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【映画講評】A Bridge Too Far/遠すぎた橋(1976)【1】史上最大の空挺作戦描く超大作

2019-03-12 20:12:00 | 映画
■BSテレ東明日1855全国放映
 遠すぎた橋“A Bridge Too Far”は映画ですが題材とする内容には個人的に教訓と思い当たる事が多く非常に好きな映画です。その作品が明日夕方テレ東衛星放送で放映という。

 遠すぎた橋“A Bridge Too Far”、第二次世界大戦後期のオランダにおける連合軍の大規模攻勢とその失敗を描いた映画で、3月13日にBSテレビ東京にて放映です。1977年、リチャードアッテンボロー監督の戦争映画大作で、BSテレビ東京により放映という事で東京京都は勿論、北海道から沖縄まで視聴できる。衛星放送で名画を全国で共有、好い時代だ。

 遠すぎた橋、欧州の作品はアメリカ映画とは一風変わった個性を有していまして、特に第二次大戦が舞台となれば当事者、英雄譚でも成功自慢でもありません。映画というものは娯楽ではありますが、戦史や歴史を描く作品には歴史の教訓を含むものが多い事もまた事実です。娯楽故に脚色や識者の視座に研究の余地も残るものですが、そこは考証が補う。

 第1空挺団やC-1輸送機等、自衛隊や米軍の行事写真と共に第二次大戦中の映画を振り返るのは若干無理があるよう思えますが、マーケットガーデン作戦が示す作戦立案や攻撃手順に関する教訓は今日にも生かされています。なにより流石に第二次世界大戦は当方も撮影していません故に、現代の防人たちの写真と共に映画を思い浮かべていただければ幸い。

 ロバートレッドフォード、ジーンハックマン、ジェームズカーン、ショーンコネリー、ライアンオニール、エリオットグールド、マイケルケイン、マクシミリアンシェル、アンソニーホプキンス、超大作と云いますと名優が醸し出す世界観に引き込まれるのですが、なにしろ主演級名優が揃って第二次世界大戦の戦いを再現するのですから、その迫力が凄い。

 しかし、超大作が名画として残り得るには相応の理由がありまして、その一つの要素に“遠すぎた橋”が描く作戦が、軍隊という軍事合理性を求められつつ結局のところは官僚組織である集団、組織であっても個々人の個性と意志が不理解のまま意見集約を行った結果、そして数字を無視し効率や成果を希求した冷徹な結果がどうなるか、を示している訳です。

 作戦自体は簡単だ-35000の兵員を敵の背後に降下させる-史上最大の空挺作戦だ。第1空挺軍団副司令官フレデリックブラウニング中将がこう語るところから作戦が始まります。イギリス第1空挺師団、アメリカ第82空挺師団、第101空挺師団を敵の背後に100kmにわたって展開させる、というもの。100kmというと短距離に見えますが、戦争では長い。

 マーケットガーデン作戦、“遠すぎた橋”が描くのはアメリカ人ジャーナリストコーネリアスライアンのノンフィクション小説“遙かなる橋”に描かれた戦いです。高校の世界史が教える通り、1939年に欧州で始まった第二次世界大戦は1940年にはドイツ軍がフランスまで欧州全域を占領し、戦いはソ連本土と北アフリカ、そして1941年に我が国が参戦する。

 史上最大の作戦、として映画化された1944年6月6日の連合軍フランス上陸により、大陸反攻、イギリスを拠点としていた連合国がヨーロッパ本土へと進攻、1944年8月25日にはパリを奪還します。しかし、ここからドイツ本土へ攻め込み戦争を終わらせるのですが、連合軍の進撃が早過ぎ補給が停滞します。ここでパラシュート部隊に打って出させる事に。

 パットンが来るだろう-モントゴメリーが来てくれれば楽だが。ドイツ軍は連合軍ノルマンディー上陸から漸く体勢を立て直し、映画では西方総軍司令官ゲルトフォンルントシュテット元帥とB軍集団司令官ヴァルターモーデル元帥が防衛線建て直しを議論し、ヴィルヘルムビットリヒ親衛隊中将率いる精鋭第2SS装甲軍団を温存する事とします、オランダに。

 バーナードモントゴメリー大将、本作の仕立て人です。ヨーロッパへ上陸した連合軍は米英軍が主力で、イギリス軍指揮官がバーナードモントゴメリー大将、アメリカ軍指揮官がジョージパットン大将、パットン大将は戦史研究に基づく大胆な攻勢を好む指揮官で、モントゴメリー大将は定石を積む手堅い指揮官、連合軍総司令官は二人の個性に悩まされる。

