若葉マークのお遍路さん

旅行けば♪ 遍路道は汗の道。お大師様に会えるかな!

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2012年10月15日 11時42分11秒 | Weblog

 画像は日の出直前の月です。大部分が雲に隠れていますが、日の出と共に山の向こうに沈んでいきます。日々のトレーニングはいつも早朝です。月が沈み陽が昇る、天気が良ければそんな交代劇を見ながらのウォーキングです。


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2012年10月15日 11時25分46秒 | Weblog

 回顧編最後は木の芽峠越え。この木の芽峠は福井県の嶺北(越前国)と嶺南(若狭国)を分ける分水嶺が木の芽山地。木の芽山地の峠を越えて行く北陸道の内、最も険しい敦賀新保(しんぽ)宿から今庄二ツ屋宿の間を「木の芽古道」と呼ぶ。天長7年(830)頃木の芽峠が開発され、明治まで主要官道であった。(それ以前は山中越えの鹿(か)蒜(ひる)道(みち)が使われていた。)往時、源義経主従、新田義貞、道元禅師、本願寺蓮如上人、松尾芭蕉、数知れない人々がこの峠を越えて行った。

草の葉に かどでせる身の 木部山 雲に路ある ここちこそあれ 道元禅師

(HP:木の芽古道より)


回顧編 永平寺

2012年10月15日 11時13分11秒 | Weblog

 永平寺は約750年前の寛元(かんげん)2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」出家参禅の道場。境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいる。末寺現在全国に1万5千とのことです。(HP:曹洞宗大本山永平寺より)

 


回顧編 那谷寺

2012年10月15日 10時39分11秒 | Weblog

 二日目11時03分那谷寺(なたでら)に到着。那谷寺は白山信仰の寺で、717年 越(こし)の大徳泰(たい)澄(ちょう)神(じん)融(ゆう)禅師によって開創。次いで986年西国三十三番札所を開いた花山法王が第1番札所那智山と第三十三番札所谷汲山の各一字をとって那谷寺と改めたとのこと。壮大なお寺で、芭蕉も訪れ句碑が残されている。

石山の 石より白し 秋の風             芭蕉


回顧編 芭蕉と曾良の別れ

2012年10月15日 10時25分07秒 | Weblog

 二日目、7時40分芭蕉の館に立ち寄る。残念ながら時間が早過ぎて館内の見学はできなかった。この時期体調を崩していた曾良はここで養生のため伊勢長島に向かい、江戸深川より共に歩いてきた芭蕉と弟子の曾良は別れることになる。その時に詠まれた句が

行(ゆき)ゆきて たおれ伏すとも 萩の原    曾良

今日よりや 書付(かきつけ)消さん   笠の露    芭蕉

その二人の別れの像が入口にある。


奥の細道歩き回顧編 山中温泉

2012年10月15日 10時03分30秒 | Weblog

 初日、15時19分今日の泊り山中温泉に入る。まずはその芭蕉が歩いたという鶴仙渓(かくせんけい)に向かい黒谷橋から「あやとりはし」までの部分を歩いてみる。芭蕉はこの地で8泊もの滞在をしたという。よほど歓待されたのか、はたまた居心地が良かったのか。当地では芭蕉は6句残しているその中の1句。

山中や菊は たおらじ 湯のにほひ    芭蕉


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2012年10月15日 09時39分39秒 | Weblog

 画像は川鵜です。しばらく見なかったのですが久しぶりに戻ってきました。群れをなして、多いときには三桁の数で一斉に川を上っていきます。その食欲たるや見ているだけで圧倒されます。まこと歓迎されざる来訪者、というよりも川を生業とする漁業者にとってははなはだ迷惑な侵入者です。