日記

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ダライ・ラマ法王猊下のこの度の報道におけることについて・2

2023年04月12日 | ブログ
根本上師への誤解を解かないで、どうするつもりかと強くお叱りを頂いた。

根本ラマへの誹謗は大罪となる。猊下への誹謗ではなく、誤解、失望を招くことへの残念、悲しみである。

猊下への尊敬の念、報恩の念は何ら何も変わらない。

今回の猊下の行為を説明するならば、「舌を出す」というのは、仏教的には真理、真実を伝えるから、それを受け取りなさいという意味である。

「舌に触れなさい」というのは、恐れず、つまり、汚いとか、不潔だとか、卑猥だとかという分別してとらわれる心を離れて、真理、真実義をそのまま受け取りなさいということである。

ただ、これは、その相手次第では大いに誤解を与えることになります。

この少年が沙弥やリンポチェであれば、となります。

また、今回のことは、これを汚い、不潔、卑猥だと捉える我々の分別心のありようを問うようにとの意図もありえなくはないのでもあります。しかし、そう理解して納得できる者は、やはり少数ではあるでしょう。

ですから、残念で、悲しいのであります。

・・

触れない訳にはいかないが、猊下の報道におけることは、誠に残念なことである。

純朴さ、お茶目のからかいが裏目に出たとか、密教的な深い意味合いだとか、色々と擁護の声もあるでしょうが、残念な気持ちは残念な気持ちである。

だが、すぐに過ちを認めて謝罪なさられたことは受け入れるべきであろう。しかし、悲しい。

もちろん、残念、悲しいのは、世間の誤解、失望を招き、猊下を陥れようとする勢力の利になってしまっているからであります。

猊下への残念、悲しいではありません。

密教的にはミラレパやティロパ、ナーローパ等、その行いには通常世間では理解し難いことも多々あり、世俗の観方では、おかしな奇怪なこと、倫理や道徳に反するなど、そのように映ることは当然にありえるのではあります。

今回のことが、無上瑜伽タントラにおける深淵なる意(例えばナーロー六法、秘密集会五次第におけることなど)があることはもちろん否定はできませんが、大いに世間の誤解を招き、失望を招いたことは確かであり、それが残念で、悲しいのであります。

とにかく、私は無上瑜伽タントラの考究を更に進めることで、猊下のご恩に報いていかねばならないと気持ちを新たに致すのであります。


今回の猊下のことで、ティロパとナーローパのやり取りを久しぶりに思い出して、伝記を読み返した。

しかし、少年をナーローパとするには、リンポチェ、求道者でなければ、やはり世間へは誤解、失望を招くことにしかならない。

だが、ティロパとナーローパのやりとりは密教的な重要な示唆が含まれてある。

この機会に少し興味を持って頂けたらとは思うのであります。

下記二つに少し詳しくまとめられています。

http://morfo.seesaa.net/article/234053735.html

https://note.com/saemisacrafrasca/n/nd50c2cb6afd0

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