母木の由来は、神武東征になる。長髓軍と最初に会戦した孔舎衛坂の戦いに敗戦した際に隠れて難を逃れた木を母木として、その母木のある村を母木邑と言うようになったということであり、その村の寺としてその後に母木寺があったのであろう。
「初孔舎衙之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹日、恩如母、時人因号 其地、日母木邑、今云飫悶迺奇訛也」
「最初の孔舎衙坂の戦いの際に、大樹に隠れて難を逃れた者あり。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。時の人、それに因んでその地を『母木邑』と言う。今、『飫悶廼奇』(オモノキ)と云うのは訛である。」(日本書紀、神武紀)
「初孔舎衙之戦、有人隠於大樹而得免難、仍指其樹日、恩如母、時人因号 其地、日母木邑、今云飫悶迺奇訛也」
「最初の孔舎衙坂の戦いの際に、大樹に隠れて難を逃れた者あり。それでその樹を指して『恩母如』(その恩、母のごとし)と言う。時の人、それに因んでその地を『母木邑』と言う。今、『飫悶廼奇』(オモノキ)と云うのは訛である。」(日本書紀、神武紀)