北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【2】荒川龍太郎総監に敬礼(2010-10-17)

2020-10-18 20:04:14 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■大阪府知事,兵庫県知事の祝辞
 中部方面隊創設50周年記念行事伊丹駐屯地祭がいよいよ開始されました。荒川総監が整列した部隊を巡閲します。

 中部方面総監の担当管区は陸上自衛隊の北部方面隊、東北方面隊、東部方面隊、西部方面隊をふくめた5方面隊でもっとも広い。東海北陸地方、京阪神近畿地方と紀伊地区に山陽山陰地方と中国地方に四国、なるほど地方を列挙するだけでも、その広大さが伝わる。

 訓辞と祝辞。国旗とともに旗衛兵は64式小銃を装備しています。2010年の行事ということで当時は陸上自衛隊で64式小銃が現役でした、支援部隊でもまだ89式小銃が配備されていない時代、数年前までは戦闘部隊でも64式小銃が残っている、そんな時代でした。

 橋下徹大阪府知事の祝辞。橋下府政は、当時これはポピュリズム政党なのか新保守の新しい流れなのかが未知数でした、ただ、この2010年当時は維新系統よりも自民党から政権交代した民主党がポピュリズム政党となっていまして、先進国でも早い時代に経験している。

 橋下府知事の祝辞が続く。民主主義の難点は意見集約と政策立案に政治実行という政治プロセスの正当性と正統性の時間がかかる点、独裁政治は迅速ですが正統性と正当性を欠く、しかしポピュリズムは朝三暮四で民主主義と独裁政治の難点とを包含し支持を集めている。

 井戸兵庫県知事の祝辞。2001年から2020年も知事の要職に。自治官僚、自治官房審議官を経て阪神大震災翌年から兵庫県副知事をつとめ、貝塚兵庫県知事の辞職をうけて選挙により知事となりました。貝塚知事は阪神大震災の自衛隊出動遅れを批判している筆頭です。

 井戸県知事の祝辞が続く。貝塚知事、実は阪神大震災において自衛隊災害派遣要請は県知事の権限であると把握せず、県防災訓練に自衛隊を参加させていなかったことで有名でして災害時優先電話制度も知らず批判され、逆に自衛隊は自主的に出動すべきという論調に。

 観閲行進準備の号令が掛かり方面総監部先任曹長らが一斉に駆け足へ。ところで貝塚知事時代、伊丹駐屯地祭祝辞は京阪神知事もちまわりなのですが、貝塚知事は本人がここで祝辞を述べたことはあるのでしょうか、なにぶん当方も90年代記念行事は知りませんので。

 連隊旗が4振り並びますとなかなかに壮観、観閲行進待機位置へ向かう。方面隊行事ということで、第3師団、第10師団、第13旅団、第14旅団、中部方面隊隷下部隊の師団と旅団から普通科連隊が連隊長と一部の中隊を代表で参加する、という方式を採っています。

 中部方面情報隊の観閲行進準備へ、64式小銃が今となっては懐かしい。新編が2010年というこの部隊ですが2010年代には師団や旅団に情報隊が置かれ、スキャンイーグル無人偵察機を装備する事例も、偵察隊は偵察戦闘大隊に強化され、情報重視時代を迎えている。

 第3特殊武器防護隊の除染車が観閲行進に先立ち高圧で経路に散水する。迫力ある情景で、ただ注意しなければならないのは化学兵器を中和するべく本当に高圧放水なので、目の前に除染車が通過するときには気を付けないとカメラも自分も濡れてしまう、ということ。

 ヘリコプター編隊15機が遥か摩耶の山頂その奥を飛行しています、ここに海上自衛隊ヘリコプターと航空自衛隊ヘリコプターを編隊に加えて後に編隊飛行を披露するのですが、まだしばらく先の祝賀飛行までは伊丹空港航空管制と重ならないよう兵庫の山間部を飛ぶ。

 中部方面音楽隊が入場、隊長酒井伊知郎3佐は東京芸大大学院出身だ。日本では数少ない、音楽だけで生計が成り立つという職業ともいう。大阪市音楽団も行政の無駄として2014年に解散し現在はOSWOとして公益社団法人へ、日本は芸術を理解している方が少なすぎる。

 観閲台の背景を飛行するヘリコプター編隊、流石にこれから始まる観閲行進を前に摩耶山の方角に注目している人はいないようです。薄っすらとヘリコプターの編隊が、しかしAFが機能する程度に見えるという意味は一つ、今日は素晴らしく天気がよい、ということ。

 府県旗入場、伊丹駐屯地ではこの府県旗行進撮影位置を大事にしている。まえは21府県旗が一列に行進しました。中部方面隊管内には2府19県、全国土の30%を担当し、第3師団管区では、京都府、滋賀県、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県の府県旗が行進してゆく。

 第3師団管区の府県旗、第10師団府県旗に続いて。第10師団管区では愛知県旗、岐阜県旗、三重県旗、石川県旗、福井県旗、富山県旗が行進する。第3戦車大隊の隊区である滋賀は戦車大隊偵察隊統合により伊丹に移るため、滋賀県が第10師団管区になるのだろうか。

 第13旅団管区の府県旗、第13旅団は方面隊最大の管区を担当しています。第13旅団は、広島県旗、岡山県旗、山口県旗、島根県旗、鳥取県旗、が続きます。第13旅団は自衛隊初の旅団として第13師団から改編、その直後に北朝鮮へ日本海側脅威度が高まった、という。

 第14旅団管区の府県旗、香川県旗に徳島県旗と高知県旗に愛媛県旗が、旅団前身の第2混成団創設までは四国は第13師団の管区であり、この広大な管区を防衛するために第13師団の飛行隊は固定翼機を装備していました。徳島県旗は徳島と明記してありわかりやすい。

 82式指揮通信車3両が並び第3師団藤崎護師団長が敬礼します。伊丹駐屯地の所在する兵庫県伊丹市には少し離れて千僧駐屯地に第3師団司令部が置かれています、また、師団隷下の第36普通科連隊や第3偵察隊などはここ伊丹駐屯地に駐屯し、現代の軍都といえる。

 藤崎師団長は第3師団長に続き中央即応集団司令官へ補職されました。中央即応集団は陸上総隊の創設により幕僚機構を移管する形で解散し隷下部隊を総隊直轄部隊へ移管しています、第1空挺団や中央即応連隊と第1ヘリコプター団など空中機動旅団といえる編成だ。

 藤崎師団長と82式指揮通信車を、複数の無線機と作業机を有する車両です、現代ではデジタル機器用に電源や空間、もう少し容量がほしい。この構図は個人的にらしさがでているとおもいまして、82式指揮通信車数多写真の中でも屈指の出来とおもうのですが、いかが。

 第50普通科連隊の観閲行進、徒歩部隊と機械化部隊という行進のながれで進む。第50普通科連隊は第14普通科連隊に二つ目の普通科連隊として創設、それまでは第15普通科連隊を基幹とした混成団時代の編成延長、その連隊も今や第15即応機動連隊となっています。

 連隊旗とともに敬礼を。第14旅団は第15普通科連隊と第50普通科連隊より編成されますが2018年に旅団は第15普通科連隊を第15即応機動連隊へ改編、第50普通科連隊は在来型の普通科連隊編成となっています。ある意味方面航空隊と協力すれば機動力を高め得る。

 石田和成連隊長、第50普通科連隊は2006年新編で石田連隊長は三代目の連隊長となります。新編は善通寺駐屯地で行われ、高知駐屯地に移駐、以前は沿岸部に第14施設中隊の駐屯地がありましたが連隊駐屯にあわせて高台に大きな駐屯地を造営、高知県からの要望も。

 普通科隊員の徒歩行進、中隊長は9mm拳銃を装備しレッグホルスターに。9mm拳銃P-220を装着しています、通常のホルスターとことなりレッグホルスターは素早い運動にじゃまになりそうな印象で、実際、在来型のベレッタ社製ホルスターなどは素早く抜きやすい。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】中部方面隊創隊五〇周年記念祭【1】本日創隊六〇周年祭挙行(2010-10-17)

2020-10-04 20:20:28 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■中部方面隊創隊六〇周年記念
 中部方面隊は創隊六〇周年記念を迎えました。伊丹祭はCOVID-19感染防止により公開されませんでしたがこれを記念して、今回から五〇周年祭の様子をお伝えしましょう。

 軽装甲機動車が待機位置に整列しており第36普通科連隊の隊員が点検へ。伊丹駐屯地中部方面隊記念行事、当方が初めて撮影しましたのは2002年ですのでかなり時を隔てていますが、年々混雑の度合いが増す中で、まずこれから式典が開始される機運を撮影してゆく。

