光明真言(不空大灌頂光真言)について
曹洞宗の甘露門には、先に色々と考察した大宝楼閣善住秘密陀羅尼と共に諸仏光明真言灌頂陀羅尼(光明真言)も読誦されています。
曹洞宗の甘露門について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/72de11ab38ae8e8b64614487df7e78dc
大宝楼閣善住秘密陀羅尼からの関連考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/26c3f9984fe03ee8f2af0d57050719b4
曹洞宗において光明真言は、施餓鬼では読誦されますが、葬儀では読誦されません。引導に関わる陀羅尼として、葬儀でも読まれる大宝楼閣善住秘密陀羅尼から色々と考察しましたが、葬儀では読まないものの、光明真言についてからも考えることで、より引導後について明確化することができることになるのではないかと考えます。
光明真言の内容は、不空成就如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来の金剛界五仏、つまり、五智如来から光明(悟りへの光を照らす、五智如来の智慧のお加持のお力)を賜るため(頂くための祈願)の真言となります。
これは、つまり、もう正式名からも分かるように五智如来から灌頂を賜るための真言となるのであります。
大宝楼閣善住秘密陀羅尼も一切如来(一応、考察では五智如来と最終的にしました)からの灌頂を頂戴するための陀羅尼であり、光明真言も五智如来からの灌頂を賜るための真言であることから、両者を鑑みれば、当然に五智如来からの灌頂を頂くということが想定されるものとなります。
無上瑜伽タントラの枠組みで考えれば、四つの灌頂の一番目、瓶灌頂となるのであります。
瓶灌頂の内容は、大きく二つに分けることができ、一つは「明灌頂」、もう一つが「阿闍梨灌頂」となります。
その「明灌頂」において、五智如来の悟りの智慧のお加持のお力を頂戴する灌頂があり、それぞれ
水灌頂 阿閦如来 大円鏡智
宝冠灌頂 宝生如来 平等性智
金剛杵灌頂 阿弥陀如来 妙観察智
鈴灌頂 不空成就如来 成所作智
名灌頂 大日如来 法界体性智
となります。
この瓶灌頂の前段の灌頂が「明灌頂」とあるように、「明」というのは、悟りのこと、一方、その逆は無明で迷いのこと、無明に悟りの光を照らすということで「(光)明灌頂」ということで、「光明」というまさにその真言の名の通りとなるのであります。
ですから、光明真言は、そのまま五智如来から灌頂を頂くというための真言となるのであります。
そして、「阿闍梨灌頂」に続き、先にも考察した「不退転灌頂」が「阿闍梨灌頂」に含まれてあるのであります。
まさにそのまま「瓶灌頂」を頂くためとなり、曹洞宗の引導の目的もそれになるということで間違いないというものとなります。
さて、ここで、この光明真言について説かれてあるお経「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」において、実は、真言の功徳として、極楽浄土への往生について説かれてあります。
とするならば、光明真言による引導先、つまり、灌頂を受ける先として考えられるのは、阿弥陀如来の極楽浄土となる可能性もあります。
大宝楼閣善住秘密陀羅尼による考察からは、曹洞宗の引導先は、色究竟天上に荘厳された大宝楼閣曼荼羅(世界)としましたが、阿弥陀如来の極楽浄土も引導先として考えられなくないということには一応なります。
もしかすると、元々の曹洞宗の葬送儀軌には、実は大宝楼閣善住秘密陀羅尼と共に光明真言もあったのかもしれません。
しかし、極楽往生的な要素を近代になり排除して形式を調えた際に、極楽往生が想定される光明真言を省いた可能性があるのかもしれません。これはあくまでも推測ですが。
このあたりは天台宗の引導が、阿弥陀如来の極楽浄土であり、阿弥陀経が読誦され、光明供修法(来迎を迎える儀式)があり、そして、重要な引導の陀羅尼として光明真言が読誦されることから、光明真言は、やはり極楽浄土への引導に向けた陀羅尼と考えても妥当なところとなります。
そのため、極楽往生的な要素を排除するためとして、曹洞宗は葬儀において、この光明真言を読まなくなった可能性はあるのではないだろうかと思われます。
・・
波羅蜜乗と無上瑜伽タントラの決定的な差とは何か?
