日記

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東北地方太平洋沖地震 ツイッターにて情報収集・情報発信が中心

2011年03月28日 | 徒然日記・日々の記録
東北地方太平洋沖地震
ツイッターにて情報収集・情報発信が中心
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川口英俊のツイッターログ
http://twilog.org/hide1125

改めまして、この度の大地震にて被災されました皆様方には心からお見舞い申し上げます。また、お亡くなりになられました方のご冥福を心からお祈り申し上げます。これから、私にできる支援、協力を考えて、実践致したく存じております。川口英俊拝

「 #buddhajihi 」のハッシュタグにて、仏教・寺院・僧侶による支援の情報の集約に努めておりますので、是非、ご参照下さいませ。

【拡散・活用望】 東日本大震災 仏教・寺院・僧侶による総合支援情報→ #buddhajihi 各宗派による支援情報→ #shuha_save  寺院による支援情報→ #jiin_save 僧侶による支援情報→ #sou_save 仏教思想による支援情報→ #buddha_save

3/11・東日本大地震発生時より収集させて頂いて参りました「仏教・寺院・僧侶による支援の情報」の全ての過去ログは、Twilogにおいて閲覧して頂くことができます。

http://twilog.org/hide1125

ツイッター投稿内容からほんの一部を抜粋しておきます。全てをご覧になりたい方は、ツイッターにて、#buddhajihiのタグで検索下さいませ。

RT@nakashitadaiki 今回、被災地に実際に行っておびただしい数のご遺体に触れてみて、死についてとことんまで考えてやろうと言う気になってきた。だってそうしないと、亡くなって逝かれた方の死が無駄になってしまうような気がするから。遺体の多くは、恐怖のため、目を見開いた状態のまま見つかったものが多いという。

RT@nakashitadaiki 被災地の遺体安置所にお伺いしたら、ビニールシートや毛布にくるまれた多数のご遺体が。泥で汚れた剥き出しの足の裏が見えた。ただ手を合わすことしかできなかった。僧侶として、またひとりの人間として、無力さを痛感した瞬間。

RT@chihiro200205 「お寺の数はコンビニより多い」というが教団の組織力が期待されている。臨済宗若手僧侶の集いで地方僧侶より「個々で托鉢しているが、都圏の寺を人・物の流通拠点にするなど組織化した被災地支援をしたい」ともどかしい声が多く聞かれたそうで何だか勿体ない。

RT@Shimazono 日本にチャプレン制が根付いていたら、被災地でケアにあたる宗教者の活動もだいぶ異なるものになっていたかも。逆にそうでなかった日本で、また宗教的な多様性が大きい日本で、このような時どう対処できるのか。現場の経験から学びたい。

RT@nakashitadaiki 被災地に入ると、避難場所や遺体安置所に「お寺」が有効活用されている。その地域に数百年と存在するお寺は、今回のような緊急対応を要する時には必要不可欠な場所となりえる。だって現在避難所となっている学校の多くは、創立数十年がいいところ。歴史が違う。お寺をもっと有効に使うべき。

そのご懸念を少しでも回避する一助として、#buddhajihi のタグにて情報収集に努めて参りました。 RT@tenjin95 手前味噌かもしれないが、各宗教教団については、災害支援がマスコミに出ていない=やっていない、ではないと知っていただきたいものだ。出来ることから頑張ろう!

RT@mayakka 土曜日のスマナサーラ長老の月例講演会。多くの外国人が帰国される中「日本の方々が苦しんでいるときに私はこの人達を置いて逃げませんよ。いまこそ力になるべき時ですから。祖国の人々には、もう私のことはあきらめて下さいと言いました」とおっしゃる長老のお姿に涙がでました。

RT@nakashitadaiki ①岩手県と宮城県(被災地)に行ってみて分かったこと。①ガソリンの圧倒的な不足は大問題②被災地域それぞれによって実情は違う③被災地に外部からの援助はもちろん必要だが、長い目で見ると被災地で何らかの「仕事」を作り出す必要がある。それによって地域の活性化を促す④死とどう向き合うか?