 12.7mm重機関銃を搭載した軽装甲機動車、第5中隊の車両です。軽装甲機動車に中隊本部などが装備している50口径を搭載し訓練している、こうした話は時折耳にしまして空挺団降下訓練始めでもみた、という話は聞いたのですが、実際目に知るのはこの時が初めて。

 12.7mm重機関銃搭載の軽装甲機動車と5.56mm機銃搭載の軽装甲機動車が。この規模の車体に12.7mm機銃を搭載することは世界では普通なのですが、軽装甲機動車では下車戦闘に際して運転士を含め突撃するため、携行しない火器は当初搭載していませんでした。

 連隊旗とともに行進進入点へ集合してゆく隊員たち、式典はもうすぐ。駐屯地記念行事には独特の雰囲気があります、並ぶ小銃に音程をためす音楽隊の響きと待機に行進に休憩という雑多な情景と騒音が一つの活気を醸成し観覧者はその音とともに歩み撮影位置を探す。

 第36普通科連隊の隊員整列開始と整列した軽装甲機動車たち。2002年から中部方面隊へ配備が開始されました軽装甲機動車はイラク派遣においてその高い実用性が証明され、2010年には自衛隊装備を代表する一つとなっていました、安価であり、数がそろえられた。

 中部方面隊創隊50周年、記念の表示を大書しましたオーロラビジョンがひときわ輝く。オーロラビジョンは富士総合火力演習では定番となっていますが、なかなか方面隊行事まで展開することはありません、方面隊の装備ではない、この日が特別だという機運が際だつ。

 撮影位置へ展開、ちょうと記念式典へ向けて部隊が整列位置へと進む。昔は撮影位置を朝一番でスタンド席、としていたものです。スタンド席は視野が高く訓練展示がしっかりとみえます、しかし幾つかの理由で観閲行進を重点的に、撮影位置優先度が変わりました。

 スタンド席の前を部隊付最先任曹長の腕章を付けた衛生科隊員さんが。スタンド席は訓練展示を撮影するには理想的なのですけれども、観閲行進は真横から、会場でいちばん遠い観閲台前をゆくために、多数の車両が画面一杯そろっている、迫力ある構図が撮れません。

 スタンド席と隊員の整列位置への行進、背景のスタンド席は満員だ。スタンド席を断念した理由はもう一つ、この2010年まで数年、近所からの訓練展示での戦車空包射撃の苦情が相次いだようで、肝心の訓練展示が行われなくなってしまった、そんな理由もあったり。

 航空科の隊員が部隊ごと行進して整列へ、情報科とマフラーが似ている。2010年といえば、Weblog北大路機関はまだ創設5年、いまの創設15年よりも随分昔に思えまして、そして自衛隊でも変化を迎え、多種多様な情報を扱うべく、通信科から情報科が独立したのです。

 900名の式典参加隊員が整列した、天気は晴れで式典日よりといえます。行事は雨天ならば泥飛沫をけたてて進む様子が勇壮を際だたせる、とは解説の際に負け惜しみをしているようなものでして、実際には晴れている方が雨具不要でして、撮影しやすくてよいですよね。

 情報科隊員さんだったもよう、部隊旗をみまして気づきました、航空科部隊の部隊旗は青地に白となっていまして、対して情報科の部隊旗は青地に黄だ。自衛隊は冷戦時代から強行偵察へ高速無人機を装備していましたが配備は北海道に限られ2010年代、それが全国へ。

 旗の敬礼、海老茶色は施設科で紺色は武器科と奥の赤色は普通科を示す。旗の敬礼動作は式典への練度がわかります、揃っている式典では特に真横から旗の列を撮影しますと、幾重幾重十重二十重の部隊旗が重なる情景は、下手な戦車の行進よりも凄い迫力があります。

 方面総監の到着、中部方面警務隊の先導とともに乗用車で会場へ。いよいよ式典が開始されるのです。2010年には開門と同時に入場して撮影位置を確保し式典まで二時間と少し、しかし昨今は行事に多くの人が集まりすぎ、開門の一時間前二時間前に並び始めるほど。

 荒川龍太郎陸将、中部方面隊はこの荒川総監とともに翌年3.11に臨む。そう、2010年というのはあの2011年東日本大震災の前年にあたるのですね、当たり前ですがここにいる全員、そんな国家の危機がせまっているとは気づきません、運命は突然やってくる、まさに、ね。

 業務車のなかでも乗用車は将官用でトヨタクラウンを採用しています。業務車といえばセドリックバンが一世を風靡し、昔は自衛官を受験するにはセドリックが高校生自宅まで迎えにきた、募集難の時代もありました。昨今は少子高齢化と予算不足、厳しい時代が続く。

 荒川総監の登壇、2010年といえばあの東日本大震災の前年、そうこの行事が10月なのですから3.11までもう半年ないのですね。この行事撮影の少し前に霞目駐屯地での東北方面隊50周年記念行事を撮影しました、掲載が中断し久しい、あの行事からまもなく10年か。

 総監へ敬礼、中部方面情報隊初代隊長青木義昌1佐が敬礼する。方面情報隊を注目、というわけではないのですが撮影位置から情報隊にご縁があったようで。青木隊長は情報本部出身、情報科の任務は通信科のレーダと機甲科の偵察が分担していたのを包括したもの。

 中部方面後方支援隊長保坂牧1佐が、敬礼を行う。保坂隊長は翌月補給統制本部装備計画部長へ補職されたとのことで、中央で需品管理を行う重職で、そして東日本大震災において前代未聞の原子力防護装備はじめ今日明日必要な装備の計画を担う大変な職場といえる。

 国旗入場。青空に映える日章旗と伊丹市内の駐屯地の広さがわかる。しかし、全体で考えますともう少し広い場所がほしいところです。もっとも管区隊が置かれた当時は総監部が宇治にありこれでは大阪まで遠すぎるとして探した結果、進駐軍から返還のここがあった。

 国旗入場を起立して、国会議員に市町村長に知事に将官に観覧者に。伊丹駐屯地は宇治駐屯地では任務に不便ということで幕僚がジープで空き地を探し回ったという逸話が残るほどでして、大阪城旧軍施設は返還済、伊丹の国連軍施設が返還直後でありここを押さえた。

 巡閲。パジェロの愛称で親しまれる1-1/2tトラックにて荒川総監が整列した隷下部隊の前を、なにしろ2個師団2個旅団の長であり施設団や高射特科群に方面混成団など、その責任の重さはものすごい、管区には京阪神都市圏や名古屋中京都市圏、広島都市圏が続く。

 方面隊隷下部隊指揮官列の奥、総監のパジェロが進んでいます。もう少し隊員列と総監をうまく撮影できる位置、あと15m右手に位置を確保するべきだったのでしょうか、巡閲を撮影するには少々厳しい位置か、しかし観閲行進撮影を考えればここが良い位置とおもう。

 荒川総監が巡閲を終えてこちらに、この中部方面隊記念行事ですけれども、北部方面隊と東部方面隊は方面隊記念行事を一般公開しませんので、総監を間近に、という行事はここ伊丹駐屯地と霞目駐屯地の東北方面隊、そして健軍駐屯地の西部方面隊のみとなります。

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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(6)普通科の戦闘力(2013-04-21)

2020-09-13 20:00:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■第33普通科連隊突撃に前へ
 普通科部隊の訓練展示は特科が敵の動きを圧し込め戦車が敵装甲部隊の動きを封じた、いよいよ普通科の時間がやってきます。

 相互に支援しつつ、一斉伏せる。89式小銃と手榴弾に9mm拳銃、実のところこうしたものが市街地戦闘ではおおきな比重を有する部分もあるのでして、平野部の多くが市街地という日本、専守防衛を考えるならば市街戦を重視し国内の都市に籠もる選択肢も、ある。

 敵弾幕下の交互躍進は危険が伴う、訓練でも手を捻挫しやすいし肩も脱臼しやすい、なにしろ全体重をかけて早駆けから伏せるのですから、手の向きや膝肘の関節を考えて伏せなければ怪我をしてしまう。簡単そうに見えてサバイバルゲームで真似をすると要注意だ。

 車と航空機と伏せ撃ちと躍進機動という、これもまた自衛隊らしい情景が展開される。一方が前進するさなかにもう一方が伏せて射撃を展開し敵を牽制する、陸上戦闘の基本の一つ。地形を読み遮蔽物を探し、相手視点になりその先をつく、普通科というものは奥深い。

 普通科隊員の前進とともに梱包爆薬も展開している。早駆けは教範で20m程度づつ躍進しなければ危険という。そして敵前では最後には匍匐前進だ、肩肘片膝だけを付いて素早く進む第一匍匐、けっこう汚れる場所が偏るのでどんな機動を行ったのかが直ぐにわかる。

