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北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【5】野戦特科情報科高射特科(2010-10-17)

2020-12-06 20:00:57 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■観閲行進臨む方面隊の重装備
 中部方面隊創隊五〇周年記念祭の観閲行進は待機位置に重厚な火砲やミサイル発射装置が並び始めます。

 FH-70榴弾砲は将来的に19式装輪自走榴弾砲に更新されますが、特科火砲縮小の煽りから方面隊の特科連隊と特科隊を全廃し方面特科連隊に収斂するという。可能ならば中部方面特科隊は、第3特科大隊、第10特科大隊、第13特科隊、第14特科隊、としてほしい。

 FH-70榴弾砲は本土特科近代化の切り札として1979年に欧州共同開発のFH-70を導入決定へ。39口径の長砲身で最大射程39km、半自動装填装置も採用します。高性能ですがM-109自走砲並の費用で欧州では普及せず、小回りが評価され自衛隊は479両を揃えた。

 第10特科連隊第3大隊第6中隊の車列、大隊全部10門は参加していない。豊川駐屯地からの参加です、豊川駐屯地祭では3門の同時空包射撃を行う、しかし15門が配備される第3特科隊の姫路駐屯地祭は会場の広さもあって5門が同時空包射撃を実施、姫路は迫力凄い。

 方面特科連隊に集約運用するならば、なにも19式装輪自走榴弾砲とするまでもなく、99式自走榴弾砲に陸上自衛隊の特科火砲を集約してしまってはどうかと思う。重厚な装備ではあるけれども、その分性能は高く、変に火砲種類を増やすよりは量産効果が期待できる。

 中部方面特科隊は、第3特科大隊、第10特科大隊、第13特科隊、第14特科隊、というのは伝統名称の継承、という意味で。師団に配属される特科大隊は全般支援大隊方式の4個中隊20門、旅団特科隊は縮小編成3故特科中隊15門、として担当大隊毎に配備すべきだ。

 中部方面情報隊の観閲行進、2010年までは移動監視隊となっていた。方面情報隊は隊本部が伊丹に置かれ、今津駐屯地に中部方面移動監視隊と中部方面無人偵察機隊が駐屯しています、2008年に中部方面移動監視隊が創設、この行事の年に情報隊として編成完結に至る。

 JTPS-P23地上監視レーダや衛生単一通信可搬局装置JMRC-C4など。P-23レーダーは高機動車に車載する装備で50km圏内の車両や船舶などを探知し、60目標を自動追尾するという。前型に85式地上レーダ装置、中型トラック車載のものがありP-23はこの後継です。

 FFRS無人偵察機システムが続く、改良型は数百kmを行動範囲としている。無人ヘリコプターで通常の無人機と違いGPSなどに依存しない電波妨害に強い自己完結型装備となっていますが、そのために各種車両7両で無人機を運用する、大げさで巨大な装備となった。

 JTPS-P23地上監視レーダが、方面移動監視隊時代は本部が今津にあったもの。最近はオーストラリア製スキャンイーグル無人偵察機も装備しています、こちらはコンテナ一個で完結していますが、5機と管制装置で20億円、OH-6D観測ヘリコプター5機よりも高価です。

 方面情報隊の移動監視隊任務は沿岸監視任務であり、これは北朝鮮の非正規戦部隊による小型舟艇を用いての沿岸浸透へ対処するもの。ただ、この北朝鮮への浸透対策という実績が結果的に2020年代の中国による沖縄鹿児島周辺での行動監視にも、応用出来ています。

 第1電子隊という電子戦部隊が東千歳駐屯地に北部方面直轄部隊として置かれていまして、通信傍受による超水平線への警戒監視能力を有しています。師団に情報隊が新編される昨今、将来的には中部方面隊等北方以外の方面隊にも電子隊を置くべきなのかもしれません。

 第8高射特科群の観閲行進へ内田昌輝群長を先頭に敬礼へ臨む。兵庫県小野市の青野原駐屯地に駐屯しています、一度いってみたいとおもいましたが、加古川線のダイヤが不便すぎてシャトルバスも二本だけ、周辺の飲食店は弁当屋のみという山間部の駐屯地だった。

 第8高射特科群は高射学校の高射教導隊に続き第一線として最初に03式中距離地対空誘導弾を装備した部隊です。射程50kmで短距離弾道弾にも限定的な迎撃能力を持つ独自のミサイル防衛を整備していますが、政府はイージスアショアを押しつけようとしたのですね。

 自衛隊の野戦防空重視は旧陸軍が制空権を維持できず航空攻撃に散々な打撃を受けた事を受けての編成といえるのですが、その分、冷戦後はアメリカの同盟国で最も濃密な野戦防空基盤を構築する事なり、F-16戦闘機の防空制圧部隊との共同訓練で散々な目に、とも。

 03式中距離地対空誘導弾の観閲行進、巨大な車体の威容が頼もしい。もともとは戦術防空を担っていましたが弾道ミサイル防衛強化に伴い、航空自衛隊の巡航ミサイル防衛の任務を引き継ぎました。現在はこの03式中距離地対空誘導弾改良型の開発が進んでいます。

 中距離多目的誘導弾はレーダー車両と発射装置6両の内2両が参加します。このレーダー車両は意外な程に素早く回転しまして、訓練展示で是非実施してほしいのですが、これを行えるのは中部方面隊管内では青野原駐屯地くらいなのでしょうか。伊丹でも是非、やってほしい。

 中距離多目的誘導弾レーダー車両、収容され走行状態ですが、これが一たび展開しますと迫力は中々言葉では説明できないものです。ちなみにかなり出力が高いらしく、冗談でフル出力を出せば近くの鳥がぱたぱた落ちる、とも。どの程度まで捜索できるかは未公表だ。

 自衛隊のミサイルシステム統合の観点から、海上自衛隊汎用護衛艦に搭載する短射程艦対空ミサイルと統合する案もありましたが、結局仕様で共通化出来ず、海上自衛隊は米軍と同型のESSMミサイルを採用しました。射程は50kmでVLS1セルに4発を搭載できる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【4】機甲科-普通科-特科行進(2010-10-17)

2020-11-22 20:11:48 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■機械化部隊の観閲行進
 観閲行進は重厚な分列行進曲下での徒歩行進が完了すると共に軽快な音楽と共に機械化部隊の観閲行進へ。

 軽装甲機動車、後方には偵察小隊のオートバイが、旧斥候小隊だ。斥候小隊は斥候が敵の有無を計る事にありますが軽装甲機動車が配備され多少の威力偵察が可能となり、3個偵察小隊編成となっています、一部師団には空中機動にあたる第4偵察小隊も編成されている。

 87式偵察警戒車、偵察隊には5両が装備されており威力偵察を担う。ただ、強そうに見えるが機関砲搭載の小型装甲車、この装備で敵の前衛部隊を突破し主陣地の陣容を解明するには無理なようにも。たとえばフランス軍はAMX-10RCを一個連隊72両集中投入する。

 87式偵察警戒車は後継車両として開発中止となった軽装甲機動車派生の軽偵察車がりましたが、現段階では16式機動戦闘車派生の装輪装甲戦闘車を原型とし、後部人員区画の半分を偵察ポールマストに置換え偵察戦闘車とする構想があるという。車体は大型化する事に。

 偵察オートバイが式典会場を周回走行してゆきます。伊丹駐屯地では徒歩部隊と車両部隊の約半数は観閲台前を行進しますとそのまま会場の外に出てしまいますが、一部の車両はこのように一般スタンド席前を行進します、しかしこの来場者、1万5000名に上るという。

 第14普通科連隊の観閲行進、海田英昭連隊長が連隊旗とともに入場へ。連隊は本部管理中隊、4個普通科中隊、重迫撃砲中隊、対戦車中隊から成る。ただ対戦車中隊は79式対舟艇対戦車誘導弾12セット装備する強力部隊ですがこの先2014年師団改編の際に廃止される。

 第10師団隷下の第14普通科連隊は金沢駐屯地に駐屯し北陸を管区とする。一個普通科連隊で福井県と石川県に富山県を担当するため、別名"北陸方面隊"ともいう。鯖江駐屯地と富山駐屯地はありますが旧地区施設隊の第4施設団隷下の施設中隊しか駐屯していません。

