北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

3.11東北地方太平洋沖地震東日本大震災、我が国観測史上最大の巨大地震から五年

2016-03-11 23:20:16 | 北大路機関特別企画
■追悼 3.11
 本日は3月11日、あの歴史に残る3.11から五年目となる追悼と鎮魂の一日です。

 2011年3月11日1446時、東北地方太平洋沖地震が発生しました、北緯38度6分12秒東経142度51分36秒の海上を震源とする巨大地震はマグニチュード9.0という我が国観測史上最大の巨大地震で、本州沖70kmの震源に対して震度7を宮城県栗原市で観測、最大の被害となった大津波は9.3m以上を相馬港で観測、最大遡上高は綾里湾40.1mとなっています。

 東日本大震災として死者15894名、行方不明者2563名という戦後最大の災害となりました。マグニチュード9クラスの巨大地震は世界史にもあまり多くはありません。1700年カスケード地震、1707年宝永地震、1737年カムチャツカ地震、1755年リスボン地震、1833年スマトラ沖地震、1868年チリ・アリカ地震、1952年カムチャツカ地震、1960年チリ地震、1964年アラスカ地震、2004年スマトラ沖地震、と。

 世界史に残るマグニチュード9クラスの巨大地震は過去数百年に渡り歴史地震を紐解いた際にもこの程度であり、我が国の歴史では史上最大規模の富士山噴火と前後した869年貞観地震と南海地震東海地震連動型地震であった1707年の宝永地震と並ぶ規模です。犠牲者は関東大震災程ではなくとも、戦後最大と云われたあの、兵庫県南部地震阪神大震災を上回る。

 東北地方太平洋沖地震は海溝型地震の連動型地震であり、その震源域は南北500km東西200kmという広範な震源の巨大地震となり、従来別々の地震を引き起こした三陸沖中部震源域、宮城県沖震源域、三陸沖南部海溝震源域、福島県沖震源域、茨城県沖震源域、房総沖海溝正断層震源域、これらが一つの破断点を契機として同時に連動する巨大地震となった訳です。

 マグニチュード9という地震波は大気中のマッハ11相当で地球上を5周し、地殻変動や東北太平洋岸の地盤沈下を引き起こすとともに、巨大津波は福島第一原子力発電所事故へと直結します。更に世界の先端技術拠点であり世界有数の金融拠点であると共に世界政治へ多大な影響力を及ぼす日本での大震災とその後の混乱は世界経済へも大きく影響を及ぼし、世界政治への影響も無視できないものであったといえるでしょう。

 仙台市は政令指定都市が巨大津波に襲われる初の事例となり、沿岸部は市街化調整区域であり人口密集地での大被害は限定されたもののそれでも800名以上が亡くなり、津波が沿岸部を蹂躙する様子はNHKにより世界へ中継されました。若林区では区域の60%と宮城野区中野蒲生地区の多くが津波により壊滅しました。名取市では仙台空港が水没すると共に1000名近くが犠牲となられています。

 宮城県では石巻市が、この東日本大震災に置いて最大の3700名もの犠牲者が出ており、都市中心部が沿岸部にあり市街地がリアス式海岸奥に幾つも点在した事で被害が大きくなりました。気仙沼市は大規模な津波火災が発生、わが国有数の漁業拠点では1350名以上が亡くなりました。南三陸町では町役場防災庁舎が津波で破壊され850名以上が犠牲となりました。

 宮城県、女川町は原子力発電所が所在し幸い破壊には至りませんでしたが900名以上が亡くなっています。東松島市は第4航空団の松島基地が冠水した他住民1100名が犠牲に。多賀城市では避難する渋滞が津波に覆われ200名が犠牲となっています。岩沼市、亘理町、山元町、は共に市域の半分近くが水没し1200名近くが犠牲に、松島湾の奥に位置する松島町と塩竈市も市制以来最大の被害を受けました。

 岩手県では三陸地方というリアス式海岸の津波被害が歴史的に多く、それだけ万全の体制を避難準備の基盤があったものの被害は大きく、陸前高田市が高台避難所での犠牲者が多く市街地全域が津波により破壊、犠牲者は実に人口の一割以上に当たる1800名に及んでいます。大槌町も人口の一割以上に当たる1300名近くが亡くなり町役場にて避難指揮を執った町長もなくなりました。

 釜石市、東北有数の製鉄の街でも1100名が亡くなります。山田町では津波火災が発生し750名以上が犠牲に。宮古市では明治三陸地震と昭和三陸地震での甚大な被害を受けて構築された世界最大の防波堤を誇った田老地区防波堤も津波で破壊され500名以上が犠牲となります。大船渡市では、老人福祉施設からの避難が間に合わず全体で400名もの犠牲者が出ました。