RT@namagusa823 物資は届いている。ただし、各被災者まではガソリン不足で届かず。車が動いても、トラックでは入れない所も多い。じゃあ、九州から直接持ってく?その金があるなら、義援金に廻す方がいい。できることって限られてる。ピンポイントでつながった現地の情報をいれて、個別に支援するしかないと判断した。

今ほど日本仏教界において、仏教思想における「空と縁起」の視座による「菩提心」の発心、「慈悲」の実践が求められている時はない。この未熟者、この度の「一大事」に備えるために仏教の学びを進めていたはず・・今は挽回へ向けて焦燥感だけが募る

RT@sho2424 ..微力ながら僕達も僧侶として、なにかお役に立てればと結束しました。できることの、一歩。まず踏み出すことが大切..それが僧侶としての基本的な姿勢と思います。僧侶は、辻に立て! そいう宗祖の教えが心に染み入ります。

RT@sho2424 まだまだ、先が長いと思います。ほんとうに僧侶としての役割は、むしろこれからだと思っています。僧侶として、できることを着実にやっていきましょう。対治ではなく、同治の精神で、被災者に少しでも笑顔を取り戻して頂くためにも……半年後から1年後。ここがケアが必要な時期。

RT@Shimazono 今回、被災者の避難。疎開で生じていることは、移動した人と残る人の分断が生じること、また、残る人が孤立する傾向です。移動者の支援と残る人の支援とが切り離せず、そこに宗教者は気をつけるべきでは。遠くから見ているにすぎませんが、宗教者の援助活動に関わろうとしている者としての感想です。

RT@Shimazono 宗教こそインフラ的な支えが、と書きました。この場合のインフラ的とは、物的なものありましょうが、人と人との絆の維持に貢献できるということかと思います。さらに、集団移住だけでなく、都市部などでの小家族の移住も視野に入れる必要がありましょう。肩身狭くなく、孤立しないように援助したい。

RT@Shimazono 被災者の受け入れと現地に留まる人への支援を結合したい。これには現地に長期的に滞在する支援組織が求められているということでは?被災者受け入れに力を入れる宗教者災害支援連絡会の任務を考えているが、このあたりに宗教者ならではの支援の手がかりの一つがあるような気がする。

上田紀行先生への高橋卓志師からの情報・・壮絶な現場は更にあまりにも悲劇的なものとなってしまっている・・僧侶、寺院、宗教者として、何かもっと更にできることはないかと、焦る日々が悶々と続く・・私と同じく日課・立場・体制に縛られて、この一大事に色々と身動きがあまり取れずに悶々としている青年僧、特に副住職は多いと思う・・残念至極なる無念の思い・・実に痛恨の極みである・・次の一大事では決して後悔しないように、今から挽回へ向けて万事調えていきたい。そんな思いの中で、震災当初よりこれまで仏教・寺院・僧侶による支援情報の収集をしてきた。先達の慈悲行に学びたい。

RT@UedaNoriyuki 原発20~30キロ圏内にいる高橋卓志師からの情報。「屋内退避の指示が出て、脱出する息子夫婦におにぎり3個渡されて、置き去りにされた寝たきりのおばあちゃんがいた」「店も閉まり、飢餓状態に」「その状況をもたらした国は何の援助もしない」そして、自主退避勧告へ。「残された人たちの多くは老人たち。体の不自由な人も多く、町全体が特養みたいになっている。」そのお年寄りたちがどのようにして「自主退避」すればいいのか。

RT@shirasuke 宗派の全国組織を活用し、被災地の寺院に支援物資を送り、そこから地域の被災者へ。仏教界、宗派としてのネットワークをどこまで活かせるか。これは現時点での課題だが。考えてみれば、この全国的な寺院組織を民間の支援団体にも生かしてもらう仕組みも今後は必要ではないだろうか。

RT@nekotoi 東北・北関東大震災募金を青年僧が行うのは良いが・・・それをアピールしないでひたすら人知れず行うことに執着するのは如何なものであろうか。宗教者として見え見えな宣伝は控えるべきであるが、その逆も同じぐらい愚かしいことに見えるのは私だけであろうか。

應典院 【4月10日】 東北関東大震災「Pray from West」祈りの市民集会のご案内 http://www.outenin.com/modules/contents/index.php?content_id=403

RT@nakashitadaiki 岩手県の災害対策問題に取り組む方より情報提供。「家が流され、家族も失い、命助かった方が希望を見出だせずに自殺する方が出ています。残された方々のケアが必要」と。食糧や医療などのライフラインの確保と同時に、メンタル的な支援も必要不可欠。震災遺族限定のネットワークなどの取り組みに期待。

RT@shirasuke 被災地の宗派の寺院に向け宗内有志から支援物資を送り、その寺院から地域の被災者へ。地域寺院のとして、菩提寺と檀家の関係が生きる時。行政の網をすり抜ける個別避難の人たちのケアが期待される。仏教界、宗派としてのネットワークをどこまで活かせるか。

RT@nakashitadaiki いろんな震災ボランティア関係の会議に出るたび、仏教やキリスト教、新宗教関係の方とお目にかかる機会が増えつつある。宗教界にとって、今はまさに正念場。特に仏教界にとっては土葬の報道がなされている今こそ存在意義を示す必要がある。