 軽装甲機動車、第14普通科連隊第2中隊の車両で2の字だけは真新しい。軽装甲機動車は小松製作所が量産し実に2000両以上が陸上自衛隊と航空自衛隊へ配備されています、量産で2700万円まで製造費用を抑えたことで多数を量産できた軽い車両だが傑作装備の一つ。

 軽装甲機動車、第14普通科連隊第4中隊の車両でここに集中配備されています。軽装甲機動車は一個小銃班を2両に分散させ機動を強化し機銃班と対戦車班を分け運用します、しかし普通科連隊全中隊に軽装甲機動車は配備されず、基本的に一個中隊に集中配備される。

 軽装甲機動車は設計としては成功していますが、実際に運用に供しますと転覆限界の低さから簡単に横転する、一個班に2両を配備する為に運転士と車長が二人づつ必要となり、長距離機動の際に休憩できる人員が限られてしまう、など、成程厳しい声も多い現実が。

 第8普通科連隊の観閲行進、豊留廣志連隊長が連隊旗とともに入場する。師団普通科連隊よりも小型の編成です、が、訓練と装備を共通化させるために、師団も旅団型編成の普通科連隊を採用、旅団は3個普通科連隊、師団は5個普通科連隊の編成を採用してはどうか。

 第13旅団隷下の第8普通科連隊は日本海側の米子駐屯地に駐屯しています。C-2輸送機配備の美保基地の近くでして、第13旅団はこのほか、第17普通科連隊が防府北基地、第46普通科連隊が岩国基地、隷下連隊が全て飛行場近くに駐屯し潜在的に航空展開能力が高い。

 高機動車、第8普通科連隊の第1中隊と第2中隊から小隊規模で行進へ。高機動車は1992年から大量配備が開始されたもので120mmRT重迫撃砲導入と同時に牽引車として用いつつ普通科の中型トラックを置き換える装備として導入、高機動車一両で一個小銃班を運ぶ。

 高機動車、普通科部隊用に三菱重工が機動装甲車という一個小銃班を輸送する装輪装甲車を研究中です。16式機動戦闘車車体を応用の設計で実用化されれば量産効果も期待でき、MRAP耐爆車両としての運用を想定するという。安価に設計できれば、大量配備できるか。

 第8普通科連隊は第2中隊と第3中隊も代表を観閲行進へ参加させました。高機動車は1/4tトレーラを牽引することも可能でして、まず、策源地や集結地に展開し1/4tトレーラを切り離し天幕などを展帳、その上で高機動車により小銃班は行進進入点へ向かう運用をとる。

 トヨタ自動車製高機動車への現場の信頼は厚い。実際整備性の高さや装甲こそないものの、不整地突破能力が高く錯綜地域ではまず発見されず機動力を展開できる、とは現場の声。なお、PKO任務用に装甲と防弾ガラスを装着しましたPKO型というものも存在します。

 第10特科連隊の観閲行進、岡本浩連隊長ではなく第3大隊長が指揮官で式典へ参加することとなりました。師団特科連隊もどこまで維持できるのか、東北方面隊は2020年3月に第6特科連隊と第9特科連隊が統合され東北方面特科連隊となりました、手放して大丈夫か。

 第3大隊長のアップ、当時第10特科連隊は5個大隊12個中隊の編成という。こののちの第10師団改編により第4大隊と第5大隊が廃止され、特科火砲は12個中隊60門から6個中隊30門へ激減、将来的には中部方面特科連隊へ統合、各師団10門程度が割り当てに。

 第10特科連隊第3大隊第5中隊のFH-70榴弾砲、中隊には5門配備される。特科大隊は10門の火砲を装備しますが、第5大隊だけは全般支援大隊ということで4個中隊20門を装備する、105mm砲と155mm砲の時代には第5大隊だけが155mm榴弾砲を装備した。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【3】徒歩部隊の観閲行進(2010-10-17)

2020-11-01 20:01:36 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■信太山37普連&高知50普連
 中部方面隊創隊五〇周年記念祭は陸軍分列行進曲とともに普通科部隊の徒歩行進が進みます。

 第50普通科連隊は2010年3月に高知駐屯地へ移駐した。しかし地元の早い駐屯の要望は厚く、駐屯地完成前には連隊創設記念行事と地元の運動公園で実施したといいまして、地元に愛される連隊という。日本全国では工事により駅前で式典を行った名寄の例がある。

 装甲車両よりもヘリコプターを重点的に自衛隊は配備を続けてきた歴史があるため、考えれば軽量の普通科連隊という部隊編成は軽量さを活かして、即応機動連隊よりも機動力を発揮できるように思います。別に空挺等ではなくともフェリーで迅速に機動できましょう。

 普通科部隊はあらゆる地形と転向を克服する、と説明される唯一の職種です。戦車であっても歩兵部隊に500m以内に接近されると間合いが取りにくくなり150m以内に間合いを詰められますと、対戦車火器により一挙に戦車が不利となります。ある意味凄いのですね。

 一個中隊を広角レンズいっぱいで真横から眺めますとなかなかの人数だ。普通科中隊は陸上自衛隊の戦闘基幹部隊でして、200名規模と縮小編成大隊に近く、本部管理中隊以下、旅団普通科連隊は三個中隊、師団普通科連隊は五個中隊と重迫撃砲中隊を基幹としています。

 第37普通科連隊が連隊長大庭秀明1佐とともに徒歩にて観閲行進へ臨みます。旧陸軍大阪歩兵第37連隊衛戍地と信太山駐屯地からの警備隊区大阪府が重なる事から歩兵第37連隊の愛称、菊水連隊、その名を引き継ぎまして菊水連隊と称されていて、パッチも菊水紋だ。

 菊水連隊。この呼称は後醍醐天皇を奉じて武勲の名が今も響く楠木正成が500名の手勢で10000名の敵、太平記には30万というが流石に、しかし少なくとも20倍の敵を抑えた千早城が大阪府の金剛山地にありまして、この際に掲げた菊水紋を継承したというものです。

 日本史には、無茶な戦いで勝利した事例が。対馬領主宗貞盛が700名の手勢で李氏朝鮮侵略軍30000を撃退してしまった1419年の糠岳の戦い、1592年に島津豊久が朝鮮春川城にて兵力500名で駐屯中に60000万の攻撃を受けたが鉄砲と逆襲部隊を駆使し撃退したなど。

 楠木正成の旗を受け継ぐ第37普通科連隊、大阪唯一の普通科連隊で有ったりもします。この編成は、本部管理中隊、第一中隊、第二中隊、第三中隊、第四中隊、第五中隊、重迫撃砲中隊です。戦略機動師団の様な対戦車中隊は有りませんが普通科中隊に対戦車小隊が。

 政経中枢師団としての第3師団と戦略機動師団としての第10師団、戦略機動旅団である第13旅団と第14旅団、この1990年代の改編は更にこれらすべてを即応近代化師団、即応近代化旅団としましたが編成は共通でなく、今後即応機動旅団や地域配備師団へ改編される。

 地域配備師団は地域を防衛する、移動運用を想定しない師団という事ですが、それでは陸上自衛隊は危急存亡のときにも遊兵を許した旧海軍の戦艦部隊再来となってしまいかねず、地域配備師団も例えば軽装備でも軽量を活かした遠征機動師団のような区分が必要と思う。

 第3偵察隊、戦闘車両らしい一段がこちらへ向かってきます、2021年には第3戦車大隊と統合し偵察戦闘大隊へ改編される。師団から2個中隊の74式戦車が廃止され1個中隊の16式機動戦闘車が配備される。個人的には1個中隊の10式戦車が必要だとおもうのです。

 第3偵察隊の観閲行進。戦闘車両が堅そうな音を響かせる、82式指揮通信車と軽装甲機動車がならぶ。偵察隊は師団の先鋒を担う部隊で、一昔の編成では隊本部以下、斥候小隊2個と電子偵察小隊という編成でした。威力偵察は機関砲を搭載する87式偵察警戒車が担う。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【2】荒川龍太郎総監に敬礼(2010-10-17)

