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【映画講評】A Bridge Too Far/遠すぎた橋(1976)【2】マーケットガーデン作戦の概要

2019-03-13 20:19:48 | 映画
■連合軍空挺軍団vsSS装甲軍団
 現在BSテレビ東京にて放映中の映画"遠すぎた橋"を実況というわけではありませんが、描かれている作戦の概要を示してみました。

 この隊は張り切っているな!ホロックス中将はアイントホーフェン、ナイメーヘン、アーネム、この三箇所を点と線で結ぶ地上部隊の進撃を頭上の空挺部隊を見上げつつ命じる。第30軍団は王立近衛装甲師団、第43歩兵師団、第50歩兵師団を隷下に、北アフリカエルアラメインやチュニジアシチリア戦線、ノルマンディ上陸等で勲功と経験が豊かな部隊だ。

 映画に登場します第82空挺師団と第101空挺師団は現在もアメリカ第3軍団の主力、朝鮮半島有事等我が国周辺事態に際しては最初に投入される部隊の一つ、精鋭部隊です。マーケットガーデン作戦ではアイントホーフェンの北東ゾーン橋ンとフェフヘル橋、グレーヴ橋とナイメーヘン橋を無事制圧します。砲撃を受け破損した橋梁は工兵隊が修理してゆく。

 ベルギーからアイントホーフェンを経てゾーン橋を渡りフェーヘルとグラーヴを通過しナイメーヘン橋梁を渡りアルンヘム橋梁を越えた上で最終到達地域へ至る。計画としては先に空挺部隊が展開しているのだから、順調に通過するだけ、という発想でした。アーカート少将の第1空挺師団は最終確保地域付近に降着しています。逆に言えば孤立している。

 ワシだ!ワシを狙っておる。ヴァルターモーデル元帥は突如展開される空挺作戦に驚きます。こう驚く背景に前述の通り連合軍側の輸送機不足がありまして、橋梁とは13kmを隔て全く無関係な輸送機安全性をのみ考慮した地域へ展開した為です。モーデル元帥にはロンメルに対しイギリスが行った指揮所急襲やムッソリーニ救出作戦を思い出させたのやも。

 初日の9月17日は万事連合軍には上手く行ったと言い切れる。ベルギーから進撃を開始する地域に最寄へ降下した第101空挺師団はフェフヘル橋梁とゾーン橋梁周辺を制圧します。ナイメーヘン付近に降下した第82空挺師団もムース川の橋梁を確保します。上手くといえるのは白昼に降下した事でノルマンディ上陸の際のような広範囲に散らばらなかったこと。

 初日、しかし完全では無かったのはゾーン橋梁周辺とムース川橋梁周辺に展開していたドイツ軍部隊が急遽機械化混成戦闘団を編成し反撃に着手したという点、そして一番遠いアルンヘム周辺には第2SS装甲軍団隷下の第9SS装甲師団が展開、アーネム橋梁確保へ進出したフロスト大隊が苦戦する。輸送機安全だけ考え13kmの遠くに展開した当然の結果だ。

 第二日、中間に位置する第82空挺師団がドイツ軍により空挺堡の攻撃を受ける、ドイツ軍には降下猟兵部隊指揮官経験者が多く空挺堡攻撃の意義を理解していた為で、ゾーン橋梁周辺を確保した第82空挺師団は、橋梁が運河橋と脆弱であった為に砲撃で破壊される。ドイツ軍はゾーン橋梁の他に在ったヴェルヘミーナ運河沿い全ての橋梁を爆破に成功する。

 第二日目はベルギーからアイントホーフェンを経てゾーン橋を渡りフェーヘルと行く前にゾーン橋へ架橋を行うという状況へ、此処で第30軍団は24時間の遅滞、時間と共にオランダ国内は連合軍歓迎の人々で溢れ、皮肉にもこれが第30軍団の道路通行を阻害する事となる。そしてアーネム橋梁へも第9SS装甲師団偵察大隊の威力偵察を受け激戦となります。

 第三日目、ドイツ軍の反撃はティーガー2が参加し本格化します。連合軍はアルンヘム周辺に展開している部隊が戦略予備であるSS装甲軍団である事に気付きます。中間地域である第82空挺師団高価点は既にドイツ軍の猛攻に曝されており、ゾーン橋梁近くに工兵隊が構築した浮橋付近へパンター戦車が進出、第30軍団のファイアフライ戦車と戦車戦が始まる。