これは簡単に述べれば、仏陀の色身を得るためには、最終的には無上瑜伽タントラに依らなければならないということになります。
仏陀の法身を得る道は、波羅蜜乗でも密教でも変わりはありません。もちろん、そのスピードの差異は相当にありますが。
問題は、最後の最後で、仏陀の色身を得るための最終的な根拠が波羅蜜乗では見当たらなくなるのであります。
もちろん、波羅蜜乗では三阿僧祇劫の福徳資糧がその根拠にはなりますが、しかし、その資糧だけを以って仏陀の色身を得るのが不可能なのであります。
なぜか?
要は、資糧は積んでいても、最後有の菩薩(十地の菩薩)から如来の色身へと至るための架け橋となるもの、続くものの根拠が無いからであります。
なぜなら、最後有の菩薩の相好は、まだ所知障が残ってある状態での相好であるからであり、有漏の身体であるからであります。
そのため、その有漏の身体から仏陀の色身へと繋げるために、その有漏の身体を浄化して、新たに仏陀の色身へと繋がるものを実現しなければならないのであります。
それが無上瑜伽タントラの「幻身」となるのであります。
しかし、なぜ、最後有の菩薩(十地の菩薩)は仏陀の色身を得られないのか?
所知障を滅せられたら、その滅した意識から清浄な身体を立ち上げることはできないのか?
問題は、波羅蜜乗の菩薩は、所知障を滅せられるのかどうかであります。
所知障の(影響)ある意識(と身体)が、そもそも真に所知障の無い意識(と身体)を実現できるのか・・
要は汚い手で、汚い手自身のヨゴレを拭うことができるのか?ということですが、それはできないのであります。
もし、汚れた手を綺麗に拭うには、綺麗な手、別に綺麗な布でも良いでしょうが、その綺麗にするための「モノ」が必要となるのであります。
その綺麗にさせるための架け橋、媒体となるのが無上瑜伽タントラにおける「幻身」となるのであります。
正確には、それは無漏の幻身、「清浄な幻身」となります。
仏陀の色身へと続くこの「清浄な幻身」の実現が、成仏には必ず必要となるのであります。
・・
極楽浄土への往生について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8
開甘露門(施餓鬼のお経について)
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/34b4c7f4598a50c7cd091030d62eed6c
施餓鬼供養の本質について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html
曹洞宗の甘露門には、先に色々と考察した大宝楼閣善住秘密陀羅尼と共に諸仏光明真言灌頂陀羅尼(光明真言)も読誦されています。
曹洞宗の甘露門について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/72de11ab38ae8e8b64614487df7e78dc
大宝楼閣善住秘密陀羅尼からの関連考察
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/26c3f9984fe03ee8f2af0d57050719b4
曹洞宗において光明真言は、施餓鬼では読誦されますが、葬儀では読誦されません。引導に関わる陀羅尼として、葬儀でも読まれる大宝楼閣善住秘密陀羅尼から色々と考察しましたが、葬儀では読まないものの、光明真言についてからも考えることで、より引導後について明確化することができることになるのではないかと考えます。
光明真言の内容は、不空成就如来、大日如来、阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来の金剛界五仏、つまり、五智如来から光明(悟りへの光を照らす、五智如来の智慧のお加持のお力)を賜るため(頂くための祈願)の真言となります。
これは、つまり、もう正式名からも分かるように五智如来から灌頂を賜るための真言となるのであります。
大宝楼閣善住秘密陀羅尼も一切如来(一応、考察では五智如来と最終的にしました)からの灌頂を頂戴するための陀羅尼であり、光明真言も五智如来からの灌頂を賜るための真言であることから、両者を鑑みれば、当然に五智如来からの灌頂を頂くということが想定されるものとなります。
無上瑜伽タントラの枠組みで考えれば、四つの灌頂の一番目、瓶灌頂となるのであります。
瓶灌頂の内容は、大きく二つに分けることができ、一つは「明灌頂」、もう一つが「阿闍梨灌頂」となります。
その「明灌頂」において、五智如来の悟りの智慧のお加持のお力を頂戴する灌頂があり、それぞれ
水灌頂 阿閦如来 大円鏡智
宝冠灌頂 宝生如来 平等性智
金剛杵灌頂 阿弥陀如来 妙観察智
鈴灌頂 不空成就如来 成所作智
名灌頂 大日如来 法界体性智
となります。
この瓶灌頂の前段の灌頂が「明灌頂」とあるように、「明」というのは、悟りのこと、一方、その逆は無明で迷いのこと、無明に悟りの光を照らすということで「(光)明灌頂」ということで、「光明」というまさにその真言の名の通りとなるのであります。
