■自衛隊人道支援と蘭軍治安維持
安全保障関連法施行により自衛隊による駆け付け警護が可能となりました、発動要件や装備等能力面の課題は多いものの、これまでは超法規措置という判断を第一線部隊指揮官へ突き付けていた状況からは、脱却できた点で評価すべきでしょう。
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自衛隊の駆け付け警護は今回南スーダンへ派遣される第9師団派遣部隊より正式に防衛大臣命令により発令される事となりましたが、2004年5月10日、陸上自衛隊は実質的に超法規措置に近い判断を迫られた事がありました、場所はイラク、戦死者が出ず奇跡的と云われたイラクへの自衛隊派遣の最中、指揮官が超法規措置を迫られる瞬間があったのです。
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前置きしたいのは、イラク派遣において自衛隊の駆けつけ警護事案は発生しませんでした、発動したのは邦人保護法100条のみ。ただ、自衛隊が派遣されたサマーワ、市内の治安維持はオランダ軍が担当し、自衛隊は復興人道支援で派遣されました。自衛隊は多数の装甲車両を派遣しましたが、自衛隊の警護はオランダ軍が担当、ここで一つの可能性があった。
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アメリカを中心とした有志連合によるイラク戦争は、イラク政府機構崩壊後、国境管理の空隙に紛れ込む武装勢力により無政府状態となり、アメリカが中心とした暫定統治機構は正統政府樹立の目途が立たぬまま、イラク戦争の戦災からも脱却できない泥沼が現出した当時、当時の小泉首相が主導してイラク復興人道支援法を制定、自衛隊が派遣されました。
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イラク派遣、しかし毎日のように米軍や英軍が待伏せ攻撃を受け膨大な戦死者を出し、イラク戦争での大規模戦闘での米軍戦死者を二か月間の治安作戦による戦死者が数において上回るという、非対称型戦争の現実を突き付けていた状況、待伏せ攻撃は後方支援部隊や巡回に当たる軽車両を標的とし突発的に文字通り不期遭遇戦が展開、回避は非常に難しい。
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自衛隊は万全の装備を以て派遣されました、96式装輪装甲車には12.7mm重機関銃が大型弾薬箱を装備、軽装甲機動車には市街戦用防盾が追加されたほか、3t半トラックや高機動車には追加防弾板が、部隊は89式小銃と9mm拳銃に加えMINIMI分隊機銃、そして海外派遣では初装備となる対戦車火器110mm個人対戦車弾と84mm無反動砲を携行したほど。
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自衛隊はクウェート集結地から宿営地が設置されるサマーワまで、梯団を組み、軽装甲機動車が側面を、前後を96式装輪装甲車が防護する、接敵行進の隊形に近い陣形で展開しました。この際、周辺部と梯団の防護を担当したのはオランダ軍です。サマーワはイギリス軍統合任務部隊の管区、自衛隊は実質英軍指揮下へ、オランダ軍が防護を担当したかたち。
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オランダ軍ですが冷戦時代は東西冷戦最前線に近く、小さな国力の中で1000両以上のレオパルド2主力戦車を配備しYPR-765装甲車等機械化部隊を編成しました国ですが、低烈度紛争への対応準備は冷戦後急浮上したもので軽装甲車の数は充分ではなく、梯団護衛にはメルセデスクロスカントリー軽野戦車にFN-MAG機銃を搭載し実施、装甲はありません。
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輸送梯団は簡易爆発物IEDの格好の標的となります、IEDは路上からは目立たないガードレール裏側、道路標識のカラーコーン内部に152mm砲弾を隠し、有線無線何れかで管制爆破するものです。実際、数の優勢で無数に仕掛け多数は失敗するも少数が成功し、世界にその“戦果”が報じられる、という事を目的とし、自衛隊も標的となる危険は高かった。
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しかし、懸念されたのは自衛隊の軽装甲機動車とオランダ軍のメルセデスの違いです。オランダ軍には四輪駆動のフェネク装甲偵察車がありますが数は不充分、武装勢力の視点からは一見して装甲車と分かる軽装甲機動車よりも、外見の通り迷彩市販車オランダ軍のメルセデスの方が狙い易い、しかもオランダ軍は自衛隊梯団の外周と先遣を担当、狙い易い。
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サマーワ展開に際して僥倖にして自衛隊梯団は武装勢力の標的となる事はありませんでした。自衛隊は順調に給水支援任務を展開し、復興人道支援を進めてゆきました、4月7日に宿営地へ迫撃砲弾が撃ち込まれる事案が発生しましたが、逆に言えばその程度、イラク全土の戦塵の中では例外的に人道支援を継続できた、無論、絶え間ない信頼構築の成果です。
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ナジャフ市街においてサドル派民兵が大規模な攻勢に転換し、米軍部隊と大規模な衝突が発生したのはこの頃、ナジャフとサマーワは80kmしか離れておらず、80kmといえば距離にして京都から明石の距離、若しくは京都から米原の位置関係にあり、サマーワ市内の治安維持はオランダ軍の管轄でしたが、80km先は文字通り激戦地、状況はいつ悪化するか。
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自衛隊のイラク派遣は、こうした綱渡りの中開始された訳なのですが、仮にクウェートからの自衛隊展開に際し、先遣や梯団の護衛にあたるオランダ軍の車両が攻撃を受けた場合、自衛隊は96式装輪装甲車に車載する12.7mm重機関銃と軽装甲機動車のMINIMI分隊機銃を手に、必要な措置を採る場合、応戦すれば集団的自衛権行使と批判される危惧があり、何が出来たのか、瀬戸際での展開といえるものでした。
北大路機関:はるな くらま