RT@tomoshiokuda 現場にいない者が言うのはいけないと思いつつ、宗教者として何かできないかを考え続けている。宗教がこの不条理、「神がおられるならなぜこのようなことが起こるのか」という答えのない神議論の問いを引き受けるためにも、今、この悲しみと不条理を引き受けねばらない。護教的にならないこと。このような苦難を無理して感謝して受け取ったり、神の摂理などと言う必要はない。自分たちの信じてきた神や仏を信頼しつつ、ちゃんと文句を言うこと。「ええかげんにしてください。神様」と宗教者が責任をもって皆の前で祈ること。それは、大事だと思う。普遍不動の神様も大事だが、人と共にもがき苦しむ神や仏も大事だ。宗教者は、希望を「宣言」する強さと同時に、共に泣きうろたえるという弱さを持ち合わせねばらない。しんどいけれど。

【全日本仏教会 東日本大地震に関する被災地支援情報一覧 】 http://www.jbf.ne.jp/2011/03/post_186.html

RT@BuneiOtokawa @kikyousan 行政・警察の立場としては、特定の宗教・宗派だけを安置所に入れるわけにはいかんということもわかりますが、枕経も上げてもらえないというのは亡くなった方と遺族が不憫でたまりません。

RT@monodoi #311map 稲場圭信さん&黒崎浩行さん作成の労作「宗教者災害救援マップ」(http://bit.ly/fxmQP1)を、いかに「地理・地理空間情報」 http://ow.ly/4iuBK が位置付けるかもまた興味深い

RT@tomoshiokuda: 政府主体の合同慰霊や追悼も必要だが、死はあくまでも個人の尊厳に関わることなので、個々人のご遺族に対して、個々宗教者が関わることが必要。しかし、それをどこに言えばいいかわからないので、宗教側が統一の窓口をつくることは必要。弔いの仕方は、それぞれ遺族の想いを中心に考えればよい。

RT@tomoshiokuda 私は、牧師なのですが、被災地における宗教的ケアというものが今、必要だと感じています。これは阪神の反省でもあります。被災者の中には、家族を助けられなかったという自責と弔ってやれなかったという自責が交錯している。宗派を超え仏教、キリスト教など、被災者の声に応える形で弔いを行う。現場の状況からすると葬儀という事までもいかないだろう。しかし、宗教者が立ち会って祈ること、お経の一つでもあげること。また、遺骨を寺院や教会であずかり、追悼したい時に静かに祈ることができること。それを確保することが今重要だと思う。集団土葬ということも話題に出ているそうだ。ならば余計このことに対するケアの体制を整える必要がある。それは宗教の役割。それをしないなら何のための宗教なのか。たとえ遺骨が無くても、家族を想い出せる空間を提供すべきだと思う。宗教界が統一したテーブル設定できないか。体がもう一つほしい。

RT @riushin: 六波羅蜜を実践しよう布施(義捐金、救済物資を被災者に届けよう)自戒(自らの生活を律しよう)忍辱(不自由、不便に文句を言わない)精進(自分が今出来ることを粛々と)禅定(まず心を落ち着けよう)智恵(デマに惑わされず正しい情報を)

@inabakeishinもちろん今回の震災で被害にあっている宗教施設もあるが、情報共有の場として、避難所として、ボランティアの拠点として、中継地点として、神社・寺院・宗教団体施設は力を発揮できる。教団、宗派の違いをこえて情報交換をしながらの救援・復興活動を願う。

@nakashitadaiki 地震の緊急支援対策として、食糧や医療など「生きる支援」は必要不可欠。一方で、大量の遺体が道端に放置されている状態を考慮すると、棺やお花の手配も怠ってはならない。私が現地入りする時は、遺族ケアという観点も考えないと。そしてそれは、10年スパンで考えないと、一時的なものではまずい。

@syunmyo日本仏教は宗派、という区切りがあってそこから抜け出せないように思われているが、古くは宗門、であって、どの門から入っても行き着く目的地は一緒。まずは托鉢で浄財を。メディア熱が冷めた頃も、復興にとって大事な時期になる。

RT@project173 震災前、NHKが声高に「無縁死」の恐怖を叫び、若い人が「自分も無縁死になるかも?」と懸念しました。集団土葬になっても、ご遺体が水没して見つからぬままでも、彼らは決して“無縁”ではないことを宗教者は示しましょう。遠くから祈る“縁”の声で、“無”を埋めましょう。

RT“@nagabodhi: 震災犠牲者並びに被災者の皆様へ佐々井秀嶺師からのメッセージ全体を掲載しました。 佐々井師より http://t.co/GHrgvht”

RT@tonbani ブログ更新:ダラムサラで「日本のために10万回般若心経が唱えられた」http://blog.livedoor.jp/rftibet/

このような時こそ、仏教、寺院の役割が問われる。Twitter上でも、仏教、寺院の取り組む災害支援情報、ボランティア情報を集約して発信するために、宗旨宗派を超えて取り組めないかな?