 FH-70の空包射撃、眩しい発砲焔とともに障害処理支援射撃だ。白リン弾などで敵陣地を煙覆してしまえば、我がほうの障害処理への危険は大きく減退します、敵に近づいた普通科隊員は第二匍匐という片足腿を着いてもう少し姿勢を低くしつつ敵に迫ってゆく。

 障害処理支援にて89式小銃25丁とMINIMI3丁が一斉に火を噴く、軽火器とはいえこれだけの数がそろえばかなり心強い、そして一部は第三匍匐という腰のあたりと肩肘を着いて更に姿勢を低く前進してゆき、素早く射撃姿勢を採って即座に射撃できるよう油断せず。

 89式小銃もこれだけそろうとなかなかの弾幕を張れる。89式小銃は必要ならば06式小銃擲弾により敵を制圧することも可能、これは小銃銃口に装着し空包ににた擲弾薬筒で発射、300m程度先の目標を制圧させることも可能です、訓練展示では出てきませんけれども、ね。

 M-1破壊筒と梱包爆薬の障害処理への前進だ。M-1破壊筒は鉄条網などを破壊する定番、梱包爆薬は爆薬を文字通り梱包したもので障害物などを爆破することもできますし、地雷原を誘爆させることも。軍隊で一番火薬を使うのは砲兵や戦車より工兵であったりします。

 第一線を超越して施設作業小隊が進む。連隊戦闘団を編成する場合には普通科連隊へ師団施設大隊から施設中隊が配属されることもある、いまは方面施設に集約されていますが、75式装甲ドーザ装置や92式地雷原処理車、一部に施設作業車という便利な装備もあります。

 M-1破壊筒と梱包爆薬、M-1破壊筒は点火をイメージする赤いコードが目立っています。実戦では前述の通り、障害構築は陣地構築と一体となっていますので、これはかなり危険だ、場合によっては遅滞のための障害、というものもあります。陣地は用途により異なる。

 鉄条網にM-1破壊筒を挿入する、実戦ならば大爆発、ということになりますので、設置したらば遮蔽物に素早く隠れなければなりません。もちろん、これを実物でやると周辺のマンション窓ガラスが大変なことになりますから、展示のみ。訓練場も限界はあるのだ。

 障害除去の最中、普通科隊員は匍匐によりじりじりと迫ってゆく、第四匍匐というのがいちばん馴染み有る匍匐、というところか。いや、第四匍匐って朝にお布団から目覚まし時計に向けて這ってゆく姿勢と似ているのですよね、ベッドなどでも地形に対応、寝た姿勢に近い。

 爆破成功、梱包爆薬が地形障害をも啓開した。いよいよ訓練展示は終盤へ向かいます、仮設敵陣地を守る防御線を丸裸にしたのですから、戦車と火砲が支援し、そのまま前進してゆけばよい。もう少し国民理解あれば、こうした長期戦のような戦いを国土で避けられる。

 匍匐前進もいろいろある。第五匍匐は第四匍匐よりも姿勢を低くしていまして、顔面を地面にほとんど着け、もう危機的な少しでも姿勢をあげれば敵の射撃を受ける状況で地面に潜らんがばかりの姿勢でそれでも移動、同じところにいたらば撃たれる状況を回避する。

 FH-70の突撃支援射撃で発砲焔が閃く、やはり発砲焔が写ると達成感があります、初めて撮影に成功したのは2005年、FH-70の空包射撃でした。ちなみに生まれて初めて発砲焔全般の最初の一枚を撮影したのは2005年富士総合火力演習の90式戦車実弾射撃の際でした。

 最終弾落下、地上戦闘の決着をつけるのは陸上戦闘の本質が土地の収奪にある点に帰結し、我が国土を占領した敵を陣地から銃剣で引き吊り出す事にある、攻撃準備射撃の最終弾落下とともに間髪入れず普通科部隊が小銃に銃剣を装着、それこそ一斉になだれ込んでゆく。

 74式戦車が最終弾落下とともに躍進機動を開始した、背景にV-107が、戦車と空中機動、という情景を醸しています。V-107ヘリコプターも自衛隊の一時代を築いたものでして、これはCH-47に置き換わっていますが一回ぐらい久居でCH-47空中機動展示を見てみたい。

 着剣とともに89式小銃を手に間髪入れず立ち上がる、小隊長が先ず範を示し、班長が時機を読みとる。前時代的と思う無かれ、結局のところ無人機がどう発達しようとも、ミサイルの射程が世界を覆うとも、修練する先というものは人の技術、そして胆力、といえる。

 戦車の前進とともに一個小隊が全員射撃を開始した。74式戦車の最高速度は53km/h、しっかりと無限軌道が地面を食い込んで確たる躍動へ展開させ、その上で普通科隊員たちも近接戦闘を担うべく、先ず、射撃態勢をとりつつ、いつの間にか小銃着剣されていますね。

 突撃に前へッ。突撃へ移行します、先ほどの匍匐前進は攻撃発起点へ着実な前進を進めるとともに被我の射撃、我がほうの特科部隊の射撃をも意識したものであり、155mm砲弾の最終弾落下とともに部隊の主導権は特科や施設から普通科が主役という時間を迎えました。

 戦車が鉄条網の残滓を踏みつぶし普通科隊員も我先にと前へ、74式戦車は旧式ではあるのですが、正面装甲の防御力は近接戦闘では今なお強く、対戦車ミサイルなど最低射程距離の内側に入ってしまえば普通科部隊の強靱な防盾役割も果たす、ただ10式戦車も欲しいが。

 74式戦車が射撃する、発砲焔写らず、しかし迫力は凄い、なにしろ左右上下に遠近にと全ての瞬間に状況は躍動へ進んでいるのですから寸秒視点視野を転じている内に久居訓練場の至る所で状況動く、望遠ズームレンズ越しに全てを把握することはもはやできないほど。

 MINIMIと89式小銃とともに隊員は鉄条網を越える、M-1破壊筒で爆破しこじ開けたという想定の地点を、普通科隊員が飛び越えてゆく。これ、一見しますと簡単そうですが、フル装備の普通科隊員の装備と柔らかい足場で長い距離を集中力とともに進まねばならない。

 横隊に広がり敵の抵抗を小銃射撃で破砕してゆく、陣形をくむ様子は古代戦術のような印象でして、一応はガンハンドリングとして訓練を実施しているのですが、知識や思考を省いて習慣として技術を文字通り身につけていなければ、という視点で訓練を積んでいます。

 仮設敵倒れた真上を前進へ、撃った、狙った、撃った、当てた、そして前へ。こうして仮設敵陣地へ小銃小隊がなだれ込んだところで、状況終了となりました。仮設敵を制圧し、当面の敵を撃破した、という想定なのでしょう。訓練場には状況終了のラッパが鳴り響く。

 状況終了、UH-1Jが戻ってきた。ここから駐屯地祭は式典と観閲行進に訓練展示、という一連の流れが終了しまして、そしてこれから訓練展示へ。あけの駐屯地の第10飛行隊よりUH-1J多用途ヘリコプターが広い訓練場へ装備品展示のために舞い降りた、一般公開行う。

 装備品展示のFH-70、ここからは道路を越えて隣接する久居駐屯地にて。久居駐屯地は陸軍歩兵33連隊の兵営跡地に戦後自衛隊が第33普通科連隊をおいていまして、駐屯地の歴史は1907年から百年以上にもわたる歴史を紡いだ。しばし駐屯地の中へ装備品展示を巡る。

 61周年記念行事。2013年のこの日は陸上自衛隊久居駐屯地として創設されてから61周年を迎えることとなりました。全国の師団と旅団隷下には普通科連隊が三個、元混成団は2個、一部は即応機動連隊ですが、配置され、こうした陣容で“その時”に備えているのですね。

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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(5)模擬戦状況展開(2013-04-21)

2020-08-30 20:06:51 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■自衛隊装甲部隊の展開
 第33普通科連隊の訓練展示は機械化部隊の展開へと状況が進んでゆきます。

 96式装輪装甲車を先頭に二両の高機動車が。高機動車には装甲型も海外派遣用に開発されていますがこちらは普通型、ちなみに曳火射撃を受けた場合、96式装輪装甲車ならば人員乗員は無傷ですが高機動車では大変なことになる。遮蔽物への待避も間に合いません。

 装輪装甲車は不整地に強い、泥飛沫とともに進む。高機動車は1200万円、96式装輪装甲車は9600万円、ちなみにアメリカのストライカー装甲車は140万ドルだ。96式装輪装甲車は決して高級な装備や費用ではなく、毎年200両300両配備されても良いとおもった。