2020-10-18 20:04:14 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■大阪府知事,兵庫県知事の祝辞
 中部方面隊創設50周年記念行事伊丹駐屯地祭がいよいよ開始されました。荒川総監が整列した部隊を巡閲します。

 中部方面総監の担当管区は陸上自衛隊の北部方面隊、東北方面隊、東部方面隊、西部方面隊をふくめた5方面隊でもっとも広い。東海北陸地方、京阪神近畿地方と紀伊地区に山陽山陰地方と中国地方に四国、なるほど地方を列挙するだけでも、その広大さが伝わる。

 訓辞と祝辞。国旗とともに旗衛兵は64式小銃を装備しています。2010年の行事ということで当時は陸上自衛隊で64式小銃が現役でした、支援部隊でもまだ89式小銃が配備されていない時代、数年前までは戦闘部隊でも64式小銃が残っている、そんな時代でした。

 橋下徹大阪府知事の祝辞。橋下府政は、当時これはポピュリズム政党なのか新保守の新しい流れなのかが未知数でした、ただ、この2010年当時は維新系統よりも自民党から政権交代した民主党がポピュリズム政党となっていまして、先進国でも早い時代に経験している。

 橋下府知事の祝辞が続く。民主主義の難点は意見集約と政策立案に政治実行という政治プロセスの正当性と正統性の時間がかかる点、独裁政治は迅速ですが正統性と正当性を欠く、しかしポピュリズムは朝三暮四で民主主義と独裁政治の難点とを包含し支持を集めている。

 井戸兵庫県知事の祝辞。2001年から2020年も知事の要職に。自治官僚、自治官房審議官を経て阪神大震災翌年から兵庫県副知事をつとめ、貝塚兵庫県知事の辞職をうけて選挙により知事となりました。貝塚知事は阪神大震災の自衛隊出動遅れを批判している筆頭です。

 井戸県知事の祝辞が続く。貝塚知事、実は阪神大震災において自衛隊災害派遣要請は県知事の権限であると把握せず、県防災訓練に自衛隊を参加させていなかったことで有名でして災害時優先電話制度も知らず批判され、逆に自衛隊は自主的に出動すべきという論調に。

 観閲行進準備の号令が掛かり方面総監部先任曹長らが一斉に駆け足へ。ところで貝塚知事時代、伊丹駐屯地祭祝辞は京阪神知事もちまわりなのですが、貝塚知事は本人がここで祝辞を述べたことはあるのでしょうか、なにぶん当方も90年代記念行事は知りませんので。

 連隊旗が4振り並びますとなかなかに壮観、観閲行進待機位置へ向かう。方面隊行事ということで、第3師団、第10師団、第13旅団、第14旅団、中部方面隊隷下部隊の師団と旅団から普通科連隊が連隊長と一部の中隊を代表で参加する、という方式を採っています。

 中部方面情報隊の観閲行進準備へ、64式小銃が今となっては懐かしい。新編が2010年というこの部隊ですが2010年代には師団や旅団に情報隊が置かれ、スキャンイーグル無人偵察機を装備する事例も、偵察隊は偵察戦闘大隊に強化され、情報重視時代を迎えている。

 第3特殊武器防護隊の除染車が観閲行進に先立ち高圧で経路に散水する。迫力ある情景で、ただ注意しなければならないのは化学兵器を中和するべく本当に高圧放水なので、目の前に除染車が通過するときには気を付けないとカメラも自分も濡れてしまう、ということ。

 ヘリコプター編隊15機が遥か摩耶の山頂その奥を飛行しています、ここに海上自衛隊ヘリコプターと航空自衛隊ヘリコプターを編隊に加えて後に編隊飛行を披露するのですが、まだしばらく先の祝賀飛行までは伊丹空港航空管制と重ならないよう兵庫の山間部を飛ぶ。

 中部方面音楽隊が入場、隊長酒井伊知郎3佐は東京芸大大学院出身だ。日本では数少ない、音楽だけで生計が成り立つという職業ともいう。大阪市音楽団も行政の無駄として2014年に解散し現在はOSWOとして公益社団法人へ、日本は芸術を理解している方が少なすぎる。

 観閲台の背景を飛行するヘリコプター編隊、流石にこれから始まる観閲行進を前に摩耶山の方角に注目している人はいないようです。薄っすらとヘリコプターの編隊が、しかしAFが機能する程度に見えるという意味は一つ、今日は素晴らしく天気がよい、ということ。

 府県旗入場、伊丹駐屯地ではこの府県旗行進撮影位置を大事にしている。まえは21府県旗が一列に行進しました。中部方面隊管内には2府19県、全国土の30%を担当し、第3師団管区では、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県の府県旗が行進してゆく。

 第3師団管区の府県旗、第10師団府県旗に続いて。第10師団管区では愛知県旗、岐阜県旗、三重県旗、石川県旗、福井県旗、富山県旗が行進する。第3戦車大隊の隊区である滋賀は戦車大隊偵察隊統合により伊丹に移るため、滋賀県が第10師団管区になるのだろうか。

 第13旅団管区の府県旗、第13旅団は方面隊最大の管区を担当しています。第13旅団は、広島県旗、岡山県旗、山口県旗、島根県旗、鳥取県旗、が続きます。第13旅団は自衛隊初の旅団として第13師団から改編、その直後に北朝鮮へ日本海側脅威度が高まった、という。

 第14旅団管区の府県旗、香川県旗に徳島県旗と高知県旗に愛媛県旗が、旅団前身の第2混成団創設までは四国は第13師団の管区であり、この広大な管区を防衛するために第13師団の飛行隊は固定翼機を装備していました。徳島県旗は徳島と明記してありわかりやすい。

 82式指揮通信車3両が並び第3師団藤崎護師団長が敬礼します。伊丹駐屯地の所在する兵庫県伊丹市には少し離れて千僧駐屯地に第3師団司令部が置かれています、また、師団隷下の第36普通科連隊や第3偵察隊などはここ伊丹駐屯地に駐屯し、現代の軍都といえる。

 藤崎師団長は第3師団長に続き中央即応集団司令官へ補職されました。中央即応集団は陸上総隊の創設により幕僚機構を移管する形で解散し隷下部隊を総隊直轄部隊へ移管しています、第1空挺団や中央即応連隊と第1ヘリコプター団など空中機動旅団といえる編成だ。

 藤崎師団長と82式指揮通信車を、複数の無線機と作業机を有する車両です、現代ではデジタル機器用に電源や空間、もう少し容量がほしい。この構図は個人的にらしさがでているとおもいまして、82式指揮通信車数多写真の中でも屈指の出来とおもうのですが、いかが。

 第50普通科連隊の観閲行進、徒歩部隊と機械化部隊という行進のながれで進む。第50普通科連隊は第14普通科連隊に二つ目の普通科連隊として創設、それまでは第15普通科連隊を基幹とした混成団時代の編成延長、その連隊も今や第15即応機動連隊となっています。

 連隊旗とともに敬礼を。第14旅団は第15普通科連隊と第50普通科連隊より編成されますが2018年に旅団は第15普通科連隊を第15即応機動連隊へ改編、第50普通科連隊は在来型の普通科連隊編成となっています。ある意味方面航空隊と協力すれば機動力を高め得る。

 石田和成連隊長、第50普通科連隊は2006年新編で石田連隊長は三代目の連隊長となります。新編は善通寺駐屯地で行われ、高知駐屯地に移駐、以前は沿岸部に第14施設中隊の駐屯地がありましたが連隊駐屯にあわせて高台に大きな駐屯地を造営、高知県からの要望も。

 普通科隊員の徒歩行進、中隊長は9mm拳銃を装備しレッグホルスターに。9mm拳銃P-220を装着しています、通常のホルスターとことなりレッグホルスターは素早い運動にじゃまになりそうな印象で、実際、在来型のベレッタ社製ホルスターなどは素早く抜きやすい。

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【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【1】本日創隊六〇周年祭挙行(2010-10-17)

2020-10-04 20:20:28 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■中部方面隊創隊六〇周年記念
 中部方面隊は創隊六〇周年記念を迎えました。伊丹祭はCOVID-19感染防止により公開されませんでしたがこれを記念して、今回から五〇周年祭の様子をお伝えしましょう。