 福島県、相馬市で450名、南相馬市で650名、いわき市で350名、浪江町で200人名、新地町で100名と多くの犠牲者が出ましたが、それ以上に福島第一原子力発電所と福島第二原子力発電所を津波が襲い、福島第一原子力発電所事故となりました。我が国初の原子力非常事態、30km圏内が避難命令により無人地帯となりましたが、その際の震災関連犠牲者は甚大な規模となっています。

 政府の無策により原子力防災情報が隠匿され40kmを隔てた飯舘村や60kmもの距離を置く福島市等内陸部へ被曝被害が拡大、白河市から郡山市にかけての県央部では家屋被害が集中しました。そして原子力被害は除染として遅れた初動の損害が長期的に影響を響かせることとなっており、原発そのものについても未だ原子炉撤去作業へ着手する道筋を模索している段階で、その被害は終わっていません。

 青森県では八戸市等で津波被害があり3名が亡くなりました。茨城県でも高萩市、日立市、ひたちなか市、大洗町、神栖市、津波による被害は大きく液状化現象は霞ヶ浦付近に被害を及ぼしました、そして東北三県の被害州壴により復興着手が後回しとされる被害も大きかったといえるでしょう。千葉県でも旭市にて津波犠牲者が少なくなく液状化被害が広範に広がる他、市原市での大規模なコンビナート火災は首都防災の実情を突き付けます。

 東北地方太平洋沖地震が東日本大震災となったそののち、復興計画が中々具現化せず、復興の着手が復旧のひと段落から時間を置いたことで人口の流失という第二段階へ展開しており、その後沿岸部開発を高台移転か沿岸部防波堤か、沿岸部再開発課の指針が定まらず、更に原子力被害と長期の経済停滞から人口移動は本格化しており、発災から五年後を経てもその終着点は見えずに今に至ります。

 その上で、福島第一原子力発電所事故は我が国原子力政策を根本から見直させることとなり、無計画な代替エネルギーとしての従来エネルギー集約は世界の資源価格に大混乱を与え、一部の地域紛争へも影響を与えたと考えられます。その一方で、核燃料を原子炉に残したままの原子炉停止が長期化しており、我が国経済は復興への端緒への重要な段階に置いて片手を縛られる形となってしまいました。

 東海東南海南海トラフ巨大地震、この歴史地震に見出す巨大地震は東日本大震災を契機としてその危険性が再認識される事となたったため、更にその発生が危惧される首都直下型地震と併せ、我が国の国家構造そのものをどのように認識するかを含め暗い影を落としてしまいました。そして、東北地方太平洋沖地震が数十年以内に北海道太平洋沖と北関東沖の海溝型地震へ連動する可能性も残り、我が国は地震列島に位置する事を突き付けています。

 ここまで、あの厳しい震災が我が国に突き付けた鋭い現実ばかりではありますが、幾つかの光明はありました。それは、我が国は災害列島にある故の連帯感と世界との繋がりの縁です。地震は人が生まれる以前にも自然現象として大地を揺らし海が丘を呑みこみましたが、人が大地に営むことで災害という事象となります、故に人が巻き込まれるために、助け合えるのもまた人と人です。その繋がりと連帯を忘れない事が克服する唯一の手段であり、当方個人としてもあの災厄はそうした事を幾度も思い出させてくれたことだけが一筋の希望であり、最後に震災でお亡くなりになられた方々のご冥福を祈りつつ、末尾とさせていただきます。

北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平成二十七年度三月期 陸海... | トップ | 航空防衛作戦部隊論(第三二... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
まさに国難でした (ハリー)
2016-03-12 00:59:05
こんばんわ。
まさに国難、有事でした。
当時、中国が東北に救援の為に人民解放軍を派兵するというニュースを見たときは、脳裏にかわぐちかいじの「太陽の黙示録」が過り、背筋を凍らせたものです。
しかし、あれから5年、いまだ、副首都の選定など政府存続計画は手付かずのまま…。ウェザー山やNECAPとは言いませんので、せめてもう少し取り組んで頂きたいと思います。
返信する
小松左京氏のSF世界 (はるな)
2016-03-17 22:08:11
ハリー 様 こんばんは

当方が思い浮かべたのは、小松左京の「日本沈没」、下巻の近畿広域連動地震の描写でしたね・・・

喉元過ぎれば、という言葉はありますが、東日本大震災を契機に南海トラフ連動地震の危険性が指摘されたものの

原発事故対策の進展なし、冷温冷却中でも核燃料が維持されれば全電源喪失時のリスクは残り、電力会社だけでの対応限界を超えるが、国としての施策は不充分

巨大地震対策の両用車両整備、防災用への水陸両用車への法改正などは着手されず、防災減災を掲げるものの知己的ダメージコントロールの施策はまだ端緒

国難ではありましたが、これが最後ではありませんので、直撃を受けなかった地域は次のM9級地震への備えを怠らないようにする義務があります
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

北大路機関特別企画」カテゴリの最新記事