 迫撃砲の放列を背景に装甲車は重機関銃の空包射撃を行う、車内からも操作できる。96式装輪装甲車は重機関銃か擲弾銃を搭載する、従って敵の装甲戦闘車と遭遇した際には一方的に駆逐されてしまう。故に戦車や機動戦闘車と連携して、機械化部隊へ対抗している。

 96式装輪装甲車とともによく見れば87式対戦車誘導弾が展開している。87式中MATはレーザー誘導方式、レーザーを敵に照射し発射すると反射光に向けて秒速400mで目標へ命中、2kmであれば5秒で命中し、相手が発煙煙を素早く展開せねば、一発で撃破という。

 下車戦闘へ向けハッチが展開した。89式装甲戦闘車のような大火力と防御力を備えた車両ならば機関砲で相手の反撃を封じ敵陣目の前で最後に下車するのだけれど、軽装甲の装甲車なのだから敵の対戦車ミサイルから遮蔽された遠い場所で下車展開しなければならない。

 高機動車からも下車戦闘へ、高機動車の車上からはMINIMIが映える。ベルギーで設計され豊和工業でライセンス生産されるMINIMIは小銃の5.56mm弾を用いる軽機関銃で、7.62mmの軽機関銃が1800m程度の面制圧が可能だが、こちらは精々650mが射程という。

 普通科隊員が手信号で戦車と協同する、手信号、ハンドサイン、一見古風には見えますが意志が明確に伝わる。なにしろ戦車とともに前進しているのだから早く伏せなければなりませんが、早すぎると敵陣地まで時間が掛かり、相手に防御再構築の時間を与えてしまう。

 高機動車の手前で機銃組が伏せている。FN/MAG機銃やM-240機銃にM-60機銃、世界には7.62mm機銃と5.56mm小銃や分隊機銃を併用する陸軍も多いのですが、自衛隊に続いドイツ連邦軍も7.62mmのMG-3機銃を廃止し5.56mmのMG-5機銃に統合しています。

 装甲車とMINIMIと、そしてM-1破壊筒が見えた。M-1破壊筒、そう、今回の訓練展示では仮設敵が陣地構築を行い、鉄条網など障害構築を行っています、これを破壊するには爆薬詰めたM-1破壊筒で爆破処理しなければなりません、地雷原に人員用通路を啓開できる。

 戦車の手前で小銃班が伏撃ちの姿勢で構えて待つ、鉄条網など障害構築は基本的に地雷原などに防御されるとともに障害に凝集した人員などを掃討できるよう側防火器が設置されていますので、安易に突破しようとしますと甚大な被害が生じ、施設作業小隊が頼り。

 地雷原発見らしい、M-1破壊筒装備の施設作業小隊が装甲車の援護下で前進を開始した、結局、障害処理に破壊筒という手法は、米軍でもストライカー旅団が日米合同演習にて実施していまして、いろいろ新軍事技術があってもほかに手段というものはないのですね。

 早掛けにて小銃小隊も交互に躍進してゆく、装甲戦闘車があれば敵前100mくらいまで機関砲で制圧しつつ一挙に肉薄してしまい、そのまま最後の瞬間だけを下車戦闘、という選択肢もあるのですが、装甲戦闘車がないのだから仕方有りません。しかし、必要だと思う。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(4)模擬戦状況開始(2013-04-21)

2020-08-02 20:20:44 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■訓練展示!第33普通科連隊
 久居駐屯地祭は式典を完了し、いよいよ訓練展示模擬戦へと戦車部隊や普通科部隊が展開を開始しました。

 偵察警戒車が25mm機関砲を向ける。74式戦車は機動力と打撃力を重視、フランスAMX-30やドイツレオパルド1、ソ連の-62と同じ。イギリスチーフテンとイスラエルのメルカヴァは防御力と打撃力を重視、スウェーデンのSタンクは防御力と機動力を重視した。

 81mm迫撃砲が高機動車により展開を開始した。よく見ていると次々と車両が展開して各種迫撃砲やミサイルなどを展開してゆく様子が。機動力を考えますと、装甲車などで側面機動や迂回攻撃し機動力で主導権を握りたいところですが、予算の壁と地形の壁が厳しい。

 FH-70の展開が始まる、高機動車などとの絡みがよい、しかし車体3Kとはなんでしょうか、高機動車の後部扉にある3Kという。高機動車と重迫牽引車は、特に迫撃砲の射撃陣地からは直ぐに離れませんと、目立つために暴露する危険があります、素早く待機位置へ。

 120mm重迫撃砲が展開を始め、偽装網も展開されてゆく。射程も威力もおおきな重迫撃砲、相手にとっても高付加価値目標であるため念入りに擬装する。射撃後は敵に標定される前に素早く陣地変換して次の射撃陣地へ向かう。現代戦は文字通り機動力と時間が制する。

 FH-70が展開を完了した。FH-70榴弾砲はイギリスオランダイタリアが国大共同開発を行った1970年代を担う新型砲、ですがこの39口径火砲を大きく上回る野砲はなかなか開発されず、砲兵は命中させる情報処理装置こそが肝要、世界第一線の性能を維持しています。

 発砲、FH-70の空包射撃だ。BB特殊装薬を用いた場合の最大射程は42kmに達する、しかし砲身を痛めるために最大射程30kmと説明さが多い。半自動装填装置により毎分6発の連続射撃が可能という。高性能だがM-109自走砲並に高価で欧州では普及しなかった。

 74式戦車2両がそろって戦闘加入へ。74式戦車は1960年代から始まった戦後第二世代戦車の最終弾、しかし弾道コンピュータを搭載し射撃能力が高く、鋳造装甲と油気圧サスペンションによる地形防御活用により能力は高く、実に873両もの多数が生産されています。

 74式戦車が航空機を背景に進み射撃準備だ。車内は狭い、と説明されますがそれはM-60A3なんかを乗り慣れた人の感想でして乗ってみると意外に空間はある、狭い故に人車一体という戦車兵の鉄則が身にしみて感じる、あの車内でまさに戦闘射撃の準備が進んでいよう。

 短停車刹那空包射撃、発砲炎は写らず。しかしFH-70の上に抜ける音響とは違い、地面を這ってくるような轟音とも衝撃ともとれる迫力が、空包なのにこちらに叩きつける。空包でこの迫力、実弾射撃ならばこの角度と距離だと、鼓膜、日常で想定外を心配してしまう。

 撃破されたBTR-82、まあ、そうなるな。今回仮設敵はT-74戦車のような74式戦車に対抗できるような強力な戦車を持っていなかったため、我が方の74式戦車の一撃で破壊されてしまった。戦車がない側は哀れだが、準備された攻撃というものはえてしてそういうもの。

 FH-70が再度空包射撃、発砲焔は写らず。M-107榴弾を曳火射撃で空中炸裂させた場合、長径45mと短径25mに渡り致命的な有効弾片を散布する。特科火力戦闘では、TOT同時弾着射撃により最初の十秒間で多数の砲弾が落下、遮蔽物へ身を隠す時間はほとんどない。

 疑爆筒が炸裂する。さすがに砲弾、実弾の迫力よりは気分だけ、というもの。この疑爆筒というものは訓練に際して砲弾落下などを再現するものですので、訓練展示にはうってつけの展示ともいえますね。落下音を擬して、直後に破裂する音は結構大きく耳に注意だ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(3)33普連観閲行進(2013-04-21)

2020-07-19 20:09:16 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■観閲行進から訓練展示へ
 第33普通科連隊久居駐屯地創設61周年祭記念行事は観閲行進が続き、同時に訓練展示への準備も進みます。

 本部管理中隊の行進が始まった。様々な車両が並んでいて本部管理中隊は、連隊本部班と通信小隊や施設作業小隊に情報小隊と衛生小隊に補給小隊という、普通科連隊が独立して運用に当たるための細かい気遣い的な小技の聞く装備を一通りそろえている部隊です。

 情報小隊の軽装甲機動車と偵察オートバイ、師団に偵察隊や偵察戦闘大隊などがおかれていますが、斥候や情報収集など普通科連隊が自前の戦闘を展開する上で必要な情報収集を行う部隊です。最近では携帯式無人機などの装備も配備されていて、能力が向上している。

 通信小隊や発煙機3型などが進む。通信小隊は師団に通信大隊が置かれていますが、交換所と合同通信所など大規模な装備は師団へ依存するものの、連隊本部と隷下中隊の指揮系統維持への通信や小規模な電子戦は通信小隊にて実施可能、式典会場の通信も受け持つ。

 発煙機3型、化学科の装備が本部管理中隊の施設作業小隊に配備されています。実は携帯型除染器や94式除染装置なども配備されていまして、主として化学剤による攻撃を受けた場合の自隊除染などは、施設作業小隊でもかなりの部分の任務ができてしまうのですね。