 軽装甲機動車が待機位置に整列しており第36普通科連隊の隊員が点検へ。伊丹駐屯地中部方面隊記念行事、当方が初めて撮影しましたのは2002年ですのでかなり時を隔てていますが、年々混雑の度合いが増す中で、まずこれから式典が開始される機運を撮影してゆく。

 12.7mm重機関銃を搭載した軽装甲機動車、第5中隊の車両です。軽装甲機動車に中隊本部などが装備している50口径を搭載し訓練している、こうした話は時折耳にしまして空挺団降下訓練始めでもみた、という話は聞いたのですが、実際目に知るのはこの時が初めて。

 12.7mm重機関銃搭載の軽装甲機動車と5.56mm機銃搭載の軽装甲機動車が。この規模の車体に12.7mm機銃を搭載することは世界では普通なのですが、軽装甲機動車では下車戦闘に際して運転士を含め突撃するため、携行しない火器は当初搭載していませんでした。

 連隊旗とともに行進進入点へ集合してゆく隊員たち、式典はもうすぐ。駐屯地記念行事には独特の雰囲気があります、並ぶ小銃に音程をためす音楽隊の響きと待機に行進に休憩という雑多な情景と騒音が一つの活気を醸成し観覧者はその音とともに歩み撮影位置を探す。

 第36普通科連隊の隊員整列開始と整列した軽装甲機動車たち。2002年から中部方面隊へ配備が開始されました軽装甲機動車はイラク派遣においてその高い実用性が証明され、2010年には自衛隊装備を代表する一つとなっていました、安価であり、数がそろえられた。

 中部方面隊創隊50周年、記念の表示を大書しましたオーロラビジョンがひときわ輝く。オーロラビジョンは富士総合火力演習では定番となっていますが、なかなか方面隊行事まで展開することはありません、方面隊の装備ではない、この日が特別だという機運が際だつ。

 撮影位置へ展開、ちょうと記念式典へ向けて部隊が整列位置へと進む。昔は撮影位置を朝一番でスタンド席、としていたものです。スタンド席は視野が高く訓練展示がしっかりとみえます、しかし幾つかの理由で観閲行進を重点的に、撮影位置優先度が変わりました。

 スタンド席の前を部隊付最先任曹長の腕章を付けた衛生科隊員さんが。スタンド席は訓練展示を撮影するには理想的なのですけれども、観閲行進は真横から、会場でいちばん遠い観閲台前をゆくために、多数の車両が画面一杯そろっている、迫力ある構図が撮れません。

 スタンド席と隊員の整列位置への行進、背景のスタンド席は満員だ。スタンド席を断念した理由はもう一つ、この2010年まで数年、近所からの訓練展示での戦車空包射撃の苦情が相次いだようで、肝心の訓練展示が行われなくなってしまった、そんな理由もあったり。

 航空科の隊員が部隊ごと行進して整列へ、情報科とマフラーが似ている。2010年といえば、Weblog北大路機関はまだ創設5年、いまの創設15年よりも随分昔に思えまして、そして自衛隊でも変化を迎え、多種多様な情報を扱うべく、通信科から情報科が独立したのです。

 900名の式典参加隊員が整列した、天気は晴れで式典日よりといえます。行事は雨天ならば泥飛沫をけたてて進む様子が勇壮を際だたせる、とは解説の際に負け惜しみをしているようなものでして、実際には晴れている方が雨具不要でして、撮影しやすくてよいですよね。

 情報科隊員さんだったもよう、部隊旗をみまして気づきました、航空科部隊の部隊旗は青地に白となっていまして、対して情報科の部隊旗は青地に黄だ。自衛隊は冷戦時代から強行偵察へ高速無人機を装備していましたが配備は北海道に限られ2010年代、それが全国へ。

 旗の敬礼、海老茶色は施設科で紺色は武器科と奥の赤色は普通科を示す。旗の敬礼動作は式典への練度がわかります、揃っている式典では特に真横から旗の列を撮影しますと、幾重幾重十重二十重の部隊旗が重なる情景は、下手な戦車の行進よりも凄い迫力があります。

 方面総監の到着、中部方面警務隊の先導とともに乗用車で会場へ。いよいよ式典が開始されるのです。2010年には開門と同時に入場して撮影位置を確保し式典まで二時間と少し、しかし昨今は行事に多くの人が集まりすぎ、開門の一時間前二時間前に並び始めるほど。

 荒川龍太郎陸将、中部方面隊はこの荒川総監とともに翌年3.11に臨む。そう、2010年というのはあの2011年東日本大震災の前年にあたるのですね、当たり前ですがここにいる全員、そんな国家の危機がせまっているとは気づきません、運命は突然やってくる、まさに、ね。

 業務車のなかでも乗用車は将官用でトヨタクラウンを採用しています。業務車といえばセドリックバンが一世を風靡し、昔は自衛官を受験するにはセドリックが高校生自宅まで迎えにきた、募集難の時代もありました。昨今は少子高齢化と予算不足、厳しい時代が続く。

 荒川総監の登壇、2010年といえばあの東日本大震災の前年、そうこの行事が10月なのですから3.11までもう半年ないのですね。この行事撮影の少し前に霞目駐屯地での東北方面隊50周年記念行事を撮影しました、掲載が中断し久しい、あの行事からまもなく10年か。

 総監へ敬礼、中部方面情報隊初代隊長青木義昌1佐が敬礼する。方面情報隊を注目、というわけではないのですが撮影位置から情報隊にご縁があったようで。青木隊長は情報本部出身、情報科の任務は通信科のレーダと機甲科の偵察が分担していたのを包括したもの。

 中部方面後方支援隊長保坂牧1佐が、敬礼を行う。保坂隊長は翌月補給統制本部装備計画部長へ補職されたとのことで、中央で需品管理を行う重職で、そして東日本大震災において前代未聞の原子力防護装備はじめ今日明日必要な装備の計画を担う大変な職場といえる。

 国旗入場。青空に映える日章旗と伊丹市内の駐屯地の広さがわかる。しかし、全体で考えますともう少し広い場所がほしいところです。もっとも管区隊が置かれた当時は総監部が宇治にありこれでは大阪まで遠すぎるとして探した結果、進駐軍から返還のここがあった。

 国旗入場を起立して、国会議員に市町村長に知事に将官に観覧者に。伊丹駐屯地は宇治駐屯地では任務に不便ということで幕僚がジープで空き地を探し回ったという逸話が残るほどでして、大阪城旧軍施設は返還済、伊丹の国連軍施設が返還直後でありここを押さえた。

 巡閲。パジェロの愛称で親しまれる1-1/2tトラックにて荒川総監が整列した隷下部隊の前を、なにしろ2個師団2個旅団の長であり施設団や高射特科群に方面混成団など、その責任の重さはものすごい、管区には京阪神都市圏や名古屋中京都市圏、広島都市圏が続く。

 方面隊隷下部隊指揮官列の奥、総監のパジェロが進んでいます。もう少し隊員列と総監をうまく撮影できる位置、あと15m右手に位置を確保するべきだったのでしょうか、巡閲を撮影するには少々厳しい位置か、しかし観閲行進撮影を考えればここが良い位置とおもう。

 荒川総監が巡閲を終えてこちらに、この中部方面隊記念行事ですけれども、北部方面隊と東部方面隊は方面隊記念行事を一般公開しませんので、総監を間近に、という行事はここ伊丹駐屯地と霞目駐屯地の東北方面隊、そして健軍駐屯地の西部方面隊のみとなります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(6)普通科の戦闘力(2013-04-21)

2020-09-13 20:00:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■第33普通科連隊突撃に前へ
 普通科部隊の訓練展示は特科が敵の動きを圧し込め戦車が敵装甲部隊の動きを封じた、いよいよ普通科の時間がやってきます。

 相互に支援しつつ、一斉伏せる。89式小銃と手榴弾に9mm拳銃、実のところこうしたものが市街地戦闘ではおおきな比重を有する部分もあるのでして、平野部の多くが市街地という日本、専守防衛を考えるならば市街戦を重視し国内の都市に籠もる選択肢も、ある。