日本の仏教界において、宗旨・宗派を超えて、教団・寺院・僧侶が、今回の大地震での救援・支援で、迅速かつ効率的・効果的な行動が取れるように、情報収集・分析・情報発信できるようなネットワークの構築などの動きはないのだろうか・・

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今日も晴れとなり、日中は暖かくなりましたね。ようやくに春の訪れであります。

終日寺院勤務

寺務・岩瀧不動明王様御供養・墓苑枯れた彼岸お供え仏花一斉下げ・空き缶瓶回収・配水管整備などして過ごす。

岩瀧不動明王様・清掃・御供養


この度の東日本大地震の犠牲者皆様方の御供養、並びに復興祈願を併せて勤めさせて頂きました。

不動明王慈救咒
ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン



往生院だよりコラム 平成18年8月 お盆特別号より
「岩瀧不動明王様」
http://oujyouin.com/tayori1808.htm

お参りはようやく一段落致しました。

この陽気で一気に枝垂れ桜が開花して参りました。



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朝夕の梵鐘勤行にて、東北地方太平洋沖地震においてお亡くなりになられました方々へご冥福のお祈り、鎮魂のご供養を勤めさせて頂いております。

今ほど日本仏教界において、仏教思想における「空と縁起」の視座による「菩提心」の発心、「慈悲」の実践が求められている時はない。この未熟者、この度の「一大事」に備えるために仏教の学びを進めていたはず・・今は挽回へ向けて焦燥感だけが募る

上田紀行先生への高橋卓志師からの情報・・壮絶な現場は更にあまりにも悲劇的なものとなってしまっている・・僧侶、寺院、宗教者として、何かもっと更にできることはないかと、焦る日々が悶々と続く・・私と同じく日課・立場・体制に縛られて、この一大事に色々と身動きがあまり取れずに悶々としている青年僧、特に副住職は多いと思う・・残念至極なる無念の思い・・実に痛恨の極みである・・次の一大事では決して後悔しないように、今から挽回へ向けて万事調えていきたい。そんな思いの中で、震災当初よりこれまで仏教・寺院・僧侶による支援情報の収集をしてきた。先達の慈悲行に学びたい。

大震災により、無情にもお亡くなりになられた皆々が、切実に生きたいと想い、願ったであろう一日が今日も過ぎゆく・・「無常」・」無我」・「空」・「苦」を想うものの、無数無限の大いなる「縁」により生かされている「今」をとにかく大切に感謝して過ごしていきたい。合掌

大震災により、無情にも犠牲となってお亡くなりになられた皆々が、切実に生きたいと想い、願ったであろう一日、一日が無常に過ぎゆく・・無数無限の大いなる「縁」により生かされて生きている一日一日を大切に感謝して過ごしていきたい。

施餓鬼供養では、慈悲の心を持って、三界(欲界・色界・無色界)において苦しんでいる全ての衆生、霊位へと供養を及ぼすことによって、ご先祖様のみならず、全ての霊位、また、自ら、他の者たちの仏道の成就を願い、安らかなる涅槃・彼岸へと至れるように回向することが大切となります。もちろん、この度の東日本大震災にてお亡くなりになられました皆様方の御供養も併せて行わせて頂くこととなります。心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

この度のお彼岸施餓鬼法要での法話におきましては、東日本大震災に関連致しまして、仏教・縁起思想における「助け合い」・「支え合い」・「分かち合い」の大切さ、慈悲の実践の大切さについて簡単にお話させて頂いております。合掌。

また、2005年から5年ほど継続しておりました地震予知研究を中途中断し、この度の未曾有の巨大地震の予知に何らの貢献もできませんでしたことを心からお詫び申し上げます・・衛星写真による地震雲確認、大噴火など地震活動活発化の兆候、深海魚の動向など、様々な宏観情報などにより、何らかの予測手立てはあったものと思われますが、全く力及ばずで本当に申し訳ございませんでした。

東北地方太平洋沖地震・義援金のための募金缶を寺務所前に設置させて頂きました。ご協力の程、宜しくお願い申し上げます。

寺務所前に設置させて頂いた募金缶


寺院の募金活動とは別に、個人義援金、第1回目を ゆうちょ銀行 日本赤十字社 東北関東大震災義援金 00140-8-507 へと送金させて頂きました。どうか、ほんの僅かでも支援・復興の一助となりましたら幸いでございます。