 第10後方支援連隊第1整備大隊第2普通科直接支援中隊の支援車両、こちらは所属はあくまで春日井駐屯地の第10後方支援連隊ですが、駐屯しているのはここ久居駐屯地、後方支援重視の背景には高機動車や軽装甲機動車や重MATなど、整備が大変な装備が増えたため。

 豊川駐屯地からの第10特科連隊のFH-70榴弾砲、2ー4とありますので第2大隊第4中隊の所属とわかる。第10師団の特科連隊、最盛期には全般支援の第5大隊を含む5個大隊へ12個特科中隊が60門並べていましたが、現在は6個中隊30門のFH-70が残るのみ。

 春日井駐屯地からの第10偵察隊、87式偵察警戒車が。第10偵察隊は遠からず第10戦車大隊と統合され、74式戦車2個中隊は全廃され16式機動戦闘車を装備する1個戦闘中隊へ縮小改編、偵察戦闘大隊となる見込みです。2020年代にはもはや74式戦車の居場所は。

 UH-1JやAH-64DにUH-60JAとCH-47,地上には戦車が並ぶ。妙に豪華な編隊ですが、ついに第10飛行隊に配備されたのでは決して無く、明野駐屯地航空学校本校の装備が加わった形、第10飛行隊はUH-1J多用途ヘリコプター、当時はOH-6D観測ヘリコプターのみ。

 今津駐屯地からの第10戦車大隊の参加です。第10戦車大隊も戦略機動師団改編当時には第49普通科連隊新編とあわせ4個中隊60両が配備されていましたが、現在は第49普通科連隊が中部方面混成団へ管理替えとなり、戦車中隊も縮小、2個中隊のみという寂しさ。

 74式戦車2両が観閲行進へ参加しました。戦略機動師団当時は普通科連隊へ戦車中隊と特科大隊を配置し連隊戦闘団を編成していましたが、即応機動連隊改編後は、第2中隊から一個戦車小隊のみが各普通科連隊へ回され、第1中隊は師団長直轄の予備戦力扱いという。

 第10戦車大隊、74式戦車はよくみますと第1中隊と第2中隊から各1両が参加しているもよう。2010年代には流石に第二世代戦車は時代遅れで、なんとか10式戦車の戦車中隊を編入できれば、と。第1戦車大隊は10式戦車と74式戦車の混成編成を採用しています。

 AH-64D戦闘ヘリコプター。AH-1Sの後継として62機が調達予定でしたがミサイル防衛へ費用捻出のために調達が宙に浮き結局13機で調達終了となってしまった自衛隊航空の暗転期における航空機、高価ではあるが戦闘行動半径の大きさから絶対に30機は必要と思う。

 UH-60JA多用途ヘリコプター。第1ヘリコプター団第102飛行隊や第8飛行隊、第12ヘリコプター隊と第15ヘリコプター隊、着実に配備が進んだ航空機ですが、救難機と同等の航法装置を搭載し費用が高く、UH-1Jと二機種混合調達が行われ、今後はUH-2に続く。

 CH-47JA輸送ヘリコプター。陸上自衛隊にとって天恵といえる装備で55機を装備、航空自衛隊も20機を装備しています、駐屯地に飾られているV-107の後継機であり川崎重厚にてライセンス生産されています。こうして観閲行進は祝賀飛行の航過をもって完了した。

 訓練展示開始、銃剣格闘の展示だ。訓練展示はこうした個人技術の展示をおこなったのちに災害派遣展示か野戦訓練展示を実施します。災害派遣展示は重機で木材を動かせたりダンプに積んだりテントを建てたりご飯を炊いたりする、つまり余り見栄えしないのですね。

 銃剣格闘は普通科部隊の近接戦闘最終段階を左右する。訓練展示が野戦なのか災害派遣なのか、2011年東日本大震災から二年目ではありますが、やはり三重県まで出かけたのですから戦車が空包射撃を行い普通科隊員が縦横無尽に走回る様子というものを見てゆきたい。

 89式小銃へ飛び跳ねる泥しぶき。訓練展示がどう言った内容であるのかは、ポスターに描かれることも有れば描かれないこともある。つまりその日までわからない、ということだって有ります。空包射撃は音がすごいので伊丹のように住民反対で実施できないことも。

 格闘展示では芝生に含んだ雨滴が飛沫を上げる。久居駐屯地は初めて訪問した2000年代初頭のお話ですが、訓練展示が災害は剣展示だったこともあり、いや、せっかくだからまだ新車の香り立つ軽装甲機動車から硝煙の様子をみたいのだ、と切に思ったことを思い出す。

 UH-1J多用途ヘリコプターが戦闘訓練展示へ。そう2013年度は訓練展示が野戦訓練展示だったのですね。状況開始です。必要な装備や人員を最前線まで輸送するUH-1Jはみた目以上におおきな能力を秘めた航空機です。富士重工により改良型の国産化がすすみ馴染み。

 UH-1Jからラペリング降下で次々と隊員が降りてゆく。HU-1Bシリーズの航空機を初めて導入したのは1961年、HU-1Bは小型で小銃班半分しか載りませんでしたが、大型化したUH-1H、エンジンをAH-1Sと同型としたUH-1J、そして双発化したUH-2と配備は進む。

 津市の町並みとUH-1Jの対比が面白い。実際問題、アグスタAW-175のような航法性能の高い機種かエアバスEC-725のような縮小小隊や車両を吊れる多用途ヘリコプターが必要だけれどもこれらは全て高価で、部隊数の多い自衛隊には難しい、再編も必要ではないか。

 偵察へ87式偵察警戒車と情報小隊の偵察オートバイが進む。UH-1Jより展開したレンジャーとともに地上からの偵察が本格化する、敵情を探る87式偵察警戒車には25mm機関砲が装備されており、敵前衛と接触し可能ならば突破、全容を探るのが威力偵察というもの。

 BTR-82,仮設敵が応戦する。わが偵察隊の攻撃に装甲車を出して反応を示したことで敵の防御線一端が見え始めたという想定、BTR-82装甲車は重機関銃などを装備する軽装甲車で車高が高いのが特色、速度やエンジン出力や正面装甲の厚さは87式偵察警戒車と同じくらい。

 87式偵察警戒車、背景に並ぶのは74式戦車の車列が続く。74式戦車は第二世代戦車で、当時はまだ高出力小型のエンジンや軽量で強靱な装甲材などの技術が開発されておらず、戦車を構成する攻撃力・機動力・防御力、この三要素の内二つしか満たせない時代のもの。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(2)33普連観閲行進(2013-04-21)

2020-06-28 20:20:30 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■平成の普通科連隊の観閲行進
 記念式典が完了し行事は静から動へ、観閲行進か開始されました。現代の普通科連隊は高度に機械化され各種重装備等を装備しており次々と行進進入点へ入ります。

 観閲行進、連隊旗掲げた82式指揮通信車が観閲行進の先頭をつとめます。82式装甲車は1970年代に全国高速道路網整備にあわせ軽装甲車として研究された四輪駆動軽装甲車を源流とする車両で、もともと軽装甲車は普通科部隊全般へ広く配備される計画だったという。

 82式指揮通信車の敬礼、箱型車体でしかし車体後部の車高が高いこの設計は、軽装甲車構想が1973年石油危機の狂乱物価と景気後退により潰えた後、設計を活かして全国の普通科連隊本部や特科中隊本部車両として採用された為の設計変更の名残でもあるのですね。

 82式指揮通信車、角度がつけられたM-2重機関銃が勇ましい。82式指揮通信車は232両が生産、また車体を共通とした87式偵察警戒車が90両、そして車体設計を流用した化学防護車が37両生産されていまして、装甲車体系におけるファミリーを構成しています。

 第1中隊が徒歩により観閲行進を行う。1995年までに陸上自衛隊は普通科部隊の全車両化を達成しまして、2008年の青森第9師団即応近代化師団改編をもって普通科部隊へ高機動車配備を完了しまして、第1中隊も平素には高機動車を部隊の機動力として活用している。

 第1中隊の観閲行進とともに式典会場外縁を自衛官候補生たちが進む。久居訓練場の面白いところは観閲行進待機車両と待機列もこうして一望できるところでして、徒歩行進のながいれつをそのまま訓練場の外縁まで長くながく延びている様子も見える、ということ。

 89式小銃には着剣しての観閲行進だ。64式小銃よりは軽量となった事は前述の通りですが、1990年代から小銃が軽量化された分、戦闘防弾チョッキという重い装備品が個人装備に加わりました。長距離の徒歩行軍では、戦闘防弾チョッキは骨身に堪える負担になると言う。

