Memorandums

知覚・認知心理学の研究と教育をめぐる凡庸な日々の覚書

Neural Models and 3-D Interpolation

2006-02-17 | Research: V. Interp.
3次元空間補間のニューラルモデルの課題

pp.580-581
:
Reorienting models to include the more general case of 3-D interpolation is far from trivial. Neurons in early visual areas are not sensitive to the stimulus properties necessary to account for the results of the experiments presented here. One might imagine that this problem could be overcome simply by combining their orientation-selective properties with outputs from units sensitive to stereoscopic disparity. This is unlikely to solve the problem for two reasons.
-->


References
Kellman PJ, Garrigan P, Shipley TF, Yin C, Machado L.
3-d interpolation in object perception: evidence from an objective performance paradigm.
J Exp Psychol Hum Percept Perform. 2005 Jun;31(3):558-83. Review.
PMID: 15982131 [PubMed - indexed for MEDLINE]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Haydn: Symphony 91 in E flat Major.

2006-02-17 | Music
 説教臭い話が多くなってきたので、粛々と自分の仕事に取り組む。

 Haydon の91番は比較的聴く機会が少ないが、軽快な佳作である。よけいな力みが感じられないのも好ましく思われる。Fischer の録音はよい意味でHaydnを気軽に楽しむ趣向には適している。古楽器演奏の影響であろうが、Dorati の演奏が立派すぎると感じるならば、新鮮に感じるだろう。これもFischerの主張かもしれない。ただ、音の輪郭が曖昧になりがちな録音のせいもあって、力感に乏しいというひともあると思う。


Reference
Adam Fischer cond. Austo-Hungarian Haydn Orchestra 1990 Haydn Sym.91 in E flat Major, CD: Nimbus NI5417/8
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒業論文の評価:問題を提起することの価値

2006-02-16 | Education for 3,4年
 例年この時期は卒業論文や修士論文の評価の時期である。昨年も書いたことだが、心理学の卒業論文で、剽窃とまでは呼ばないまでも他の研究をほとんどそのまま繰り返して「追試」と称しているものがあり、これはいかにその体裁が良くとも卒業論文の評価としては問題があることをもう一度指摘しておきたい。
 そもそも卒業論文を課す理由は、みずから問題を提起し、その問題の答えを導くため方法を工夫すること、さらに計画的にそれらを実施することや、途中の失敗や新たな問題を自分なりに解決する過程に教育的な意義があるからである。他の研究をそのまま繰り返せば、そのような課題のほとんどが問題とならずに看過されてしまい、問題提起と解決という研究活動のもっとも重要な側面が無視されることになる。仮にその研究を追試することに意味があると主張するならば、その根拠を明確に提示するべきであろう。
 問題をどのような根拠をもとに提起するのか、は論文の根幹であろうから、その点は卒業論文の評価項目として重きをおかれてしかるべきであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Ravel: Ma mere l'oye

2006-02-14 | Music
Maurice Ravel (1875 - 1937) Ma mere l'oye

 Ravel の作品は視覚的ではあるが物語的であり象徴的である。その点でDebussy がより直截に光と動きを音化させようとしたこととは対照的である。

Photo: Mother Goose in Central Park.

---
 今のところ、日常的な作業としては文章化250 words(A4, 1 page) 程度を日課としたいところだが、どうしても読むものが増えてしまうので constant には難しいかもしれない。ほかに新たな実験のprogramming と雑務を少々。

 Ideas ---> Rationale は論理展開の基本である。

References
Jean Martinon, Orchestre de Paris 1974 Maurice Ravel Ma mere l'oye CD:EMI 5 7526 2
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

in the twilight

2006-02-11 | Photo
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シラバスの前に

2006-02-09 | Education for 院生以上

 気温28℃。こちらでもこの時期にはめずらしい。湿度9%。

 大学院のシラバスを用意しているが、シラバスに書く内容以前に、前提となることを書く必要がありそうに思う。大学院生でも「教えてもらう」態度がいまだにしみついている学生をみることがあるからである。釈迦に説法なのかも知れないが、あえて書いておきたい。
 限られたシラバスの紙面には書けないが、みずから研究をまとめて論文に仕上げることの意義を理解することがどうしても必要だろう。そのためにはテーマについて(教員からの一方通行ではない)discussion をおこない、みずから課題を具体的に絞り込み、計画をたて、その解決の方法を探らなければならない。失敗や壁に突き当たることも当然多いわけであるから、そこでどのように対応するかが考えどころである。
 具体的に例を挙げれば、テーマの大枠あるいは方法については教員と相談することが当然だが、その実現は学生本人が引き受けることである。たとえば、コンピュータのプログラミングや計算手法については、自分で解決することである。
 また、現時点で何をするべきか、考えるべきかも、本人が判断すべきことであり、責任を持たなければならない。一々指示されるべきことではない。どのような研究分野でも大学院生には学会発表が課されるが、これも研究室にいれば自ずからどこにどのように参加、発表するべきかはわかるであろう。
 さらに付け加えれば、大学院修了後の進路や資格取得についても、教員に「教えてもらう」「紹介してもらう」ということを期待することは、ほとんどの場合、無理であると考えてよい。これらもみずから希望と適性を考慮して計画すべきことである。
 以上のことは、通常暗黙の了解がなりたっていると思われるが、もしこれが理解されていないと、大学院を仮に修了したとしても、みずからその後の期待される職業生活を維持してくことが難しいのではないかと思われる。人から指示されたことに振り回され、学問的バックボーンもなく雑事に埋没することは避けるべきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする