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【映画講評】インディジョーンズ-最後の聖戦(1989)支援と関心を!聖杯遺跡舞台はトルコ地震被災地ハタイ県

2023-02-23 14:11:44 | 映画
■映画を通じて世界を視る
 祭日という事でDVDの映画を観よう!写真は著作権なんかの関係上せいいっぱい適当に出先で撮ったものを代用しているのは温かい目で見守っていてくださいね。

 トルコのハタイ県、震災被害に見舞われているのですが、もう少し日本でも関心を持つべきように思うのです、それは同情や憐憫というような義侠心の押し売りではなく、実際のところ激甚被害を受けましたこのハタイ県という場所は日本でも、映画を通して既知の場所、というところかもしれません。災害の救済ではなく、歴史都市として知ることが重要です。

 インディジョーンズ-最後の聖戦、大学受験シーズンも私立大学入試が激戦となっている頃合いにトルコで発生した地震ですが、20世紀から21世紀にかけて劇場公開からテレビ放映、インディジョーンズ-最後の聖戦をご覧になっていない方はどのくらいいるでしょう。実はこの作品ロケ地はベニスにヴュレスハイムにペトラが挙がりますが、舞台はトルコだ。

 ジョージルーカス製作総指揮とスティーヴンスピルバーグ監督作品という、冒険映画の金字塔ですが、この作品はトルコの、しかし世界史を学ばれていてもここまで踏み込んだことは利かれないような近現代史の狭間を舞台として描いている、その舞台こそが今回地震被害に見舞われたトルコのハタイ県、オスマントルコとトルコ共和国の歴史の幕間が舞台だ。

 イエスキリストの聖杯を巡る考古学者と1930年代から1940年代の世界史を左右したナチス秘密機関との戦い、これを基にした作品で、実際のナチスが、神話を基に民族優位性を強調できないか、と考えたうえでアーネンエルベという機関を構築し、戦争に私情を持ち込むから負けるのだ、と思うのですが、こうした史実が創作の世界観にリアリティをあたえる。

 ペトラ遺跡、ヨルダンの世界遺産であるペトラが撮影ロケ地として有名ですが、映画を丹念に見ていますとハタイ国、という国名が示されます。お恥ずかしいといいますか、調べる手段が限られていた映画初見の頃、私の場合はブラウン管テレビで見た世代ではあるのですが、映画も舞台である1938年という時代を、あまり歴史として学ぶことが日本では少ない。

 ハタイ共和国、聖杯の遺跡が眠るのはトルコ南部、と字幕されたうえでハタイ国という地名が示されます。初見から、いや近代トルコ史について知己と資料を得るまではこの映画の創作の国ではないか、と誤解していたのですが、ハタイ国はオスマントルコの混乱とともにトルコから切り離されそうになるところを踏みとどまった、こうした歴史の狭間の実話です。

 オスマン帝国が第一次世界大戦終戦に際して連合国との間で締結したムドロス休戦協定が結ば れますと、オスマントルコは分割され、小アジア半島までもが各国占領により国家として消滅するかという危機に際し、ケマルアタチュルクを中心に進歩派軍人や知識人が立ち上がり、トルコ独立戦争が勃発、ローザンヌ条約締結により国家を維持したことはまなぶ。

 テキサス、アメリカにおけるテキサスのような位置づけなのかもしれない。テキサスもテキサス合衆国の成立経緯をみると興味深い。こう解釈しますと歴史に詳しい方には少々反感を持たれるかもしれませんが、ムドロス休戦協定により連合国に占領された小アジア半島諸国にあって、この地域はアレクサンドレッタ県であり、フランス軍に占領されています。

 ローザンヌ条約を締結した際にフランスはこの地域を分割する意思を見せますが、この地域はフランス占領下でも特別自治区となっていたが初代大統領となったケマルアタチュルクは、国際連盟に提訴し激しく抗議、するとフランスは占領地の一部がシリアとして独立する際に、この地域も独立を認めることとし、1937年にハタイ国として独立を承認します。

 アレキサンドレッタ、イスケンデルン、インディジョーンズ-最後の聖戦、劇中に話を戻しますと、イエスキリストの聖杯が眠る遺跡への経路の起点はイスケンデルン、地中海沿岸都市で人口は宇治市くらいの、海運か水運の違いはあれども、しかし避暑地であり観光都市という点が共通する街並みの名が出てきます。ここが震災の話に戻しますと被災地という。

 フランス占領下に話を戻しますと、ハタイ国として独立を認めた際に、初の民主選挙を独立国であるにもかかわらずフランス軍政下で行おうとしまして、反発したトルコ政府はトルコ軍派遣に踏み切ります。ただこれは見方を変えれば日清戦争のような印象を受け手によっては持ちえますので、1930年代という歴史の複雑さを理解する必要もあるのですが。

 共和制にこの選挙を以てハタイ国は移行するのですが、現代トルコ独立の父というべきケマルアタチュルクは、このハタイ本土復帰問題を最後まで心にとどめたのちに1938年、この世を去ります。しかし歴史は興味深いもので、ケマルアタチュルクの遺志を継ぐ様にハタイ共和国議会は1939年にトルコとの統合を決意、独立から2年で本土に復帰しました。

 映画のシナリオには登場するのですが、しかし映画が制作された1980年代後半、映画公開は1989年、イスケンデルンは近代化されていましたしロケ地としての交渉が難しかったのでしょうか、ロケ地はトルコ山間部のドイツ軍との戦いをスペインのタベルナス地方、バルジ大作戦のようにスペインではこうした映画が良く撮影される、そしてヨルダンなどで。

 ブルンヴァルト城のロケはドイツ西部の、当時は西ドイツか、ビュレスハイム城で行われましたし、コロラド州のロケは先住民の聖地であるとして反対を受けユタ州アーチーズ国立公園でロケが行われています。まあ、映画で神戸のシーンなのに横浜マリンタワーが映っているようなものですね。ともあれ、ハタイ県をこうして映画の背景として見ている訳です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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