 第2中隊の徒歩行進へ連隊長が敬礼を行う。第2中隊も高機動車を基本装備としています。昭和の時代までは普通科中隊の無反動砲小隊と迫撃砲小隊、そして連隊本部の通信小隊や施設作業小隊と重迫撃砲中隊のみが車両化され、あとは徒歩、という時代が長く続いた。

 敬礼する第3中隊の隊員たち。アメリカ陸軍でも在韓米軍第2歩兵師団は冷戦時代に完全な歩兵師団であったといいますので、峻険地形の続く朝鮮半島や日本列島では一つの最適解だったのか、自衛隊では長距離機動の場合、師団輸送隊からトラック20両を借り受けた。

 自衛官候補生たちの観閲行進を連隊長とともに構図に収める。時代は終身雇用の終焉を迎えているのですが、人件費の問題があるとはいえ、若者の使い捨てとも言いうる曹候補学生制度は、そろそろまた曹候補士制度に戻し、人材を育てる組織へ回帰すべき、とも思う。

 64式小銃にも着剣されている。さて、この着剣した64式小銃、なんとこの銃剣は41cmもある代物でして、刺されたらば実に痛そうなもの。64式小銃は遠距離の歩兵戦闘を志向しつつ、しかし近接戦闘では銃剣の威力を相応に重視、昭和価値観が設計に反映されている。

 軽装甲機動車の観閲行進が。軽装甲機動車は第4中隊に配備されています。もともとは小銃班11名を3両の車両に分乗させ、集合と分散を迅速化させるという自衛隊独自の装甲車観に基づき開発されたもの。前述しましたが、中部方面隊最初の軽装甲機動車部隊がここ。

 第4中隊の軽装甲機動車、第33普通科連隊に軽装甲機動車が配備されたのは2002年、まだMINIMIは配備前、先ず17両が配備され田舎の連隊にピカピカの装甲車が来たために隊員が見学に並び土足厳禁、MINIMIが無く仕方なく銃座に64式小銃を据えたという。

 日章旗と軽装甲機動車とそして背景には後方支援部隊の車両部隊が。軽装甲機動車は車両としてはもう少し車内容積がほしいとか、重心が高すぎて不整地錯綜地形では転覆しやすい、という難点も聞くのですが、運用次第では軽騎兵的な、戦車駆逐車として機能しうる。

 軽装甲機動車を6両広角で。この軽装甲機動車は設計当時、フランスのVBL軽野戦車とドイツのウィーゼル空挺装甲車を参考としたもので、実は装軌式のウィーゼル方式を不整地の多い我が国では推す声も少なくなかったといいますが、戦略機動性はVBL方式が有利だ。

 軽装甲機動車を8両背後から。結局は安価なVBL方式、そして4扉方式が採用、大量生産されたことで一両は2700万円まで下がり破格の安さで大量生産を行うことができました。派生型で車体延長型や、軽偵察車という研究もありましたが、こちらは実現していません。

 重迫撃砲中隊の観閲行進が始まる。フランスのトムソン社製120mmRTが採用し豊和工業によりライセンス生産したもの。フランスは当初、日本は数十門程度の調達にとどまると想定していたようですが結局463門も調達、即応機動連隊所要含めまだ量産は続いている。

 120mm重迫撃砲の車列、先頭を中隊長が敬礼します。120mmRT重迫撃砲の強さは前型のM-2/107mm重迫撃砲の射程が5kmにたいし、新型は通常榴弾で8.1km、射程延伸弾を用いた場合は13kmと軽砲なみの射程を有する点で実際フランスでは砲兵隊の装備という。

 連隊長へ敬礼する重迫撃砲中隊の各車両、ちなみに自衛隊のアシとして定着した高機動車はもともと、この120mmRT重迫撃砲の牽引車として開発されたものです。そして牽引しているのは厳密には高機動車ではなく重迫牽引車、これ、重迫撃砲の備品扱いなのですね。

 2門の120mm重迫撃砲を真横から。トムソン社からライセンス生産を開始したのは1994年でして、このころから自衛隊は定数1000門、特科火砲の削減を検討し始めます。すると対迫撃砲制圧と直掩用の105mm野砲は削減対象となり、そこで重迫撃砲の強化が行われた。

 2門の重迫撃砲は続き行進してゆく。この装備は普通科に不可欠であり、師団普通科連隊では重迫撃砲中隊、旅団普通科連隊には本部管理中隊重迫撃砲小隊、水陸機動団では各中隊に、第1空挺団では空挺特科大隊に、即応機動連隊では火力支援中隊に配備されています。

 対戦車中隊の観閲行進は始まりました。対戦車中隊は第10師団の乙師団から戦略機動師団への改編に際し師団対戦車隊に16セット配備されているのみであった対舟艇対戦車誘導弾を各12セット、普通科連隊の対戦車中隊へ配備し、即応近代化師団改編後も維持される。

 1/2tトラックに搭載される79式対舟艇対戦車誘導弾。HE弾頭とHEAT弾頭を切り替えることで戦車へも上陸用舟艇へも対処できるもので、大物をねらうとあって弾頭重量は33kg、これはBGM-71-TOWミサイルが16kgですから、ものすごい破壊力を付与されているとも。

 重MATを正面から。TOWなどはM-151ジープの車上から射撃できますが、重い重MATは基本的に地上に設置し射撃を行う。一説には緊急時には車上から10発や20発撃っても問題ない、とも聞くのですけれども真偽のほどは定かではありません。真似しないよう。

 重MATは懐かしい106mm無反動砲のような強面が親しめるのですね。昔、普通科中隊の対戦車小隊には106mm無反動砲が4門ありました、現在小隊に87式対戦車誘導弾が装備される、中MATは射程2km、重MATは射程4km、ほかに射程1.6kmの軽MATもある。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】第33普通科連隊-久居駐屯地創設61周年祭(1)33普連記念式典(2013-04-21)

2020-06-14 20:01:26 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■三重県の第33普通科連隊
 三重県久居には"三"繋がりか、かつて旧陸軍歩兵第三三連隊本営が置かれていました。そして同じ場所には現在第10師団隷下の第33普通科連隊が駐屯しています。

 入場する普通科隊員とUH-1HおよびV-107、V-107は流石に全てCH-47に置き換えられています。この二機も用途廃止航空機を展示しているものでして、これは近傍の陸上自衛隊航空学校本校の置かれる明野駐屯地が所在している故でしょう、なにか、自衛隊らしさ。

 入場する自衛官候補生と背景にはUH-1H多用途ヘリコプターにV-107輸送ヘリコプター。現在は既にUH-1Hは全て除籍され、強力なエンジンを積むなど改良したUH-1Jとエンジンを双発とする等したUH-2の評価試験が進んでいますが、この頃まだUH-1Hは現役です。

 朝日を浴びて整列する96WAPCと74TK、ここは三重県津市にある陸上自衛隊久居駐屯地、京都大阪名古屋から伊勢神宮へと至る近鉄久居駅、その駅前に整然と並ぶ建物群に大書された久居自衛隊、この建物が三重県を防衛警備管区として受け持つ部隊の駐屯地です。

 74式戦車の浮かぶ勇壮な輪郭。これから行われる記念式典へ待機する戦車を見上げる構図から。この久居駐屯地には第10師団の隷下部隊である第33普通科連隊が駐屯しています。普通科部隊は旧軍で言う歩兵、記念式典の支援へ遠く滋賀県から戦車部隊が展開している。

 82式指揮通信車の入場と待機車両の長い車列が続く。久居駐屯地は隣接して久居訓練場が配置され、訓練場は演習場のような射撃訓練などは行えませんが、三重県都市部は津市の近鉄電車駅前にある駐屯地、というには想像できないような広さを有している駐屯地です。

 式典開始時刻となり駐屯地から行進して久居訓練場へ入場してまいりました、自衛官候補生の入場を正面から撮影します。候補生というのは昔の新隊員、いまは昔のようにすんなりと入れてくれない、曹候補学生という制度があり、終身雇用時代は終わりを告げている。

 64式小銃を自衛官候補生たちは抱える。この64式小銃も陸上自衛隊では全廃され久しいですが、当時はまだ予備役部隊などにも残っていました、重量が4.4kgもありまして一眼レフに巨大な単焦点超望遠レンズを装着した重さがあります、毎日担ぐのは大変だろうなあ。

 第33普通科連隊の隊員も入場を開始、普通科隊員を正面から。89式小銃を携行している。この重量3.5kgで一眼レフに超望遠ズームレンズを装着したようなもの。64式がEOS-5Dに400mmF2.8ISを装着の重さ、89式小銃はEOS-7Dに100-400mmIS2とG3Xの重さ。