 敵弾幕下の交互躍進は危険が伴う、訓練でも手を捻挫しやすいし肩も脱臼しやすい、なにしろ全体重をかけて早駆けから伏せるのですから、手の向きや膝肘の関節を考えて伏せなければ怪我をしてしまう。簡単そうに見えてサバイバルゲームで真似をすると要注意だ。

 車と航空機と伏せ撃ちと躍進機動という、これもまた自衛隊らしい情景が展開される。一方が前進するさなかにもう一方が伏せて射撃を展開し敵を牽制する、陸上戦闘の基本の一つ。地形を読み遮蔽物を探し、相手視点になりその先をつく、普通科というものは奥深い。

 普通科隊員の前進とともに梱包爆薬も展開している。早駆けは教範で20m程度づつ躍進しなければ危険という。そして敵前では最後には匍匐前進だ、肩肘片膝だけを付いて素早く進む第一匍匐、けっこう汚れる場所が偏るのでどんな機動を行ったのかが直ぐにわかる。

 FH-70の空包射撃、眩しい発砲焔とともに障害処理支援射撃だ。白リン弾などで敵陣地を煙覆してしまえば、我がほうの障害処理への危険は大きく減退します、敵に近づいた普通科隊員は第二匍匐という片足腿を着いてもう少し姿勢を低くしつつ敵に迫ってゆく。

 障害処理支援にて89式小銃25丁とMINIMI3丁が一斉に火を噴く、軽火器とはいえこれだけの数がそろえばかなり心強い、そして一部は第三匍匐という腰のあたりと肩肘を着いて更に姿勢を低く前進してゆき、素早く射撃姿勢を採って即座に射撃できるよう油断せず。

 89式小銃もこれだけそろうとなかなかの弾幕を張れる。89式小銃は必要ならば06式小銃擲弾により敵を制圧することも可能、これは小銃銃口に装着し空包ににた擲弾薬筒で発射、300m程度先の目標を制圧させることも可能です、訓練展示では出てきませんけれども、ね。

 M-1破壊筒と梱包爆薬の障害処理への前進だ。M-1破壊筒は鉄条網などを破壊する定番、梱包爆薬は爆薬を文字通り梱包したもので障害物などを爆破することもできますし、地雷原を誘爆させることも。軍隊で一番火薬を使うのは砲兵や戦車より工兵であったりします。

 第一線を超越して施設作業小隊が進む。連隊戦闘団を編成する場合には普通科連隊へ師団施設大隊から施設中隊が配属されることもある、いまは方面施設に集約されていますが、75式装甲ドーザ装置や92式地雷原処理車、一部に施設作業車という便利な装備もあります。

 M-1破壊筒と梱包爆薬、M-1破壊筒は点火をイメージする赤いコードが目立っています。実戦では前述の通り、障害構築は陣地構築と一体となっていますので、これはかなり危険だ、場合によっては遅滞のための障害、というものもあります。陣地は用途により異なる。

 鉄条網にM-1破壊筒を挿入する、実戦ならば大爆発、ということになりますので、設置したらば遮蔽物に素早く隠れなければなりません。もちろん、これを実物でやると周辺のマンション窓ガラスが大変なことになりますから、展示のみ。訓練場も限界はあるのだ。

 障害除去の最中、普通科隊員は匍匐によりじりじりと迫ってゆく、第四匍匐というのがいちばん馴染み有る匍匐、というところか。いや、第四匍匐って朝にお布団から目覚まし時計に向けて這ってゆく姿勢と似ているのですよね、ベッドなどでも地形に対応、寝た姿勢に近い。

 爆破成功、梱包爆薬が地形障害をも啓開した。いよいよ訓練展示は終盤へ向かいます、仮設敵陣地を守る防御線を丸裸にしたのですから、戦車と火砲が支援し、そのまま前進してゆけばよい。もう少し国民理解あれば、こうした長期戦のような戦いを国土で避けられる。

 匍匐前進もいろいろある。第五匍匐は第四匍匐よりも姿勢を低くしていまして、顔面を地面にほとんど着け、もう危機的な少しでも姿勢をあげれば敵の射撃を受ける状況で地面に潜らんがばかりの姿勢でそれでも移動、同じところにいたらば撃たれる状況を回避する。

 FH-70の突撃支援射撃で発砲焔が閃く、やはり発砲焔が写ると達成感があります、初めて撮影に成功したのは2005年、FH-70の空包射撃でした。ちなみに生まれて初めて発砲焔全般の最初の一枚を撮影したのは2005年富士総合火力演習の90式戦車実弾射撃の際でした。

 最終弾落下、地上戦闘の決着をつけるのは陸上戦闘の本質が土地の収奪にある点に帰結し、我が国土を占領した敵を陣地から銃剣で引き吊り出す事にある、攻撃準備射撃の最終弾落下とともに間髪入れず普通科部隊が小銃に銃剣を装着、それこそ一斉になだれ込んでゆく。

 74式戦車が最終弾落下とともに躍進機動を開始した、背景にV-107が、戦車と空中機動、という情景を醸しています。V-107ヘリコプターも自衛隊の一時代を築いたものでして、これはCH-47に置き換わっていますが一回ぐらい久居でCH-47空中機動展示を見てみたい。

 着剣とともに89式小銃を手に間髪入れず立ち上がる、小隊長が先ず範を示し、班長が時機を読みとる。前時代的と思う無かれ、結局のところ無人機がどう発達しようとも、ミサイルの射程が世界を覆うとも、修練する先というものは人の技術、そして胆力、といえる。

 戦車の前進とともに一個小隊が全員射撃を開始した。74式戦車の最高速度は53km/h、しっかりと無限軌道が地面を食い込んで確たる躍動へ展開させ、その上で普通科隊員たちも近接戦闘を担うべく、先ず、射撃態勢をとりつつ、いつの間にか小銃着剣されていますね。

 突撃に前へッ。突撃へ移行します、先ほどの匍匐前進は攻撃発起点へ着実な前進を進めるとともに被我の射撃、我がほうの特科部隊の射撃をも意識したものであり、155mm砲弾の最終弾落下とともに部隊の主導権は特科や施設から普通科が主役という時間を迎えました。

 戦車が鉄条網の残滓を踏みつぶし普通科隊員も我先にと前へ、74式戦車は旧式ではあるのですが、正面装甲の防御力は近接戦闘では今なお強く、対戦車ミサイルなど最低射程距離の内側に入ってしまえば普通科部隊の強靱な防盾役割も果たす、ただ10式戦車も欲しいが。

 74式戦車が射撃する、発砲焔写らず、しかし迫力は凄い、なにしろ左右上下に遠近にと全ての瞬間に状況は躍動へ進んでいるのですから寸秒視点視野を転じている内に久居訓練場の至る所で状況動く、望遠ズームレンズ越しに全てを把握することはもはやできないほど。

 MINIMIと89式小銃とともに隊員は鉄条網を越える、M-1破壊筒で爆破しこじ開けたという想定の地点を、普通科隊員が飛び越えてゆく。これ、一見しますと簡単そうですが、フル装備の普通科隊員の装備と柔らかい足場で長い距離を集中力とともに進まねばならない。

 横隊に広がり敵の抵抗を小銃射撃で破砕してゆく、陣形をくむ様子は古代戦術のような印象でして、一応はガンハンドリングとして訓練を実施しているのですが、知識や思考を省いて習慣として技術を文字通り身につけていなければ、という視点で訓練を積んでいます。

 仮設敵倒れた真上を前進へ、撃った、狙った、撃った、当てた、そして前へ。こうして仮設敵陣地へ小銃小隊がなだれ込んだところで、状況終了となりました。仮設敵を制圧し、当面の敵を撃破した、という想定なのでしょう。訓練場には状況終了のラッパが鳴り響く。

 状況終了、UH-1Jが戻ってきた。ここから駐屯地祭は式典と観閲行進に訓練展示、という一連の流れが終了しまして、そしてこれから訓練展示へ。あけの駐屯地の第10飛行隊よりUH-1J多用途ヘリコプターが広い訓練場へ装備品展示のために舞い降りた、一般公開行う。

