日本障害フォーラム(JDF)が8月30日、記者会見で以下の声明を発表した。
私たちが直接関わったのは昨年からだが、国際的な強力な障害者差別禁止条約を求めた動きは1987年の国連のストックホルム会議だったことを初めて知った。この会議で半数以上を占めた障害者自身がこの障害者権利条約の必要性を主張したということも知った。
日本におけるテレビの字幕放送の拡充の運動も、聴覚障害者自身が長年取り組んで来た。政府と放送局を動かして来たように、これから、社会のあらゆる場において、障害者が人間として生きる権利を保障するようあらたな運動が必要になっている。
ラビット 記
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障害者の権利条約に関する声明―特別委員会での条約草案採択を受けて
国連障害者の権利条約特別委員会は、8月25日に障害者の権利条約草案を採択した。国連では総会のもとに設置された特別委員会で2002年7月以来、障害者の人権を保障するための国際条約を検討してきた。丸4年をかけた作業の成果として条約草案が成立し、9月から開始される第61回国連総会にて年内にも採択される見通しとなったことを受けて、日本の障害者を代表する立場にある日本障害フォーラムとしての声明を発表する。
日本障害フォーラム(JDF)は障害者団体を中心に13団体から構成され、障害者の権利を推進することを目的に設立されたネットワークであり、条約及び関連国内施策に関する政府との意見交換、意見書(日本語、英語)の公表、権利条約推進議員連盟との協力、特別委員会への代表団派遣、特別委員会でのNGOとしての発言、政府代表団への顧問推薦、世界の障害者ネットワークとの協力など、権利条約策定過程に国内外で積極的に参画してきた。
思い起こせば、国際的条約提案が最初になされ、そして否定されたのは1987年だった。1981年の国際障害者年を受けて、1983年から実施されていた「国連障害者の10年」の中間年である1987年に開かれたストックホルム専門家会議において、条約提案が行われたのである。国連の専門家会議として初めて障害者自身が過半数を占めたのが同専門家会議だった。障害者の権利を確立し、差別を撤廃するには、国際条約が必要だという声は、障害者自身から切実に表明されたのである。
20年を経て、国際社会はようやく障害者の権利条約草案をまとめることができた。率直に言って私たちはもっと強力な内容の条約を求めてきたため、これで満足という訳ではない。しかし、障害者を含む誰もが差別されず、完全に参加できる社会を築き上げる取り組みのさらなる一歩として条約草案の採択を今は心から喜びたい。社会にある障壁を除去し、障害者の人権と自由を確保するための国際的な合意が、条約という具体的な形でまもなく実現しようとしているからである。
21世紀初の人権条約となる本条約草案の国連総会での採択に、私たちは大きな期待と関心を抱いている。採択までの条約草案の微調整過程で、いっそう充実した内容とするための努力も行う。そして採択後は国内施策と国際協力への条約の理念の反映ならびに批准と国内履行という大きな課題が待っている。この条約制定と実施は「完全参加と平等」の世界的実現に向けて極めて重要な意義があり、日本障害フォーラムは全力で取り組む覚悟である。
2006年8月30日
日本障害フォーラム(JDF)会長 小川榮一
私たちが直接関わったのは昨年からだが、国際的な強力な障害者差別禁止条約を求めた動きは1987年の国連のストックホルム会議だったことを初めて知った。この会議で半数以上を占めた障害者自身がこの障害者権利条約の必要性を主張したということも知った。
日本におけるテレビの字幕放送の拡充の運動も、聴覚障害者自身が長年取り組んで来た。政府と放送局を動かして来たように、これから、社会のあらゆる場において、障害者が人間として生きる権利を保障するようあらたな運動が必要になっている。
ラビット 記
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障害者の権利条約に関する声明―特別委員会での条約草案採択を受けて
国連障害者の権利条約特別委員会は、8月25日に障害者の権利条約草案を採択した。国連では総会のもとに設置された特別委員会で2002年7月以来、障害者の人権を保障するための国際条約を検討してきた。丸4年をかけた作業の成果として条約草案が成立し、9月から開始される第61回国連総会にて年内にも採択される見通しとなったことを受けて、日本の障害者を代表する立場にある日本障害フォーラムとしての声明を発表する。
日本障害フォーラム(JDF)は障害者団体を中心に13団体から構成され、障害者の権利を推進することを目的に設立されたネットワークであり、条約及び関連国内施策に関する政府との意見交換、意見書(日本語、英語)の公表、権利条約推進議員連盟との協力、特別委員会への代表団派遣、特別委員会でのNGOとしての発言、政府代表団への顧問推薦、世界の障害者ネットワークとの協力など、権利条約策定過程に国内外で積極的に参画してきた。
思い起こせば、国際的条約提案が最初になされ、そして否定されたのは1987年だった。1981年の国際障害者年を受けて、1983年から実施されていた「国連障害者の10年」の中間年である1987年に開かれたストックホルム専門家会議において、条約提案が行われたのである。国連の専門家会議として初めて障害者自身が過半数を占めたのが同専門家会議だった。障害者の権利を確立し、差別を撤廃するには、国際条約が必要だという声は、障害者自身から切実に表明されたのである。
20年を経て、国際社会はようやく障害者の権利条約草案をまとめることができた。率直に言って私たちはもっと強力な内容の条約を求めてきたため、これで満足という訳ではない。しかし、障害者を含む誰もが差別されず、完全に参加できる社会を築き上げる取り組みのさらなる一歩として条約草案の採択を今は心から喜びたい。社会にある障壁を除去し、障害者の人権と自由を確保するための国際的な合意が、条約という具体的な形でまもなく実現しようとしているからである。
21世紀初の人権条約となる本条約草案の国連総会での採択に、私たちは大きな期待と関心を抱いている。採択までの条約草案の微調整過程で、いっそう充実した内容とするための努力も行う。そして採択後は国内施策と国際協力への条約の理念の反映ならびに批准と国内履行という大きな課題が待っている。この条約制定と実施は「完全参加と平等」の世界的実現に向けて極めて重要な意義があり、日本障害フォーラムは全力で取り組む覚悟である。
2006年8月30日
日本障害フォーラム(JDF)会長 小川榮一