 第1中隊と第2中隊と車列や航空機を背景に入場が進む。V-107が背景に有りますと、もともと自衛隊は高度経済成長期に装甲車やミサイルよりもV-107を600機導入する案が、航空科に有りV-107も全日空が新幹線に対抗し新時代の基本交通手段を目指していました。

 連隊旗を奉じて副連隊長が入場する。指揮官の入場、普通科連隊というのは1200名の師団普通科連隊と650名の旅団普通科連隊というように区分されています。第33普通科連隊は師団普通科連隊であるのは前述の通りでして副連隊長とともに多数の中隊長や幕僚が並ぶ。

 連隊旗の到着と指揮官の敬礼、本部管理中隊長、第1中隊長、第2中隊長、第3中隊長、第4中隊長、対戦車中隊長、重迫撃砲中隊長、教育隊長、連隊人事幹部、連隊情報幹部、連隊訓練運用幹部、連隊補給整備幹部、中隊長や連隊幕僚だけでもこれだけ揃うのですね。

 中隊旗が旗の敬礼動作を行う、背景に並ぶのは軽装甲機動車。軽装甲機動車、陸上自衛隊を中心に広く配備されている小型装甲車で2000両以上が導入された小松製作所製装甲車です。そして2002年に中部方面隊で最初に慶応高機動者を受領したのが、この連隊なのです。

 連隊幹部の整列、後方支援連隊の指揮官も一人並ぶ。2000年代は変革の時代で、上記の軽装甲機動車など普通科の機械化が一挙に進み、結果、後方支援連隊整備大隊から普通科直接支援中隊を各連隊駐屯地へ分遣し、車両整備の支援を実施するようになっています。

 国旗へ敬礼、捧げ銃。整列を完了した部隊とともにいよいよ式典開始です。日章旗が式典会場へ到着しまして、われわれ観覧の一同も起立して国旗を迎えます。平和主義と国民主権を掲げた憲法と国家が有ってこそ、憲法と主権を守る 防衛力として自衛隊はあり得る。

 日章旗が登壇する。そして第33普通科連隊長、兼ねて久居駐屯地司令の古屋浩司連隊長も車両にて観閲台へ。古屋連隊長はこの久居駐屯地での連隊長を経て、しばらくののちに上級部隊である第10師団の師団司令部幕僚長、そして現在は宮城地方協力本部長にあたる。

 巡閲をおこなう古屋連隊長。詳しい方のお話によれば、古屋1佐は普通科幹部として一本、初の中隊長は山岳連隊として名高い第12師団第13普通科連隊、現在は旅団へ縮小されてしまいましたが険しい日本アルプスで部下を引っ張れる歩兵を地でゆく指揮官なのだとか。

 巡閲、会場は比較的広い。久居駐屯地、いやここは訓練場ですが式典会場は千僧の第3師団祭や守山の第10師団祭、練馬の第1師団祭よりも広い会場となっています、実際ここでは火炎放射器さえ実際に放射できるほどの面積がありますので、展示が行われるか楽しみ。

 連隊長の巡閲とともに敬礼する普通科隊員、そして並ぶ軽装甲機動車、さらに引退した航空機、と。自衛隊は機械化が遅れていた、識者など何気なく表現しますが有る意味的外れで、長らく空中機動を重視し航空打撃力と輸送能力を装甲車よりも重点的に整備しました。

 巡閲続く、重迫撃砲に対舟艇対戦車誘導弾が並ぶ。79式対舟艇対戦車誘導弾は通称重MAT,もともとは師団対戦車隊に配備されていたものですが、2002年の師団改編で第10師団が乙師団から戦略機動師団へ改編された際に全ての普通科連隊に対戦車中隊が置かれている。

 自衛官候補生も敬礼を行う。自衛官候補生、昔は曹候補士で入隊したらばほぼ定年まで奉職できましたが、人件費節減観点から七年以内に陸曹選抜に合格できなければ強制退職という曹候補学生という制度となった。彼らは候補生となってまだ数週間、様になっている。

 日章旗と整列した隊員たち。スタンド席にて撮影できた故の良い撮影環境です。この2013年当時の行事はまだ牧歌的で、地方の駐屯地祭ならば開門後に到着しても一般用スタンド席上段がまだ開いていたのですよね。いまは開門三時間前に並んでも最上段は厳しい。

 連隊長訓辞。この2013年行事というのは、3.11東日本大震災の記憶もまだ鮮明であるとともに南海トラフ巨大地震の危険性が大きく認識され、三重県を防衛警備管区とする第33普通科連隊には熊灘にめんした長大な海岸線をどう対応するか、防衛とならび課題だった。

 鈴木英敬知事の訓辞、2013年の様子です。西宮生まれで灘中灘高と東大へて通産官僚、2011年に36歳という史上最年少で県知事となった鈴木知事です。学歴経歴は凄い方ですが2020年代の鈴木県政を見ますと、逆に三重県民は若い知事を良く育てたなあ、と何か感心する。

 式典会場を18mm広角で写し込む、空が広い。式典会場の奥には、見えませんが伊勢湾が広がり、背後には直ぐ近鉄線、そして壮大な鈴鹿山脈が広がり、その奥に隣接して京都府が、という立地です。祝辞と祝電披露も終わりいよいよ、観閲行進準備の号令が掛かる。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】平成28年第1空挺団降下訓練始【12】機動戦闘車の初公開(2016-01-10)

2020-05-31 20:19:07 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■明日の本土防衛担う新装備
 今日でいう16MCVこと16式機動戦闘車、評価試験進むその試作車両が一般初公開となりましたのがこの日でした。

 機動戦闘車、増加装甲を設計時点で標準装備、というものも。10式戦車のモジュール装甲採用により前例はあるのですけれども、ボルトオン式増加装甲の標準装備というものに、将来発展性を考えているのか、基本装甲が心もとないのか、少し考えてしまいましたね。

 機動戦闘車を正面から。この車輛は将来的に装甲戦闘車などに転用される事はあるのでしょうか、三菱重工ではプライベートベンチャーで開発している様子が海外の兵器見本市で紹介されていますが、付け焼刃的な、試製56式装甲人員輸送車の様な変な形状ではあった。

 機動戦闘車、車幅2.98mと道路運送車両法車両限界では特殊大型車両となる。ただ、機動砲の装甲戦闘車転用では、イタリアのフレシア装輪装甲戦闘車がチェンタウロ2戦車駆逐車の車体を転用しているのですね。105mm砲型から120mm砲型へ拡大した際の派生型だ。

 フランスのVBCI装輪装甲戦闘車は、650両が調達され、25mm機関砲等を一人用として、操縦手と砲手を車内配置、車長は歩兵分隊長を兼ねて後部兵員室からモニターを通して全般指揮に当り、下車戦闘の際には車長も降りて分隊を指揮するという、運用をしています。

 機動戦闘車はフロントエンジン方式である為、装輪装甲戦闘車の派生型は有り得る。ただ、駆動系は流用できるのですが、後部兵員室や砲塔基部を構成する車体は別物を再設計し、小型の25mm機関砲塔を採用する等、下車戦闘への人員確保の設計が選択肢でしょう。

 96式装甲戦闘車、小松製作所の国産装甲車です。装甲が薄いとか小型等言いたい放題の印象がありますが、日本の道路情勢に適合した実のところ傑作装備と思う。何より安価です。例えば、大き過ぎて役所に届けねば駐屯地から出られない汎用装甲車では話になりません。

 中距離多目的誘導弾、1セット5億円。これは元々普通科中隊の対戦車小隊へ大量配備される計画で、自衛隊の戦車減勢を受け、対戦車火力の強化を目指したもの。ただ、高価なミサイルを多数そろえるよりも、必要な戦車を揃える方が税金の有効利用のようにも思える。

 NBC偵察車、小松製作所は開発したもの。これを原型に、装輪装甲車(改)が開発されましたが、要求仕様は全て満たしていたにも関わらずこの翌々年に性能不充分として国が受け取りを拒否、小松製作所は意味が分からないとして、爾後の新規防衛事業撤退を発表した。

 03式中距離多目的誘導弾、2010年代に入り陸上自衛隊の地対空ミサイルは本来野戦防空用の装備でしたが、中国軍巡航ミサイル戦力の異常規模での増大を受け、航空自衛隊の弾道ミサイル防衛部隊穴埋めとして陸上自衛隊に巡航ミサイル防衛の新任務が付与されている。

 ペトリオットミサイルPAC-3,終末段階での弾道ミサイル迎撃を担うのですが、15kmから20km程度と迎撃範囲が限られ、この後にPAC-3-MSEとして防空能力を30kmまで広める改修が。将来的には長射程のスタンダードSM-6地上発射型等に置換えられるのだろうか。