 装備品展示のFH-70、ここからは道路を越えて隣接する久居駐屯地にて。久居駐屯地は陸軍歩兵33連隊の兵営跡地に戦後自衛隊が第33普通科連隊をおいていまして、駐屯地の歴史は1907年から百年以上にもわたる歴史を紡いだ。しばし駐屯地の中へ装備品展示を巡る。

 61周年記念行事。2013年のこの日は陸上自衛隊久居駐屯地として創設されてから61周年を迎えることとなりました。全国の師団と旅団隷下には普通科連隊が三個、元混成団は2個、一部は即応機動連隊ですが、配置され、こうした陣容で“その時”に備えているのですね。

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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(5)模擬戦状況展開(2013-04-21)

2020-08-30 20:06:51 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■自衛隊装甲部隊の展開
 第33普通科連隊の訓練展示は機械化部隊の展開へと状況が進んでゆきます。

 96式装輪装甲車を先頭に二両の高機動車が。高機動車には装甲型も海外派遣用に開発されていますがこちらは普通型、ちなみに曳火射撃を受けた場合、96式装輪装甲車ならば人員乗員は無傷ですが高機動車では大変なことになる。遮蔽物への待避も間に合いません。

 装輪装甲車は不整地に強い、泥飛沫とともに進む。高機動車は1200万円、96式装輪装甲車は9600万円、ちなみにアメリカのストライカー装甲車は140万ドルだ。96式装輪装甲車は決して高級な装備や費用ではなく、毎年200両300両配備されても良いとおもった。

 迫撃砲の放列を背景に装甲車は重機関銃の空包射撃を行う、車内からも操作できる。96式装輪装甲車は重機関銃か擲弾銃を搭載する、従って敵の装甲戦闘車と遭遇した際には一方的に駆逐されてしまう。故に戦車や機動戦闘車と連携して、機械化部隊へ対抗している。

 96式装輪装甲車とともによく見れば87式対戦車誘導弾が展開している。87式中MATはレーザー誘導方式、レーザーを敵に照射し発射すると反射光に向けて秒速400mで目標へ命中、2kmであれば5秒で命中し、相手が発煙煙を素早く展開せねば、一発で撃破という。

 下車戦闘へ向けハッチが展開した。89式装甲戦闘車のような大火力と防御力を備えた車両ならば機関砲で相手の反撃を封じ敵陣目の前で最後に下車するのだけれど、軽装甲の装甲車なのだから敵の対戦車ミサイルから遮蔽された遠い場所で下車展開しなければならない。

 高機動車からも下車戦闘へ、高機動車の車上からはMINIMIが映える。ベルギーで設計され豊和工業でライセンス生産されるMINIMIは小銃の5.56mm弾を用いる軽機関銃で、7.62mmの軽機関銃が1800m程度の面制圧が可能だが、こちらは精々650mが射程という。

 普通科隊員が手信号で戦車と協同する、手信号、ハンドサイン、一見古風には見えますが意志が明確に伝わる。なにしろ戦車とともに前進しているのだから早く伏せなければなりませんが、早すぎると敵陣地まで時間が掛かり、相手に防御再構築の時間を与えてしまう。

 高機動車の手前で機銃組が伏せている。FN/MAG機銃やM-240機銃にM-60機銃、世界には7.62mm機銃と5.56mm小銃や分隊機銃を併用する陸軍も多いのですが、自衛隊に続いドイツ連邦軍も7.62mmのMG-3機銃を廃止し5.56mmのMG-5機銃に統合しています。

 装甲車とMINIMIと、そしてM-1破壊筒が見えた。M-1破壊筒、そう、今回の訓練展示では仮設敵が陣地構築を行い、鉄条網など障害構築を行っています、これを破壊するには爆薬詰めたM-1破壊筒で爆破処理しなければなりません、地雷原に人員用通路を啓開できる。

 戦車の手前で小銃班が伏撃ちの姿勢で構えて待つ、鉄条網など障害構築は基本的に地雷原などに防御されるとともに障害に凝集した人員などを掃討できるよう側防火器が設置されていますので、安易に突破しようとしますと甚大な被害が生じ、施設作業小隊が頼り。

 地雷原発見らしい、M-1破壊筒装備の施設作業小隊が装甲車の援護下で前進を開始した、結局、障害処理に破壊筒という手法は、米軍でもストライカー旅団が日米合同演習にて実施していまして、いろいろ新軍事技術があってもほかに手段というものはないのですね。

 早掛けにて小銃小隊も交互に躍進してゆく、装甲戦闘車があれば敵前100mくらいまで機関砲で制圧しつつ一挙に肉薄してしまい、そのまま最後の瞬間だけを下車戦闘、という選択肢もあるのですが、装甲戦闘車がないのだから仕方有りません。しかし、必要だと思う。

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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(4)模擬戦状況開始(2013-04-21)

2020-08-02 20:20:44 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■訓練展示!第33普通科連隊
 久居駐屯地祭は式典を完了し、いよいよ訓練展示模擬戦へと戦車部隊や普通科部隊が展開を開始しました。

 偵察警戒車が25mm機関砲を向ける。74式戦車は機動力と打撃力を重視、フランスAMX-30やドイツレオパルド1、ソ連の-62と同じ。イギリスチーフテンとイスラエルのメルカヴァは防御力と打撃力を重視、スウェーデンのSタンクは防御力と機動力を重視した。

 81mm迫撃砲が高機動車により展開を開始した。よく見ていると次々と車両が展開して各種迫撃砲やミサイルなどを展開してゆく様子が。機動力を考えますと、装甲車などで側面機動や迂回攻撃し機動力で主導権を握りたいところですが、予算の壁と地形の壁が厳しい。

 FH-70の展開が始まる、高機動車などとの絡みがよい、しかし車体3Kとはなんでしょうか、高機動車の後部扉にある3Kという。高機動車と重迫牽引車は、特に迫撃砲の射撃陣地からは直ぐに離れませんと、目立つために暴露する危険があります、素早く待機位置へ。

 120mm重迫撃砲が展開を始め、偽装網も展開されてゆく。射程も威力もおおきな重迫撃砲、相手にとっても高付加価値目標であるため念入りに擬装する。射撃後は敵に標定される前に素早く陣地変換して次の射撃陣地へ向かう。現代戦は文字通り機動力と時間が制する。

 FH-70が展開を完了した。FH-70榴弾砲はイギリスオランダイタリアが国大共同開発を行った1970年代を担う新型砲、ですがこの39口径火砲を大きく上回る野砲はなかなか開発されず、砲兵は命中させる情報処理装置こそが肝要、世界第一線の性能を維持しています。

 発砲、FH-70の空包射撃だ。BB特殊装薬を用いた場合の最大射程は42kmに達する、しかし砲身を痛めるために最大射程30kmと説明さが多い。半自動装填装置により毎分6発の連続射撃が可能という。高性能だがM-109自走砲並に高価で欧州では普及しなかった。

 74式戦車2両がそろって戦闘加入へ。74式戦車は1960年代から始まった戦後第二世代戦車の最終弾、しかし弾道コンピュータを搭載し射撃能力が高く、鋳造装甲と油気圧サスペンションによる地形防御活用により能力は高く、実に873両もの多数が生産されています。

 74式戦車が航空機を背景に進み射撃準備だ。車内は狭い、と説明されますがそれはM-60A3なんかを乗り慣れた人の感想でして乗ってみると意外に空間はある、狭い故に人車一体という戦車兵の鉄則が身にしみて感じる、あの車内でまさに戦闘射撃の準備が進んでいよう。

 短停車刹那空包射撃、発砲炎は写らず。しかしFH-70の上に抜ける音響とは違い、地面を這ってくるような轟音とも衝撃ともとれる迫力が、空包なのにこちらに叩きつける。空包でこの迫力、実弾射撃ならばこの角度と距離だと、鼓膜、日常で想定外を心配してしまう。

 撃破されたBTR-82、まあ、そうなるな。今回仮設敵はT-74戦車のような74式戦車に対抗できるような強力な戦車を持っていなかったため、我が方の74式戦車の一撃で破壊されてしまった。戦車がない側は哀れだが、準備された攻撃というものはえてしてそういうもの。

