すっかり秋めいてきました。早朝のウオーキングには長袖が欠かせなくなりました。画像は寒露の日の出です。寒露は24節気の17番目、陰暦では9月、陽暦では10月8・9日頃とのことです。奥の細道歩きもいよいよ新潟県に入ります。先月の打ち止め「あつみ温泉駅」からそのまま7号線を下り勝木で海岸線から分かれ内陸に入ります。芭蕉の頃は海岸線が通れなかったのでしょうか。長い山間の道を経て、村上市から新潟市に入り関屋駅まで歩きます。ここが今年の打ち止めとなります。
今回の最終目的地「あつみ温泉駅」に到着。5日間、107.4㎞の歩き旅が終了。初日心配した雨もなく、2日目の未明の強い雨も出発時には止んだ。降られたのは最終日の途中にパラパラきた程度。一方で晴れは少なかったものの、どちらかといえば天気には恵まれた歩き旅となった。昨年は5回に分けて800㎞、全行程の1/3を歩いた。今年は3月11日東日本大震災が発生したことから、春の実施を見あわせ、今回が本年初の歩き旅となった。ひたすら歩いた昨年とは異なり、今回は短い日程でゆったりとその土地土地を味わいながら歩くこととした。
先に投稿した携帯レポは現地発の臨場感が狙いであったが、如何せん歩きながらの投稿に不慣れなこともあり狙い通りにはいかなかった。帰ってから何かと多忙で時間が経ってしまったが、改めて足らざる部分を補い11コマに再編して投稿することとした。
R112に沿ってどこまでも続く防風林です。海側にそして内陸側に厚い松林が続いています。
近くに高所がなくても、この松林が津波対策にかなりの効果を発揮するのではないかと歩きながら感じました。18世紀に遡る防風林の植林も津波をどこまで考えていたか定かではありませんが。
画像は最上川の河口です。天気が今ひとつなのが残念ですが。山形県民の歌に「広き野を流れゆけども 最上川 うみに入るまで にごらざりけり」とあります。そんな河口から青い海に入る最上川を見たかったですね。さあ、これから日本海に沿って一路南下の旅です。
※酒田の寺島彦助宅での句会で
暑き日を海にいれたり最上川 (あつきひを うみにいれたり もがみがわ) 芭蕉
象潟はかって南北約5キロ、東西約1.5キロほどの潟であった。そして潟には99の島々点在していたという。そこで遊び心に、芭蕉が九十九島を船で巡り遊んだ潟をイメージしてみました。
※蚶満寺(かんまんじ)の境内に句碑があります。
象潟や雨に西施がねぶの花 (きさがたや あめにせいしが ねぶのはな) 芭蕉
着きました。北緯39.22度、奥の細道最北の地です(岩手県の平泉が38.59度ですから、ほぼ同じ緯度ですが)。
およそ2,500年前に鳥海山が大きく崩れて岩なだれが発生し、海に流れ込んだ岩のかたまり(流れ山)は多くの島々となり、やがて島々をかこむように砂嘴(さし)が発達して一帯は入り江となった。島々には松樹が茂り、水面に鳥海山を映し、松島と並ぶ景勝地として象潟は広く知られることとなった。しかし、文化元年(1804)6月の大地震によってこの地域は隆起して陸地となり、往古の潟は一変して現在の稲田と化したのである。象潟は、火山活動および地震による土地の変化を示す自然記録として学術上の価値が極めて高いため、昭和9年1月22日、国の天然記念物に指定された。
以上、管理団体「にかほ市」の説明看板より転載。