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安全保障関連法施行により自衛隊による駆け付け警護が可能となりました、発動要件や装備等能力面の課題は多いものの、これまでは超法規措置という判断を第一線部隊指揮官へ突き付けていた状況からは、脱却できた点で評価すべきでしょう。
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自衛隊の駆け付け警護は今回南スーダンへ派遣される第9師団派遣部隊より正式に防衛大臣命令により発令される事となりましたが、2004年5月10日、陸上自衛隊は実質的に超法規措置に近い判断を迫られた事がありました、場所はイラク、戦死者が出ず奇跡的と云われたイラクへの自衛隊派遣の最中、指揮官が超法規措置を迫られる瞬間があったのです。
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前置きしたいのは、イラク派遣において自衛隊の駆けつけ警護事案は発生しませんでした、発動したのは邦人保護法100条のみ。ただ、自衛隊が派遣されたサマーワ、市内の治安維持はオランダ軍が担当し、自衛隊は復興人道支援で派遣されました。自衛隊は多数の装甲車両を派遣しましたが、自衛隊の警護はオランダ軍が担当、ここで一つの可能性があった。
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アメリカを中心とした有志連合によるイラク戦争は、イラク政府機構崩壊後、国境管理の空隙に紛れ込む武装勢力により無政府状態となり、アメリカが中心とした暫定統治機構は正統政府樹立の目途が立たぬまま、イラク戦争の戦災からも脱却できない泥沼が現出した当時、当時の小泉首相が主導してイラク復興人道支援法を制定、自衛隊が派遣されました。
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イラク派遣、しかし毎日のように米軍や英軍が待伏せ攻撃を受け膨大な戦死者を出し、イラク戦争での大規模戦闘での米軍戦死者を二か月間の治安作戦による戦死者が数において上回るという、非対称型戦争の現実を突き付けていた状況、待伏せ攻撃は後方支援部隊や巡回に当たる軽車両を標的とし突発的に文字通り不期遭遇戦が展開、回避は非常に難しい。
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自衛隊は万全の装備を以て派遣されました、96式装輪装甲車には12.7mm重機関銃が大型弾薬箱を装備、軽装甲機動車には市街戦用防盾が追加されたほか、3t半トラックや高機動車には追加防弾板が、部隊は89式小銃と9mm拳銃に加えMINIMI分隊機銃、そして海外派遣では初装備となる対戦車火器110mm個人対戦車弾と84mm無反動砲を携行したほど。
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自衛隊はクウェート集結地から宿営地が設置されるサマーワまで、梯団を組み、軽装甲機動車が側面を、前後を96式装輪装甲車が防護する、接敵行進の隊形に近い陣形で展開しました。この際、周辺部と梯団の防護を担当したのはオランダ軍です。サマーワはイギリス軍統合任務部隊の管区、自衛隊は実質英軍指揮下へ、オランダ軍が防護を担当したかたち。
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オランダ軍ですが冷戦時代は東西冷戦最前線に近く、小さな国力の中で1000両以上のレオパルド2主力戦車を配備しYPR-765装甲車等機械化部隊を編成しました国ですが、低烈度紛争への対応準備は冷戦後急浮上したもので軽装甲車の数は充分ではなく、梯団護衛にはメルセデスクロスカントリー軽野戦車にFN-MAG機銃を搭載し実施、装甲はありません。
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輸送梯団は簡易爆発物IEDの格好の標的となります、IEDは路上からは目立たないガードレール裏側、道路標識のカラーコーン内部に152mm砲弾を隠し、有線無線何れかで管制爆破するものです。実際、数の優勢で無数に仕掛け多数は失敗するも少数が成功し、世界にその“戦果”が報じられる、という事を目的とし、自衛隊も標的となる危険は高かった。
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しかし、懸念されたのは自衛隊の軽装甲機動車とオランダ軍のメルセデスの違いです。オランダ軍には四輪駆動のフェネク装甲偵察車がありますが数は不充分、武装勢力の視点からは一見して装甲車と分かる軽装甲機動車よりも、外見の通り迷彩市販車オランダ軍のメルセデスの方が狙い易い、しかもオランダ軍は自衛隊梯団の外周と先遣を担当、狙い易い。
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サマーワ展開に際して僥倖にして自衛隊梯団は武装勢力の標的となる事はありませんでした。自衛隊は順調に給水支援任務を展開し、復興人道支援を進めてゆきました、4月7日に宿営地へ迫撃砲弾が撃ち込まれる事案が発生しましたが、逆に言えばその程度、イラク全土の戦塵の中では例外的に人道支援を継続できた、無論、絶え間ない信頼構築の成果です。
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ナジャフ市街においてサドル派民兵が大規模な攻勢に転換し、米軍部隊と大規模な衝突が発生したのはこの頃、ナジャフとサマーワは80kmしか離れておらず、80kmといえば距離にして京都から明石の距離、若しくは京都から米原の位置関係にあり、サマーワ市内の治安維持はオランダ軍の管轄でしたが、80km先は文字通り激戦地、状況はいつ悪化するか。
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自衛隊のイラク派遣は、こうした綱渡りの中開始された訳なのですが、仮にクウェートからの自衛隊展開に際し、先遣や梯団の護衛にあたるオランダ軍の車両が攻撃を受けた場合、自衛隊は96式装輪装甲車に車載する12.7mm重機関銃と軽装甲機動車のMINIMI分隊機銃を手に、必要な措置を採る場合、応戦すれば集団的自衛権行使と批判される危惧があり、何が出来たのか、瀬戸際での展開といえるものでした。
北大路機関:はるな くらま
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