 FH-70が再度空包射撃、発砲焔は写らず。M-107榴弾を曳火射撃で空中炸裂させた場合、長径45mと短径25mに渡り致命的な有効弾片を散布する。特科火力戦闘では、TOT同時弾着射撃により最初の十秒間で多数の砲弾が落下、遮蔽物へ身を隠す時間はほとんどない。

 疑爆筒が炸裂する。さすがに砲弾、実弾の迫力よりは気分だけ、というもの。この疑爆筒というものは訓練に際して砲弾落下などを再現するものですので、訓練展示にはうってつけの展示ともいえますね。落下音を擬して、直後に破裂する音は結構大きく耳に注意だ。

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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(3)33普連観閲行進(2013-04-21)

2020-07-19 20:09:16 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■観閲行進から訓練展示へ
 第33普通科連隊久居駐屯地創設61周年祭記念行事は観閲行進が続き、同時に訓練展示への準備も進みます。

 本部管理中隊の行進が始まった。様々な車両が並んでいて本部管理中隊は、連隊本部班と通信小隊や施設作業小隊に情報小隊と衛生小隊に補給小隊という、普通科連隊が独立して運用に当たるための細かい気遣い的な小技の聞く装備を一通りそろえている部隊です。

 情報小隊の軽装甲機動車と偵察オートバイ、師団に偵察隊や偵察戦闘大隊などがおかれていますが、斥候や情報収集など普通科連隊が自前の戦闘を展開する上で必要な情報収集を行う部隊です。最近では携帯式無人機などの装備も配備されていて、能力が向上している。

 通信小隊や発煙機3型などが進む。通信小隊は師団に通信大隊が置かれていますが、交換所と合同通信所など大規模な装備は師団へ依存するものの、連隊本部と隷下中隊の指揮系統維持への通信や小規模な電子戦は通信小隊にて実施可能、式典会場の通信も受け持つ。

 発煙機3型、化学科の装備が本部管理中隊の施設作業小隊に配備されています。実は携帯型除染器や94式除染装置なども配備されていまして、主として化学剤による攻撃を受けた場合の自隊除染などは、施設作業小隊でもかなりの部分の任務ができてしまうのですね。

 第10後方支援連隊第1整備大隊第2普通科直接支援中隊の支援車両、こちらは所属はあくまで春日井駐屯地の第10後方支援連隊ですが、駐屯しているのはここ久居駐屯地、後方支援重視の背景には高機動車や軽装甲機動車や重MATなど、整備が大変な装備が増えたため。

 豊川駐屯地からの第10特科連隊のFH-70榴弾砲、2ー4とありますので第2大隊第4中隊の所属とわかる。第10師団の特科連隊、最盛期には全般支援の第5大隊を含む5個大隊へ12個特科中隊が60門並べていましたが、現在は6個中隊30門のFH-70が残るのみ。

 春日井駐屯地からの第10偵察隊、87式偵察警戒車が。第10偵察隊は遠からず第10戦車大隊と統合され、74式戦車2個中隊は全廃され16式機動戦闘車を装備する1個戦闘中隊へ縮小改編、偵察戦闘大隊となる見込みです。2020年代にはもはや74式戦車の居場所は。

 UH-1JやAH-64DにUH-60JAとCH-47,地上には戦車が並ぶ。妙に豪華な編隊ですが、ついに第10飛行隊に配備されたのでは決して無く、明野駐屯地航空学校本校の装備が加わった形、第10飛行隊はUH-1J多用途ヘリコプター、当時はOH-6D観測ヘリコプターのみ。

 今津駐屯地からの第10戦車大隊の参加です。第10戦車大隊も戦略機動師団改編当時には第49普通科連隊新編とあわせ4個中隊60両が配備されていましたが、現在は第49普通科連隊が中部方面混成団へ管理替えとなり、戦車中隊も縮小、2個中隊のみという寂しさ。

 74式戦車2両が観閲行進へ参加しました。戦略機動師団当時は普通科連隊へ戦車中隊と特科大隊を配置し連隊戦闘団を編成していましたが、即応機動連隊改編後は、第2中隊から一個戦車小隊のみが各普通科連隊へ回され、第1中隊は師団長直轄の予備戦力扱いという。

 第10戦車大隊、74式戦車はよくみますと第1中隊と第2中隊から各1両が参加しているもよう。2010年代には流石に第二世代戦車は時代遅れで、なんとか10式戦車の戦車中隊を編入できれば、と。第1戦車大隊は10式戦車と74式戦車の混成編成を採用しています。

 AH-64D戦闘ヘリコプター。AH-1Sの後継として62機が調達予定でしたがミサイル防衛へ費用捻出のために調達が宙に浮き結局13機で調達終了となってしまった自衛隊航空の暗転期における航空機、高価ではあるが戦闘行動半径の大きさから絶対に30機は必要と思う。

 UH-60JA多用途ヘリコプター。第1ヘリコプター団第102飛行隊や第8飛行隊、第12ヘリコプター隊と第15ヘリコプター隊、着実に配備が進んだ航空機ですが、救難機と同等の航法装置を搭載し費用が高く、UH-1Jと二機種混合調達が行われ、今後はUH-2に続く。

 CH-47JA輸送ヘリコプター。陸上自衛隊にとって天恵といえる装備で55機を装備、航空自衛隊も20機を装備しています、駐屯地に飾られているV-107の後継機であり川崎重厚にてライセンス生産されています。こうして観閲行進は祝賀飛行の航過をもって完了した。

 訓練展示開始、銃剣格闘の展示だ。訓練展示はこうした個人技術の展示をおこなったのちに災害派遣展示か野戦訓練展示を実施します。災害派遣展示は重機で木材を動かせたりダンプに積んだりテントを建てたりご飯を炊いたりする、つまり余り見栄えしないのですね。

 銃剣格闘は普通科部隊の近接戦闘最終段階を左右する。訓練展示が野戦なのか災害派遣なのか、2011年東日本大震災から二年目ではありますが、やはり三重県まで出かけたのですから戦車が空包射撃を行い普通科隊員が縦横無尽に走回る様子というものを見てゆきたい。

 89式小銃へ飛び跳ねる泥しぶき。訓練展示がどう言った内容であるのかは、ポスターに描かれることも有れば描かれないこともある。つまりその日までわからない、ということだって有ります。空包射撃は音がすごいので伊丹のように住民反対で実施できないことも。

 格闘展示では芝生に含んだ雨滴が飛沫を上げる。久居駐屯地は初めて訪問した2000年代初頭のお話ですが、訓練展示が災害は剣展示だったこともあり、いや、せっかくだからまだ新車の香り立つ軽装甲機動車から硝煙の様子をみたいのだ、と切に思ったことを思い出す。

 UH-1J多用途ヘリコプターが戦闘訓練展示へ。そう2013年度は訓練展示が野戦訓練展示だったのですね。状況開始です。必要な装備や人員を最前線まで輸送するUH-1Jはみた目以上におおきな能力を秘めた航空機です。富士重工により改良型の国産化がすすみ馴染み。

 UH-1Jからラペリング降下で次々と隊員が降りてゆく。HU-1Bシリーズの航空機を初めて導入したのは1961年、HU-1Bは小型で小銃班半分しか載りませんでしたが、大型化したUH-1H、エンジンをAH-1Sと同型としたUH-1J、そして双発化したUH-2と配備は進む。

 津市の町並みとUH-1Jの対比が面白い。実際問題、アグスタAW-175のような航法性能の高い機種かエアバスEC-725のような縮小小隊や車両を吊れる多用途ヘリコプターが必要だけれどもこれらは全て高価で、部隊数の多い自衛隊には難しい、再編も必要ではないか。

 偵察へ87式偵察警戒車と情報小隊の偵察オートバイが進む。UH-1Jより展開したレンジャーとともに地上からの偵察が本格化する、敵情を探る87式偵察警戒車には25mm機関砲が装備されており、敵前衛と接触し可能ならば突破、全容を探るのが威力偵察というもの。

 BTR-82,仮設敵が応戦する。わが偵察隊の攻撃に装甲車を出して反応を示したことで敵の防御線一端が見え始めたという想定、BTR-82装甲車は重機関銃などを装備する軽装甲車で車高が高いのが特色、速度やエンジン出力や正面装甲の厚さは87式偵察警戒車と同じくらい。