ですから、光明真言は、そのまま五智如来から灌頂を頂くというための真言となるのであります。
そして、「阿闍梨灌頂」に続き、先にも考察した「不退転灌頂」が「阿闍梨灌頂」に含まれてあるのであります。
まさにそのまま「瓶灌頂」を頂くためとなり、曹洞宗の引導の目的もそれになるということで間違いないというものとなります。
さて、ここで、この光明真言について説かれてあるお経「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」において、実は、真言の功徳として、極楽浄土への往生について説かれてあります。
とするならば、光明真言による引導先、つまり、灌頂を受ける先として考えられるのは、阿弥陀如来の極楽浄土となる可能性もあります。
大宝楼閣善住秘密陀羅尼による考察からは、曹洞宗の引導先は、色究竟天上に荘厳された大宝楼閣曼荼羅(世界)としましたが、阿弥陀如来の極楽浄土も引導先として考えられなくないということには一応なります。
もしかすると、元々の曹洞宗の葬送儀軌には、実は大宝楼閣善住秘密陀羅尼と共に光明真言もあったのかもしれません。
しかし、極楽往生的な要素を近代になり排除して形式を調えた際に、極楽往生が想定される光明真言を省いた可能性があるのかもしれません。これはあくまでも推測ですが。
このあたりは天台宗の引導が、阿弥陀如来の極楽浄土であり、阿弥陀経が読誦され、光明供修法(来迎を迎える儀式)があり、そして、重要な引導の陀羅尼として光明真言が読誦されることから、光明真言は、やはり極楽浄土への引導に向けた陀羅尼と考えても妥当なところとなります。
そのため、極楽往生的な要素を排除するためとして、曹洞宗は葬儀において、この光明真言を読まなくなった可能性はあるのではないだろうかと思われます。
・・
波羅蜜乗と無上瑜伽タントラの決定的な差とは何か?
これは簡単に述べれば、仏陀の色身を得るためには、最終的には無上瑜伽タントラに依らなければならないということになります。
仏陀の法身を得る道は、波羅蜜乗でも密教でも変わりはありません。もちろん、そのスピードの差異は相当にありますが。
問題は、最後の最後で、仏陀の色身を得るための最終的な根拠が波羅蜜乗では見当たらなくなるのであります。
もちろん、波羅蜜乗では三阿僧祇劫の福徳資糧がその根拠にはなりますが、しかし、その資糧だけを以って仏陀の色身を得るのが不可能なのであります。
なぜか?
要は、資糧は積んでいても、最後有の菩薩(十地の菩薩)から如来の色身へと至るための架け橋となるもの、続くものの根拠が無いからであります。
なぜなら、最後有の菩薩の相好は、まだ所知障が残ってある状態での相好であるからであり、有漏の身体であるからであります。
そのため、その有漏の身体から仏陀の色身へと繋げるために、その有漏の身体を浄化して、新たに仏陀の色身へと繋がるものを実現しなければならないのであります。
それが無上瑜伽タントラの「幻身」となるのであります。
しかし、なぜ、最後有の菩薩(十地の菩薩)は仏陀の色身を得られないのか?
所知障を滅せられたら、その滅した意識から清浄な身体を立ち上げることはできないのか?
問題は、波羅蜜乗の菩薩は、所知障を滅せられるのかどうかであります。
所知障の(影響)ある意識(と身体)が、そもそも真に所知障の無い意識(と身体)を実現できるのか・・
要は汚い手で、汚い手自身のヨゴレを拭うことができるのか?ということですが、それはできないのであります。
もし、汚れた手を綺麗に拭うには、綺麗な手、別に綺麗な布でも良いでしょうが、その綺麗にするための「モノ」が必要となるのであります。
その綺麗にさせるための架け橋、媒体となるのが無上瑜伽タントラにおける「幻身」となるのであります。
正確には、それは無漏の幻身、「清浄な幻身」となります。
仏陀の色身へと続くこの「清浄な幻身」の実現が、成仏には必ず必要となるのであります。
・・
極楽浄土への往生について
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/fdf786b2f735761a240f23946285b2f8
開甘露門(施餓鬼のお経について)
https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/34b4c7f4598a50c7cd091030d62eed6c
施餓鬼供養の本質について
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85135519.html
施餓鬼供養・塔婆について(春彼岸・夏お盆の年2回法会開催)
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85052585.html
3/17-3/23・春彼岸「おせがき」供養・3/20・彼岸中日「日想観」法要のご案内
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/85003156.html