 74式戦車、本州の戦車部隊はまだこの74敷居が主力だ、とは時代錯誤な発想で2019年時点で74式戦車は第3戦車大隊と第9戦車大隊に第10戦車大隊、第1戦車大隊の一部と第13戦車中隊、残りは僅か8個中隊だけとなっています。後継車は無く純減に近い状況だ。

 89式装甲戦闘車、前型の73式装甲車並みに350両程度が量産され、北海道に4個普通科連隊程度を充足する予定でしたが、68両で生産終了となり、機甲師団である第7師団の所要定数半数だけを確保して、生産終了となりました。政府は普通科部隊を重視するというが、ならばこれは必要です。

 87式自走高射機関砲、一応全国に高射中隊を配備すべく170両程造る予定でしたが、48両で生産終了、高度な電子装備を合わせ、北海道では第7高射特科連隊と第2高射特科大隊に配備されています。戦車数が削減される中、重要となる戦車を確実に防護するには、これも後継装備を考える必要が。

 CH-47JA輸送ヘリコプター、やはり目の前にしても見上げる程にその機体は全てが大きいですね。第1ヘリコプター団への集中配備が行われると共に、北関東の第12ヘリコプター隊、九州の西部方面航空隊、そして沖縄の第15ヘリコプター隊などに配備されています。

 AH-64D戦闘ヘリコプター、島嶼部防衛を考えますと特に必要な装備なのですが、今後の無人機の軍事利用を考えますと、多数の無人機に対し警戒監視を行い、対抗無人機の管制さえ可能、AH-64Dは単なる航空打撃力に留まらない重要なポテンシャルを有している。

 AH-1S対戦車ヘリコプター、富士重工がUH-1J多用途ヘリコプターの後継として双発のベル412を原型としたUH-2を開発しましたが、単純な航空打撃力のみに注力するならば、AH-1Sのシステムと運用思想をUH-2に盛り込んだ、AH-1Wの様なAH-2という選択肢も。

 こうして一通り装備品展示を巡ったのですが、やはり注目は本邦初公開となった機動戦闘車で、時間を追うと共に多くの見学者に包まれてゆきました。戦車ではありませんが、74式戦車の代替と昔の60式自走無反動砲の中間というような位置づけには、最適でしょう。

 習志野と共に年末年始頑張った当方は、少し遅い年始旅行という事で自衛隊最精鋭という事で名高い第1空挺団降下訓練始めを堪能しました、そして当方は次なる目的地、茨城県大洗町観光と神奈川県横須賀観光へ向かい、まずJR津田沼駅へと転進を開始した訳です。御帰りはこちら。

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【日曜特集】平成28年第1空挺団降下訓練始【11】中谷元防衛大臣の訓示(2016-01-10)

2020-05-17 20:16:56 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■大臣訓示と祝賀飛行
 平成28年第1空挺団降下訓練始の訓練展示はこうして完了しました、そして今朝一番に降下訓練塔から降下訓練体験を行いました防衛大臣の訓示です。

 第1空挺団降下訓練初めの完了と共に年頭に当たっての訓示、厳しい国際情勢と共に空挺団への期待を訓示しました。一般公開される自衛隊行事の中で防衛大臣が直接訓示するというものは、この習志野位ではないでしょうか。空挺団長以下中谷防衛大臣へ敬礼を行う。

 中谷防衛大臣が、訓示へ進む。中谷大臣は1990年以来議員奉職、第一次小泉内閣において第67代防衛庁長官を経験、第三次安倍内閣では再任され、今回の降下訓練始めを第14代防衛大臣として観閲、訓示を述べます。防衛大臣旗として五つの桜が並ぶ大臣旗がみえる。

 中谷防衛大臣による、第1空挺団降下訓練初めの完了と共に年頭に当たっての訓示、厳しい国際情勢と共に空挺団への期待を訓示しました。一方で政治には政府が自衛隊へ命じ、求める、厳しい任務へ臨む第一線へ必要な装備と補給を滞りなく行う義務があります。

 祝賀飛行へ。最初に四機のヘリコプターがこちらへ飛んでくる様子が。空挺団を支えたヘリコプター部隊は中谷大臣へ祝賀飛行を行う。観閲飛行の後に前期着陸して訓示を、という訳には航空機という特性上出来ない事から、編隊での祝賀飛行を行う事で代えています。

 AH-64D戦闘ヘリコプターを先頭に二機のAH-1S対戦車ヘリコプターとUH-1J多用途ヘリコプターが一機、確かUH-1J多用途ヘリコプターは二機と地雷敷設の機体が参加部隊にいたはずですが、他の支援等で展開しているのでしょうか、若しくは不測事態準備なのか。

 AH-1S対戦車ヘリコプターは96機が導入されたのですが、後継のAH-64D戦闘ヘリコプターは13機で調達終了、弾道ミサイル防衛の為の予算捻出を、性能不足という云いがかりで塗布しました。これが性能不足ならばアフガンやイラクでの破竹の戦果は何なのだろう。

 CH-47JA輸送ヘリコプターが三機重なるような構図で、チヌーク三兄弟、というところか。よくみますと1機がJA型で残る2機はJ型ですね。川崎重工では延命改修に併せて、CH-47JのCH-47JA相当への近代化改修も継続的に行っています。まだまだ使う機体だ。

 輸送ヘリコプターの五機編隊、これで人員275名を空輸できる規模です。軽装甲機動車ならば吊下げ空輸と機内収容で10輌、機内には高機動車も入ります。救急車や消防車さえも、治具さえ取り付けるならば空中機動させる事が可能、大規模災害にも常に活躍しています。

 南海トラフ巨大地震や首都直下型地震の懸念が残る中、特に輸送ヘリコプターは重要です。あの2011年東日本大震災においても、孤立地域救出から救援物資輸送に福島第一原発原子炉放水、果ては民心安定という成果まで出しました、全自衛隊で最も重要な機体の一つ。

 第1空挺団火消し部隊の出動だ。火消し部隊というと何か緊急展開部隊的な強そうな響きが残るのですが、こちらの火消し部隊は野火に備えるもの。過去に充分刈っておいた筈が疑爆筒の火花が引火し迫力ある状況になった事が、火消し部隊は重要だ。消防ともいう。

 中谷防衛大臣の訓示が訓練展示終了と共に開始されますので、訓練参加部隊は習志野訓練場の域内から急いで式典会場へ集合してゆきます、一方で火消し部隊は小火が火事となる前に火消しに向かう、こう書くと地域紛争の鎮圧に向かうような表現となるのはきのせい。

 87式自走高射機関砲の撤収、迫撃砲小隊の隊員が点呼し式典会場へ向かう準備を行う、とともに火消し部隊が焦げていそうな枯草へ片端から水を。この背負い式個人消火器材は山林火災に用いるもの、稀にサバイバルゲームで携帯放射器代わりに水掛に使うのもいる。

 空挺隊員が続々と集結する。戦闘防弾チョッキと小銃を装備し完璧な擬装を行っている方々は先ほどまで訓練展示に参加していた方、略帽と戦闘服だけの方々は来賓誘導や会場警備と式典案内等、支援に当っていた空挺隊員のみなさま。車両の擬装はどれも完璧だ。

 89式装甲戦闘車、富士学校の装備ですので車輌地区へ集結し、整備補給を追えて後に滝ヶ原駐屯地へ戻ります。この車体かMLRS基部の車体、再生産できるならば、これに16式機動戦闘車の砲塔を載せて装軌機動戦闘車、と出来ないか、少し考えてしまいましたね。

 10式戦車、皆さん真剣に集まって無数の写真を撮影しているので当方もカメラを取り増しますと、ご近所の方から、珍しい車両なのですか、と聞かれてしまいました。あ、いや、これ、“戦車を、洗車”と多分皆さんがカメラを向けている理由を説明しますと、引かれた。

 関西では戦車を洗車の写真等は鉄板ネタだと思うのですが、千葉の人は笑いに冷淡というのか、真面目な方が多いのでしょうか。でも駒門駐屯地祭や練馬駐屯地祭では戦車を洗車する様子などは中々見れませんし、一発ネタとして使える被写体が在れば、撮りますよね。

 機動戦闘車、本邦初公開となりました。報道公開以外で、ですが。この時点ではまだ16式機動戦闘車ではなく装備実験隊が評価試験を行う単なる機動戦闘車です。快晴の青空の下で最新鋭の代名詞というべき陸上自衛隊の新装備が、心なしか輝いているように見える。

 機動戦闘車は車体形状や増加装甲が微妙に各車両で違う、というもの。アメリカ軍のストライカーMGSを見た事がありますが、不思議と砲塔も大型ですし、車幅等はこちらの方が大きいのに専用設計という事で車体は全体的な印象としてコンパクトな印象を受けました。

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