 87式偵察警戒車、背景に並ぶのは74式戦車の車列が続く。74式戦車は第二世代戦車で、当時はまだ高出力小型のエンジンや軽量で強靱な装甲材などの技術が開発されておらず、戦車を構成する攻撃力・機動力・防御力、この三要素の内二つしか満たせない時代のもの。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(2)33普連観閲行進(2013-04-21)

2020-06-28 20:20:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■平成の普通科連隊の観閲行進
 記念式典が完了し行事は静から動へ、観閲行進か開始されました。現代の普通科連隊は高度に機械化され各種重装備等を装備しており次々と行進進入点へ入ります。

 観閲行進、連隊旗掲げた82式指揮通信車が観閲行進の先頭をつとめます。82式装甲車は1970年代に全国高速道路網整備にあわせ軽装甲車として研究された四輪駆動軽装甲車を源流とする車両で、もともと軽装甲車は普通科部隊全般へ広く配備される計画だったという。

 82式指揮通信車の敬礼、箱型車体でしかし車体後部の車高が高いこの設計は、軽装甲車構想が1973年石油危機の狂乱物価と景気後退により潰えた後、設計を活かして全国の普通科連隊本部や特科中隊本部車両として採用された為の設計変更の名残でもあるのですね。

 82式指揮通信車、角度がつけられたM-2重機関銃が勇ましい。82式指揮通信車は232両が生産、また車体を共通とした87式偵察警戒車が90両、そして車体設計を流用した化学防護車が37両生産されていまして、装甲車体系におけるファミリーを構成しています。

 第1中隊が徒歩により観閲行進を行う。1995年までに陸上自衛隊は普通科部隊の全車両化を達成しまして、2008年の青森第9師団即応近代化師団改編をもって普通科部隊へ高機動車配備を完了しまして、第1中隊も平素には高機動車を部隊の機動力として活用している。

 第1中隊の観閲行進とともに式典会場外縁を自衛官候補生たちが進む。久居訓練場の面白いところは観閲行進待機車両と待機列もこうして一望できるところでして、徒歩行進のながいれつをそのまま訓練場の外縁まで長くながく延びている様子も見える、ということ。

 89式小銃には着剣しての観閲行進だ。64式小銃よりは軽量となった事は前述の通りですが、1990年代から小銃が軽量化された分、戦闘防弾チョッキという重い装備品が個人装備に加わりました。長距離の徒歩行軍では、戦闘防弾チョッキは骨身に堪える負担になると言う。

 第2中隊の徒歩行進へ連隊長が敬礼を行う。第2中隊も高機動車を基本装備としています。昭和の時代までは普通科中隊の無反動砲小隊と迫撃砲小隊、そして連隊本部の通信小隊や施設作業小隊と重迫撃砲中隊のみが車両化され、あとは徒歩、という時代が長く続いた。

 敬礼する第3中隊の隊員たち。アメリカ陸軍でも在韓米軍第2歩兵師団は冷戦時代に完全な歩兵師団であったといいますので、峻険地形の続く朝鮮半島や日本列島では一つの最適解だったのか、自衛隊では長距離機動の場合、師団輸送隊からトラック20両を借り受けた。

 自衛官候補生たちの観閲行進を連隊長とともに構図に収める。時代は終身雇用の終焉を迎えているのですが、人件費の問題があるとはいえ、若者の使い捨てとも言いうる曹候補学生制度は、そろそろまた曹候補士制度に戻し、人材を育てる組織へ回帰すべき、とも思う。

 64式小銃にも着剣されている。さて、この着剣した64式小銃、なんとこの銃剣は41cmもある代物でして、刺されたらば実に痛そうなもの。64式小銃は遠距離の歩兵戦闘を志向しつつ、しかし近接戦闘では銃剣の威力を相応に重視、昭和価値観が設計に反映されている。

 軽装甲機動車の観閲行進が。軽装甲機動車は第4中隊に配備されています。もともとは小銃班11名を3両の車両に分乗させ、集合と分散を迅速化させるという自衛隊独自の装甲車観に基づき開発されたもの。前述しましたが、中部方面隊最初の軽装甲機動車部隊がここ。

 第4中隊の軽装甲機動車、第33普通科連隊に軽装甲機動車が配備されたのは2002年、まだMINIMIは配備前、先ず17両が配備され田舎の連隊にピカピカの装甲車が来たために隊員が見学に並び土足厳禁、MINIMIが無く仕方なく銃座に64式小銃を据えたという。

 日章旗と軽装甲機動車とそして背景には後方支援部隊の車両部隊が。軽装甲機動車は車両としてはもう少し車内容積がほしいとか、重心が高すぎて不整地錯綜地形では転覆しやすい、という難点も聞くのですが、運用次第では軽騎兵的な、戦車駆逐車として機能しうる。

 軽装甲機動車を6両広角で。この軽装甲機動車は設計当時、フランスのVBL軽野戦車とドイツのウィーゼル空挺装甲車を参考としたもので、実は装軌式のウィーゼル方式を不整地の多い我が国では推す声も少なくなかったといいますが、戦略機動性はVBL方式が有利だ。

 軽装甲機動車を8両背後から。結局は安価なVBL方式、そして4扉方式が採用、大量生産されたことで一両は2700万円まで下がり破格の安さで大量生産を行うことができました。派生型で車体延長型や、軽偵察車という研究もありましたが、こちらは実現していません。

 重迫撃砲中隊の観閲行進が始まる。フランスのトムソン社製120mmRTが採用し豊和工業によりライセンス生産したもの。フランスは当初、日本は数十門程度の調達にとどまると想定していたようですが結局463門も調達、即応機動連隊所要含めまだ量産は続いている。

 120mm重迫撃砲の車列、先頭を中隊長が敬礼します。120mmRT重迫撃砲の強さは前型のM-2/107mm重迫撃砲の射程が5kmにたいし、新型は通常榴弾で8.1km、射程延伸弾を用いた場合は13kmと軽砲なみの射程を有する点で実際フランスでは砲兵隊の装備という。

 連隊長へ敬礼する重迫撃砲中隊の各車両、ちなみに自衛隊のアシとして定着した高機動車はもともと、この120mmRT重迫撃砲の牽引車として開発されたものです。そして牽引しているのは厳密には高機動車ではなく重迫牽引車、これ、重迫撃砲の備品扱いなのですね。

 2門の120mm重迫撃砲を真横から。トムソン社からライセンス生産を開始したのは1994年でして、このころから自衛隊は定数1000門、特科火砲の削減を検討し始めます。すると対迫撃砲制圧と直掩用の105mm野砲は削減対象となり、そこで重迫撃砲の強化が行われた。

 2門の重迫撃砲は続き行進してゆく。この装備は普通科に不可欠であり、師団普通科連隊では重迫撃砲中隊、旅団普通科連隊には本部管理中隊重迫撃砲小隊、水陸機動団では各中隊に、第1空挺団では空挺特科大隊に、即応機動連隊では火力支援中隊に配備されています。

 対戦車中隊の観閲行進は始まりました。対戦車中隊は第10師団の乙師団から戦略機動師団への改編に際し師団対戦車隊に16セット配備されているのみであった対舟艇対戦車誘導弾を各12セット、普通科連隊の対戦車中隊へ配備し、即応近代化師団改編後も維持される。

 1/2tトラックに搭載される79式対舟艇対戦車誘導弾。HE弾頭とHEAT弾頭を切り替えることで戦車へも上陸用舟艇へも対処できるもので、大物をねらうとあって弾頭重量は33kg、これはBGM-71-TOWミサイルが16kgですから、ものすごい破壊力を付与されているとも。

 重MATを正面から。TOWなどはM-151ジープの車上から射撃できますが、重い重MATは基本的に地上に設置し射撃を行う。一説には緊急時には車上から10発や20発撃っても問題ない、とも聞くのですけれども真偽のほどは定かではありません。真似しないよう。

 重MATは懐かしい106mm無反動砲のような強面が親しめるのですね。昔、普通科中隊の対戦車小隊には106mm無反動砲が4門ありました、現在小隊に87式対戦車誘導弾が装備される、中MATは射程2km、重MATは射程4km、ほかに射程1.6kmの軽MATもある。

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