 第三日目は最も奥に展開したイギリス軍が本来初日に展開する予定が濃霧に阻まれ進出が遅れたポーランド義勇空挺旅団の増援を受ける事となります。しかし、第1空挺師団長距離無線機は全て故障中で、フロスト大隊が確保している橋梁の対岸にアーカート少将の師団司令部があり、ポーランド義勇空挺旅団の空挺降着地との間に河川という地域障害が。

 第四日目、当初計画では作戦終了の筈でしたが、第82空挺師団はナイメーヘン橋梁を合流に成功した第30軍団支援下で白昼強行渡河という、恐らく世界空挺史上唯一の上陸作戦を決行し多大な犠牲とともに橋梁を奪取します。ドイツ軍指揮官モーデル元帥は橋梁を反攻の要として維持するよう命じていましたが、第一線部隊は爆破を計画、これが阻止できた。

 第四日目のナイメーヘン橋梁激戦は映画の転機の一つとなり、ナイメーヘンからアルンヘムまでは歩兵の徒歩機動でも数時間の距離である為、ドイツ軍の危機感は非常に大きなものでしたが、地形がドイツ軍の味方となります。遮蔽物なき台地で、ドイツ軍対戦車砲が遠距離から第30軍団を攻撃できる条件となっていました。ここで第30軍団は歩兵を待つ。

 第五日目、ベルギー付近即ち攻撃発起点近くの第101空挺師団が側面からパンター戦車による攻撃を散発的に受ける事となる、国道69号線という唯一の進撃路兼補給路が根本で脅かされる。そしてアルンヘム橋梁確保していたフロスト大隊は全く補給が無い中で延々戦闘を続け第五日目にして最後の弾薬を使い果たす、銃剣も手榴弾も使い果たし遂に降伏へ。

 第五日目はアルンヘム橋梁が完全に陥落した事で、その奥に展開した第1空挺師団は完全に孤立する事となります。ポーランド義勇空挺旅団は渡し船にゴムボートまで掻き集め渡河と合流を試みるもその都度砲撃を受け大損害を重ねます。一方、ベルギー近くの第101空挺師団は第30軍団の支援下で国道69号線付近の戦果拡張に成功した事が唯一救いです。

 第六日目、国道69号線は死の街道と呼ばれナイメーヘンとアルンヘム間は孤立街道と連合軍に綽名される事に。アルンヘム橋梁まで指呼の距離に至った第30軍団ですが上掲地形からドイツ軍防御間隙を探り続けるに終始し、第四日目に第82空挺師団と協同し浸透していたらば得られたかもしれない勝機は、二日間でドイツ軍が構築した防御線に阻まれました。

 第六日目に国道69号線が地獄の街道と呼ばれ始めます、これはドイツ軍の側面攻撃が激化しており、暫時補給路が寸断される状況が出始めた為です。ただ、アルンヘム橋梁は健在であり、突破できれば作戦を成功とし得ました。建前上絶対必要な橋梁が無事である事から、作戦が継続されたことが空挺部隊に大量の犠牲を強いた事ともなるのかもしれません。

 第七日目、ベルギーからの攻撃発起点周辺だけは連合軍確保が確たるものとなりましたが、アルンヘム攻勢に当る王立近衛装甲師団が国道69号線側面を衝いたドイツ軍臨時混成装甲戦闘団によりナイメーヘン付近で背後を脅かされる状況となり、第30軍団はアルンヘム正面の部隊を攻撃から拘束に切り替え、ナイメーヘンへ後退させ道路確保を行う事となる。

 第八日目、ジークフリートラインを越えてドイツ軍重戦車大隊の増援が始ります。重戦車大隊はフェーヘル周辺に投入、このままでは第30軍団全体が孤立する危険が生じ、実にアルンヘム橋梁手前1.6kmの地点で作戦中止が決定されます。そして第九日目の9月25日、完全に孤立した第1空挺師団は歩ける要員のみで渡河し脱出、師団は兵員五分の四を失うこととなりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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