に応じて今後の具体的に論じられるだろう。
 合理的な説明の枠組みとして、心理学はこれまでいくつかの体系systemを模索してきた。刺激と反応の関係についての行動の法則と、その説明としての広い意味での神経生理学的モデルは大きな役割を果たしている。しかしこのモデルは必ずしもこころを閉じた脳の機構に還元するものではない。外界(状況)と個体の行動の関係は、状況の記述・分析と不可分であり、むしろ心理学はそのような行動を生起させる状況の記述から出発しているとも言える。
 今日、この種の神経生理学的モデルは認知心理学Cognitive Psychologyの分野で情報処理過程として理解されることが多いが、一方で状況の記述に重きをおく人々の主張もしばしば議論の俎上にのぼる。次回以降、これらの学問的事情を具体的にみていきながら、神経生理学的実体とは異なるレベルでの「説明」について考えることにする。
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