 ジョージパットン大将はイタリア戦線での部下叱咤の責任を問われフランス上陸第一陣から外されますが、連合軍苦戦を受け急遽投入、ファレーズにおいて連合軍包囲殲滅を期すドイツ軍の陽動作戦に乗じた欺瞞行動を採り、逆包囲の上でドイツ軍を大量に撃破する大戦果を挙げます。結果的ですが、モントゴメリー大将はこの行動に急かされた背景が、と。

 連合軍総司令官ドワイライトアイゼンハワー大将は、ドイツ軍によりV-2弾道ミサイルによるロンドン攻撃の激化を背景に政治的要求から、V-2発射基地が置かれるオランダの早期奪還を政治的に要求されます。オランダを奪還したらば、隣接しドイツのルール工業地帯がある、ここを併せて占領すれば戦車も戦闘機も造れなくなり、終戦に追い込めるだろう。

 マーケットガーデン作戦はこうして1944年9月17日に発動します。映画では、この作戦が、戦争をクリスマスまでに終わらせるため、と喩えていますが、先ず無謀さが分かるでしょう、8月25日に漸くパリを奪還したばかり、補給が滞る膠着状態で9月17日に作戦開始です。作戦着想は9月4日、作戦準備は9日から。高校生の期末試験準備並の短さ。

 アントワープ港、連合軍が9月4日にこのベルギーの重要港湾を奪還しまして、それまでは連合軍の補給はまともな港がドイツ軍撤退の際に完全破壊されたシェルブール港しか無く、補給面での頭痛となっていました。アントワープ港奪還はオランダ方面での攻勢に出る為の優位な条件といえますが、作戦は三日間でオランダのドイツ軍を全滅させるという。

 第1空挺軍団副司令官フレデリックブラウニング中将がマーケット作戦司令官に任命されます、映画で演じるのはダークボガード、“ベニスに死す”等で知られる英国俳優です。第2軍第30軍団長ブライアンホロックス中将がガーデン作戦指揮官に。演じるのはエドワードフォックス、“ジャッカルの日”にて冷徹な暗殺者を好演した、刑事フォイルにも出てた。

 過去16回作戦が中止された-今度こそ誰にも止めさせない。ブラウニング中将の台詞。連合軍は、ドイツ軍が本土防衛へ大規模に撤退、オランダに最低限守備戦力を残しライン川まで後退、と分析します。この為にオランダ国内を偵察機により徹底し情報収集します。するとかなり有力な戦車部隊の存在が分り、現地協力者からも大部隊の存在を示唆されます。

 ただ、上記の通りこの作戦は多分に政治的なものですので、強力なドイツ軍はいない、という結果が先に在って事実は後付という。なにやら剛腕経営者の失敗談や官邸官僚忖度と昨今報道にも覚えのありそうな事象がありまして、ドイツ軍戦車部隊の存在を報告した情報将校を左遷させる等遮二無二作戦計画を立てる、当然、連合軍第一線部隊は知りません。

 マーケットガーデン作戦は、オランダ全域の縦貫道路に沿て空挺部隊をパラシュート降下させ一時的に橋梁等重要施設を制圧するマーケット作戦、空挺部隊が占領した縦貫道路に沿って地上を戦車部隊により恒久的に奪還するガーデン作戦、この二つの作戦の総称としてマーケットガーデン作戦という呼称が用いられています。しかし、オランダは狭く無い。

 はっきりさせよう-君はどちらの味方だ?、ポーランド第1独立落下傘旅団長スタニスラウソサボフスキー准将が、空軍の輸送力不足を理由に空挺作戦へ非協力的な条件をイギリス第1空挺団長ロイアーカート少将に列挙する中での反論で、何しろ輸送機1400機とグライダー450機を掻き集めるも当時の輸送機は小型、3個師団輸送へ必要数の半分以下でした。

 大した物量だ-羨ましい。ビットリヒ親衛隊中将が上空に飛来した連合軍大編隊を見上げつつ呟く言葉です、ドイツ軍は完全に航空優勢を喪失している、しかし隷下の第2SS装甲軍団には戦車等重装備が大量に維持、頭上の空挺部隊は当時の輸送機の能力から分かる通り軽装備である、二つの皮肉を含む。そして前提から錯誤を含む空挺作戦が始まる訳です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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