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官僚は既得権益を放さない。それが彼らの存在価値であるからである。既得権益は、経済優先社会を生み出し、様々な支障をきたしている。
道路一つ作るのには、農道であれば、農林水産省、国道であれば国土交通省と決まっており、無駄な道路を多く作る。水利権も農業用であれば農林水産省、工業用水であれば経済産業省、一般家庭用であれば厚生労働省であるため、減反によって余った農業用水が不法に売買され、自然破壊と貨幣獲得主義が蔓延している。官僚が自らの権力を維持したいがために作り出されるのは絶え間ない自然破壊の恐怖と、貨幣獲得主義による倫理性の欠如を生み出している。一部の人々に富を集中させることによって、それを享受できない人々が生活困窮に陥る。
既得権益は初めからあるものではなかった。もともとは、法治主義、法に基づいた統治であったものが、時代が経済主義になることによって変化していくのである。そして、この法治主義の前には武力主義による政治があった。
最初の統治権者は常に武力により平定したものによって治められる。
第一回目は大和朝廷が武力によって国土の統一を為した。その後、聖徳太子によって仏教による宗教の力、律令政治による法治主義が採られる。第二回目は、織田信長が武力によって天下統一しようとなし、豊臣秀吉の後、徳川幕府が安定した政権を得るが、徳川三代将軍までは、武断主義をとった。その後、文治主義へ切り替えることにし、儒学を盛んにすることによって将軍を頂点とする幕藩体制を築いた。第三回目は、大日本帝国が連合国に敗れ、進駐米軍GHQによって支配された後の内閣である。幣原喜重郎も吉田茂も戦時中から対米協調路線の外交官であった。旧軍人は排除され、国民から選出された弁護士や外交官、ジャーナリストなどから総理大臣が輩出され、法治主義の政権が出来上がるのである。
問題は武力支配を経て法治支配になった後である。法治支配は官僚が支配する政治となるが、利権を得、彼らが権力を保持しようと国民に害を与えたときに政権の交代は起きる。第一回目で言えば、朝廷支配から武家政権たる鎌倉幕府に交代したことであり、第二回目で言えば江戸幕府から明治政府に交代したことであり、現在は第三回目の政権交代の時期にある。
明治以来の政権交代は、以下のものがある。
1薩摩藩出身者から長州藩出身者へ代わった場合
2伊藤博文系統から山県有朋系統の官僚に代わった場合
3板垣退助系統の政党(立憲自由党→自由党→憲政党→立憲政友会)から大隈重信系統の政党(立憲改進党→進歩党→憲政党→憲政本党→立憲国民党→立憲同志会→憲政会→立憲民政党)に代わった場合
4官僚・貴族出身者から政党党首の衆議院議員に代わった場合(護憲運動)
5政党から軍部に代わった場合(五・一五事件以降)
6軍部から政党に代わった場合(敗戦によって政党が復活)
7政党の中でも保守政党から中道左派連立政権に代わった場合(第一次吉田内閣→片山内閣)
8保守から保守に代わった場合(第五次吉田内閣→第一次鳩山内閣)
9自民党から非自民連立政権に代わった場合(宮沢内閣→細川内閣)
10非自民から自民党連立政権に代わった場合(羽田内閣→村山内閣)
11自民党の連立政権相手が代わる場合(自社さ→自自公→自公保)
といろいろあったが、いずれも官僚の人々は、万年与党である。
つまり、これは時代の中では細かな政権交代であり、その一つ一つは時代の価値観を転換するほどの歴史的出来事であるとは言えない。
三十五年間続いた自民党政権が途絶えた細川政権の誕生の日の朝も、昨日と変わりなく、官僚たちは朝ごはんを食べ、霞ヶ関に出勤しているし、電車も通常通り走っている。今後、民主党政権が誕生した場合でもこの程度でしかない。
その程度の政権交代ならば、価値観や世界観が変わることはないため、さほど体制に変化はないので、今吹き出ている数多くの経済問題、社会問題の解決にはならない。
政権担当者の名前が変わるだけで、官僚が今までどおり行うことには何ら変わりない。もしも、天地がひっくり返るような政権交代があるとするならば、公明党単独政権か、共産党政権であるが、多くの国民はこの二つの政党に極度のアレルギーを抱いていることと、現行選挙制度の性質上、それはありえない。したがって、現代の既成政党においては、官僚の交代がないので、真の政権交代はありえないのである。
ましてや、民主党政権ができたからといって、何がどうなるというものではない。これはもう論外であるのは、昨今の民主党の行動によって、国民に浸透してきた。
ところが、朝廷から幕府、幕府から維新政府、旧帝国から現政府に政権が変わったときに関しては、官僚も例外を除き入れ替えが起きている。いずれも、長期続いた政権が行き詰まり、崩壊していっている場合であるが、今まさに、その時期を迎えている。
規制緩和や市場開放によって官僚の力をそごうとしているのが自民党や民主党であるが、そんなことをしても官僚ははばかるであろう。唯一の方法は官僚すべてを解雇することである。そうすれば、既得権益をすべて失うことができる。
真の政権交代とは、現在在職している国家公務員を全員解雇することで、統治の構造を変えてしまうことが、本当の政権交代であり、そうでなければ今の行き詰った社会を打破することはできないだろう。
官僚の総入れ替えを公約にした政党が政権をとることでその正当性は保障される。
憲法十五条には「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利」とある。「公務員」とは選挙で選ばれる政治家だけに限定されるものではなく、行政官僚もまた同様である。これを保護するのが国家公務員法で、官僚の身分が政治的事情によって人事を移動することはしてはならないとされている。
国で言えば人事院、自治体で言えば人事委員会がそれを監視するわけであるが、選挙という方法で選ばれた公約、あるいは国民投票によって決定された「官僚全員の罷免」には従わなければならないだろう。憲法は国家公務員法よりも優先する。ただし、真の政権交代には、当然憲法の改正も伴うだろう。
今までの二回の経験すなわち明治維新による幕府転覆と敗戦による大日本帝国の終焉とは違って、武力によらず選挙による血を流さない手段でなければ、本当の幸福追求とはいえない。
そこで実現されるのは、官僚がいなくとも成り立つ政治・経済・社会である。経済優先社会を作り出す資本主義と、官僚独裁国家を作り出す共産主義のいずれをも選択しない、これこそが第三の選択案である。
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